お金もねぇ!時間もねぇ!当面問題やるしかねぇ!

染谷市太郎

1話

「ワ……ァ……」

 スマホを握りしめ震える女子大生。

「?」

 彼女の向かいに座っている友人はちらりといぶかし気に見た。

 スッピンにロングスカートの女子大生、花江。

 ばっちりとアイラインを書きダメージの入った服を着こなす友人、霧香。

 ずいぶんと毛色が違う二人は、入学時からの学友である。

「うぅぅ……」

「どうしたのよ?トイレなら漏らす前に行けば」

 どのような感情なのだろうか。顔面をしわくちゃにする花江は違うのだ、と首を横に振る。

 では何が理由なのだろうか。眉を跳ね上げ、霧香は花江のスマホを覗き込んだ。

 表示されているのは、とある昆虫の研究者のSNSだった。

 彼は国内外で昆虫を研究し、その記録を書籍として出版している。その語り口の妙を花江は好んでいた。

 花江のスマホに表示されていた情報は、数年前に彼が出版した書籍に関する新たなニュースだった。どうやら、彼の書籍に感化された漫画家が彼の書籍の宣伝のためにイラストを描き下ろしたという。

 しかもそのイラストは書籍に帯として付属するらしい。

「あぁ、この漫画家最近調子に乗ってる」

「……うん」

 最近ヒットした作品を抱える人気絶好調の漫画家だ。

「てかこの本、この前あんたが買ってたやつか」

「……うん」

 花江は以前、この研究者の書籍全てを、電子書籍として購入した。

 そう、電子書籍として。

「電書は帯がつかないんだよぉ……」

「タイミングがわるかったね~」

 霧香は事情が把握できればもう興味がないと言わんばかりにスマホゲームを開いた。

「まさか、何年も前に出た本にこんなことあるとは思わないよ、うぅぅ……」

「まあ、需要によっては帯のデザイン変えたりはするけどね」

「私が、私が散財していたばかりに……」

 現在、花江は金欠である。

 具体的には手持ちの口座に2円しか入っていないほど、金欠である。

 勘違いを避けるために言及するが、この結果は花江の浪費癖によるものではない。

 元々60万ほどあった口座、しかしながら年金の3年分の前払いで約40万、TOEICの試験を月1で5回受けていたので約5万。

 また、電子書籍をはじめとする書籍購入費で約5万。

 そして、来月の同人イベントへの参加のため、サークル参加費と同人誌の印刷代で約10万。

 といった出費が重なったため、現在口座には2円。財布には16円のお金しかないのである。

 合計18円で紙の書籍が買えるだろうか。いいや買えない。

 タイミングが悪かったのだ。もう少し遅ければ帯付きが買えた。

「トイチで貸してやってもいいけど」

「借金はしちゃいけないっておばあちゃんから言われてるから」

「嘘だよ無利子」

「タダより高いものはないっておばあちゃんから言われてるから」

「あそ、でもイラストだけなら漫画家さん本人がツイッターにも公開してるじゃん」

「知ってるもん」

 だってその漫画家もフォローしてるもん。私ファンだもん。と花江は突っ伏す。

「好きな研究者と好きな漫画家が仲良くしてることの象徴として実物を手に入れたいんだもん!」

「そっか~」

 霧香はリズムゲームで次の曲に移った。

「でもお金がないんだよ~!」

「借金駄目ならバイトすればいいじゃん。日雇いもあるし、データの打ち込みとか内職もあるし」

 本一冊だけなら1、2時間働けば買えるでしょ、と言う霧香。

 花江は手帳のカレンダーを見せる。

「平日は授業と研究。休日は課題に追われる。これでもか、このスケジュールでもバイトができるのか」

「私ら今4年なのになんでこんなんだし」

「他学科の授業取ったのと、教授に卒論の研究内容追加されたの……」

「あーね」

「うぅっ、教授、機会をお恵みくださるのはありがたいのですが」

 学部卒予定に頼む量じゃないでしょ、と院進学が決定している霧香はスマホに視線を戻す。

 というわけで花江には時間もない、金もない。

「なので」

 花江はぬるりと友人をみやる。

「私は来月のイベントで同人誌を売りさばかなければなりません」

「お~がんばれ~」

「そのイベントが問題なんだよ!」

 花江はまた突っ伏した。

「漫画や小説が主体の同人イベントで!

