小悪魔な後輩に誘われている(前編)


  *


 いきなり、背中に柔らかいものが押し当てられた。


 しかも、その柔らかな感触は背中から腰にかけてゆっくりと動いている。


「おい」


「はい?」


「……当たってるぞ」


「なにがですか?」


「胸だ」


「そうですか? すみません、気づきませんでした」


 そう言って、さらに強く押しつけてくる。


「…………」


「……あ、あれ、もしかして、感じちゃいました?」


「……いや、別に……」


「本当ですか? だって、ほら、ここ……大きくなってますよ?」


「……っ!」


「ふふ、かわいいです」


「うるさい」


 俺は、彼女の手を払い除けた。


「きゃっ!」


「お前な、ふざけるのもいい加減にしろよ」


「えー、ふざけてなんかいないですよー」


「嘘つけ! こんな場所でそんな真似して、どうなるか、わかってんのか!?」


「どうなるんですか?」


「それは……まあ、色々と問題があるだろ」


「具体的には?」


「だから、それは……」


 言葉に詰まる俺を見て、彼女はクスリと笑った。


「冗談ですよ。本当にかわいい人ですね、先輩は」


「うるせえよ」


 俺は憮然とした表情で言った。


 まったく、この子には敵わない。


「それより先輩、私、喉が渇いちゃったんですけど」


「ああ、そうか。それなら自販機で、なにか買ってくるから、ちょっと待ってろ」


「いえ、そうじゃなくて……」


「ん?」


「先輩が飲ませてください」


「は?」


「口移しでお願いします」


「……なに言ってんだ、お前は」


「いいじゃないですか。それとも、嫌なんですか?」


「そういう問題じゃなくてだな……」


「じゃあ、どういう問題なんですか?」


「それは……ほら、周りに人がいるだろうが」


「誰も見てませんよ」


「いや、でも、もし誰かに見られたらまずいだろ」


「私は別に構いませんけど」


「俺が困るんだよ!」


 思わず大きな声が出てしまった。


 慌てて周囲を見回すが、幸いにも近くに人はいなかったようだ。


 ホッと胸を撫で下ろす。


「ったく、頼むから勘弁してくれよ」


「はーい、わかりました。じゃあ、自分で飲みます」


 そう言うと、鞄の中からペットボトルを取り出した。


 そして蓋を開けると、そのまま口に含む。


「んっ……」


 そして、俺の首に腕を回すと、唇を重ねてきた。


 そのまま強引に口をこじ開け、中の液体を流し込んでくる。


「うっ……!」


 突然のことに驚きながらも、どうにかそれを飲み込む。


 口の中に甘い香りが広がる。


 どうやらスポーツドリンクのようだ。


「どうですか?」


「どうって、なにがだよ」


「味ですよ、味。美味しかったですか?」


「……甘い」


「そうですか。よかったです」


 彼女は満足そうに微笑んだ。


 それから再び顔を近づけてくる。


 今度は舌を入れてこようとはしなかった。


 代わりに、啄むような軽いキスを何度も繰り返す。


 やがて満足したのか、ゆっくりと顔を離した。


「ふう……」


 大きく息を吐くと、俺の胸に顔を埋めるようにしてもたれかかってきた。


 そのまま体重を預けてくる。


「おい、どうした?」


「ごめんなさい、ちょっと疲れちゃいました」


「大丈夫か? どこか具合でも悪いんじゃないのか?」


「いえ、大丈夫ですよ」


「本当か?」


「はい」


「なら、いいけどさ……」


「心配しないでください。それよりも、もっと楽しいことをしましょう」


「えっ?」


「行きましょうか」


「どこへ?」


「秘密です」


「なんだよ、それ」


「いいから、ついてきてください」


 彼女は悪戯っぽく微笑むと、俺の手を握って歩き出した。


 仕方なく、俺もその後に続く。


 しばらく歩くと、小さな公園が見えてきた。


 俺たちはその中に足を踏み入れる。


 ベンチに並んで腰を下ろすと、彼女が口を開いた。


