教室に棲む

暮メンタイン

道徳

学童期の二年間が子供に与える影響は計り知れない。身体的にはもちろん思考傾向や趣味嗜好に至るまで成長過程を見せつけられるほど子供というものはこの時期に恐ろしいほど伸びていく。6年1組茜ゆねは。彼女の担任になるのは小学四年の時以来だが、その時の印象とこの解答とがあまりにもかけ離れ過ぎていたために、赤ペンを放り出してしまった。


『悲しむ人がいなくなるまで殺し続ける』


教育委員会からお達しが来ていた。いじめ抑止の対策、指導をするように。そのために設けられたのが今日の六時間目にやった道徳の時間だった。


(A君は学校でいつもB君をイジメていました。そんな二人を周りの人はただ見ていました。ある日B君はそんな毎日が嫌になって自ら命を絶ってしまいました。)


問一(一番悪いのは、A君、B君、周りの人のうち誰だと思いますか?)


問二(一で答えたその人はこれからどうすればいいと思いますか)


実際には道徳の皮を被ったいじめ講習だった。こういう問題でこういう質問をされればまず間違いなくA君を正そうとする意見が集まる、間違ってもAくんを擁護する流れにはならない、最後には反面教師的にA君みたいにならないようにしようという結論に終着する。そこに、否応なくたどり着くように刷り込まれた作者の意図や仕掛けに気付くような子はなかなかいない。要は、いじめはダメなことなんだという思考にこの時間だけでもなってくれさえすればいいのだ。ほとんどの生徒はいじめはやってはいけないという趣旨の一番こちらの欲しがっていたものを書いてくれていた。順調に添削も進んで、あと四枚で終わりだというところでこれが出てきた。まるで別のところから間違って挟み込まれたみたいに、その一文は浮いていた。


「A君」


「悲しむ人がいなくなるまで殺し続ける」


クラス全員分の添削を終わらせた上で改めて見返してもこれが一番突飛な答えだった。今日の授業の時も、ここ一週間の授業態度においても、ひいては六年生の一学期が始まって三か月ほど経つが彼女に対して問題行動を確認した記憶は一切ない。むしろ真面目で手のかからない生徒としてみていたので、余計に驚いた。おかしな解答をしている生徒は他にもいたが、どれも基準値に収まる内容で、取り立てて問題視する様な回答はなく、やはりこれだけが際立って目を引く。とにかくこれで明日のやることが決定した。彼女と面談することと、これをいかに穏便に教頭に報告するかということだ。



朝までに今日やるべき用事のほとんどを済ませてしまっていた。教頭への報告は実にあっさりしたものだった。こちらがいくつかの想定問答を用意してきたのが馬鹿みたいに『先生にお任せしますよ』の一言で終わった。茜ゆねはには今日の6時限目のクラブ活動の前に進路相談室に来るよう伝えてあるから、あとはここで本人が来るのを待つだけだ。二年前の、つまり茜ゆねはが小学四年生だった頃の学校記録を開きながら当時のことを思い返す。明るい生徒だったように思う。自分から前に出るタイプというよりまわりの様子を冷静に見れる子、だからと言って孤立している分けではなく、彼女の周りには常に何人かの生徒がいるイメージ、四年生の終業式を終えるまで、彼女のことが問題として職員会議などで議題に上がったことは一度もない。やはりこの時から手のかからない生徒だった。それから研修でここを離れて戻ってくるまでに二年間、確かに久しぶりに茜ゆねはを見た時大人になったなと素直に思った。それはこの時期の子供の成長を考えれば当然のことで、単に微笑ましいくらいに見ていた。

教室のドアがノックされ嵌め込み式の窓ガラスが振動音を立てた。「失礼します」という呼びかけの声が聞こえた後、静かに扉が引かれてそこから顔を出したのは茜ゆねはだった。