漫画や小説が主体の同人イベントで!!

漫画や小説が主体の同人イベントでだよ!!?」

 大切なので三回言った。

「私は科学と歴史の学術書的な同人誌を出さなきゃならないんだよ!」

「自分で決めたんじゃん」

「そうだよ!」

 半年前、イベントでこれを売ろうとした自分が恨めしい。

 一難去ってまた一難。

 科学と歴史について書かれた同人誌を、漫画あるいは小説架空の物語を求めてやってきた来場者にどうやって買わせろというのか。

「読みたい同人誌がないのなら自分で作ればいいじゃない、なんて思った半年前の自分はなんて愚かなのでしょうか」

「でも例のフィールドワーク記録が面白かったからその同人誌を作ろうとしたわけでしょ?」

「うちの研究室フィールドワークやってないの」

 そもそも研究室内の話を外部に漏らしたら駄目なのだ。

「研究対象とずれたものを題材に書いたはいいものの、あんなのただのレポートだよ」

 大学4年のアマチュアが書いた物。学術書の端くれにもなれない。論文とも無価値。レポートと言えるがレポートで金をとるのか、と思えるレベル。

 イラストでも書ければいいが、花江は文章で精いっぱい。

 表紙は努力したが。

「まあ、あの毒々しい表紙でがんばれ、ははっ」

「笑わないでよ~っっっ」

 花江はそれっぽくしようと努力した表紙を思い出す。

 まるでロダンの地獄の門劣化バージョンのあれは、出すところを間違えれば天罰が下ってもいい。

「不安なら自家製の小説でもくっつければいいじゃないの。書いてるんでしょ?」

「月1でコンテストに応募しているのに1つも受からないあれを??一次選考すら通過しないあれを???」

 花江はぼんやりと小説家への夢も持ってはいるが、そうやすやすといけるほど簡単ではないと理解している。身をもって。

「エッセイも短編も長編も、ファンタジーも恋愛も日常系も、ミステリもホラーもR-18及びR-18Gも、ぜーんぶ通用しない私の技量で書いた小説で金を取れと?!」

「それで金をとることに疑問を持つなら、来月販売の同人誌はどうなんだい?」

「ごもっとも!!!」

「だいたい世の中には便所の落書きみたいな絵や文章でも金を取る輩がいるんだ。アンタみたいな駄文でも良心的なもんだよ」

「便所の落書きはやめてあげて!!!」

 本人も苦しんでるかもしれないし、と花江は友人の毒舌を止める。

「世の中私以上の存在はたくさんいるんだって、就活でもお腹いっぱい味わったもん」

「そこらへんに転がってる天才に躓いてたら創作業界やってけないよ」

「うふぅ、凡人なのはわかってるの、私の作るものなんて無価値だってわかってるの。そんなの作れる時間がある分恵まれてるよ私」

「そんなに不安なら私がイラスト描いてやっても」

「あ、もう入稿しちゃったから」

「行動が早い!」

「だからもうプロモーション頑張るしか。ああいったイベントじゃ財布のひもゆるゆるなんだもん、食指に触れさせればきっと」

「じゃあ私も宣伝ツイートrtしよか?」

「いい。リア友のSNS知りたくないし、私鍵垢だし」

「宣伝のために鍵開けとけって!!!」

「もう50部刷ったの。だから、1、2冊売ればどうにか……」

「簡単に言ってくれる!初イベはまず売れねえって!」

 霧香は一冊も売れずに終わった方々を見てきている。

「もうしょうがないね」

 花江はいい笑顔だ。

「一冊百円の販売かな」

「判断が早い!」

「10冊売れれば目標金額だし」

「いやだから」

 大丈夫だよ、と言う花江の耳に霧香の声は届かない。

「私がんばるから」

 花江は決心してしまっていた。必ずや自身の力で金を稼ぐと。

「だから自分で稼いだお金で本を買うの!」

 必ずやかの研究者と漫画家コラボ帯付きの書籍を手に入れるのだと。

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