「ねえ、先輩」


「ん?」


「さっきも言いましたけど、私たちの関係って、なんだと思いますか?」


「なんだよ、いきなり」


「いえ、なんとなく気になって」


「そうだなあ……」


 俺は少し考えてから答えた。


「まあ、ほかの人たちから見たら、いわゆる……恋人同士ってやつじゃないのか? あんなキスをするくらいだし……」


「ですよね」


 彼女は嬉しそうに頷いた。


「ということは、私たちの関係は普通のカップルと変わらないってことですよね」


「そりゃそうだろ」


「だったら、デートくらいしてもいいと思いませんか?」


「そりゃまあ、そうだけど……」


「でしょ? だから、今から一緒に出かけましょう」


「おいおい、本気かよ」


「もちろん本気ですよ」


 そう言って、俺の手を握り締めてくる。


「手を握るくらいは、いいでしょう?」


「……わかったよ」


 俺は観念して、彼女の手を握り返した。


「ありがとうございます」


 にっこりと笑うと、ベンチから立ち上がる。


「さあ、行きましょうか」


「はいはい」


 俺は苦笑しながら立ち上がると、彼女に手を引かれるまま歩き始めた。


 それから数時間後、俺と彼女は近くのショッピングモールに来ていた。


 休日ということもあって、店内はかなりの賑わいを見せている。


「さて、どこから回りましょうか?」


 隣を歩く彼女に向かって問いかける。


 すると、すぐに答えが返ってきた。


「まずは服を見に行きたいです」


「服ね……」


 せっかくなので、彼女が色々な服を着ているところを見てみたいなと思った。


「いいですね?」


「ああ、いいよ」


 頷くと、早速、女性向けの衣料品店へと向かうことにした。


 中に入ると、店員らしき女性が近づいてきた。


 二十代前半くらいの若い女性だ。


「いらっしゃいませー」


「あの、この子に似合う服を何着か見繕ってほしいんですけど」


「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」


 女性は愛想良く言うと、俺たちを店の奥へと案内した。


 そこには様々な種類の衣服が所狭しと並べられている。


 どれもこれもかわいらしいデザインばかりだ。


 正直言って、俺にはあまり縁のない場所だった。


 しかし、今日は違う。


 隣には彼女がいるし、なによりここは女性の専門店なのだ。


 男である自分がいても不自然ではないはずだ。


 そんなことを考えながら待っていると、先ほどの店員がやってきた。


 その手には数着の洋服を抱えている。


 どうやら試着室まで運んできてくれたらしい。


 彼女はそのうちの一着を手に取ると、俺の前で広げて見せた。


 白いワンピースタイプのものだ。


 胸元には赤いリボンがついている。


 スカート丈は膝上くらいだろうか。


 全体的に清楚な雰囲気でまとめられていた。


 なかなか悪くないと思う。


「どうですか?」


 彼女は笑顔で尋ねてきた。


「いいんじゃないかな」


 率直な感想を口にする。


「そうですか? じゃあ、これにしますね」


 彼女は嬉しそうな表情を浮かべて言った。


 それから店員さんのほうを向いて言う。


「これ、ください」


「はい、ありがとうございます。お会計のほうは、あちらでお願いします」


「わかりました」


 彼女は財布を取り出すと、そこから数枚のお札を取り出した。


 それをレジの上に置く。


 そして支払いを済ませると、商品の入った紙袋を受け取って戻ってきた。


「お待たせしました」


「いや、別に待ってないけど」


「そうですか? あ、そうだ。ほかにも見たいお店があるんですけど、いいですか?」


「ああ、構わないよ」


「ありがとうございます」


 彼女はにっこり笑って礼を言った。


 それから俺たちは再び歩き始めたのだった。

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