「おう、来たか」

こくりと小さく頷くと周りをキョロキョロしながら入ってきて一番手前の椅子に腰を下ろした。

「悪かったな急に呼び出して」

「別に大丈夫ですどうせ行っても本読むだけですし」

「文芸クラブ」

「読書クラブ」

「あっ、そっかそっか、でも意外だな、茜はバスケのイメージがあったからな」

「もうやめましたよ」

彼女は淡々と答えた。

「あのー先生、そろそろ、私って、なんかありましたっけ?」

首をかしげる彼女を見てこれは本当に心当たりがないのかもしれないと思った。

「昨日道徳の問題やったろ」

「はい」

「その回答が気になったものだからさ」

「私間違えてましたか」

「いや、道徳だから間違いとかはないんだけどね」

「合ってたんですか」

「うーん、茜は自分が何て書いたが憶えてるか」

「えーっと」

顎に手を置いて思考を巡らせている茜の前に回答用紙を出してみた。茜は特段拒否反応を示すこともなく素直に反応し自分の書いた答えに視線を落とした。

「改めて自分の書いたものを見てどう思う」

「うーん」

茜は自分の字を見つめながら唸った。

「面白くないですね」

「えっ?」

「その時はちょっと面白いかなと思って書いたのに今見たら全然」

「じゃあこれは真剣に書いた答えじゃなくて、ふざけて答えたってことか」

「えっ、そんな人いっぱいいましたよ」

茜は口をとがらせて言った。

「じゃあ確認だけどここに書いてあることは本当の意見ではないということでいいんだな」

「あー最悪」

「何が最悪だ」

「私これのために呼ばれたってことですよね、まさかこれを本気に取られるとは思わなかったな、私も横に絵かなんか書いておけばよかった」

「あのな、道徳は遊びじゃなくてちゃんとした授業の一環なんだぞ」

「どうせ呼び出したのも、私だけなんでしょ、みんなふざけてたのに」

「それは」

「なんでみんなは許されて私は許されないんですか、私が真面目だから?全然違うし」

「あのな、そもそも授業で出された問題に対して真剣に答えてない時点で―」

「はいはい分かりました、道徳っていうのは自分の意見じゃなくて真面目なやつだったらどう答えるかを妄想して答える授業なんですね」

早口でそれだけを一気に言い切った茜は何もしゃべらなくなった。茜にしてみたら自分だけが貧乏くじを引かされたみたいで確かにそれは面白くないだろう。俯く茜になるべく優しい口調を意識して、

「茜、先生はただ茜の話を聞きたかっただけで、責めてるわけじゃないからな」

「じゃあもう話したから行っていいですか」

こちらが答える前に茜はその場で立ち上がった。もはや引き留める理由がなかった。茜はイスをもとの位置に戻して、まっすぐ出口に向かった。

「茜、悪かったな」

茜の背中に向けて咄嗟に声が出た。彼女は一瞬足を止めてそれからこちらに振り向くと同じ足取りで私の前まで来て顔を上げた。

「先生は私のことどう思う」

茜はまっすぐな目でそう言った。

「どうって」

「真面目だと思う?」

「それは」

真面目以外の答えを探してるうちに会話の流れが切れてしまった。

「やっぱな、先生にとっての私ってあの時のままでしょ」

「あの時って、四年生の?」

「先生に自分は真面目だと思われてると思ってた、でもそれってこっちに伝わると結構プレッシャーなんだよ」

最後に茜は、はにかむような笑顔を見せた。

「先生は別に茜のことをそんな風に―」

「何まじで焦ってんの、先生ってホントに冗談が通じないね」

茜が笑い声をあげた。さっきの笑顔とはまるで違う本当に可笑しくて笑う茜は目が三日月みたいに細くなってそこにはまだ幼さが残っていた。

「じゃあそんな先生に私からアドバイスしてあげる」

「うーん、よし聞こうじゃないか」

顔の前で人差し指をぴんと立てる小さな先生の前で姿勢を正した。

「先生はもっと生徒のことをちゃんと見たほうがいいよ」

それはアドバイスというより訴えに近かった。

「先生は・・・・・・見えてないか」

「そうだよ先生は何も見えてない、ていうか、見えてなかった」

「なかった」

「だから先生もっとちゃんとしな、じゃあ私もう行きますから」

茜は教室から出て行った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る