第30.5話、忠実な欲望を



 ――どうして、かのじょではないのだろう?


 幼い頃、少年は一人の女性を見ていた。

 生まれた時から『スペア』として育てられた少年は、自分の名前もなく、ただある一室に閉じ込められていた。友人も、家族も、誰も会いに来てくれない。そもそも自分の存在を知っているのは『母親』だけだった。

 『母親』は滅多に少年の所には訪れない。何かない限り――そんな少年は、ある一人の女性に目が行った。

 美しい瞳をした、女性だった。制服を着ていたから学園に通っている人物なのだろうとすぐに理解した。隣には笑顔で彼女の手を握っている少女の姿。似ているから姉妹だと認識出来た。

 少年には、『兄』が居るのだが、『兄』は自分の存在を知っていないから、会いに来ることもない。


 ――誰も、僕を認識しない。


 少年は今日も窓の外を見る――窓を見ると、今日も同じ時間に、制服ではないのだがいつもの服装で王宮を歩いている人物――彼女はあれから王宮魔術師になったらしい。『母親』が最近会いに来ては憎い人物の名を言っている。

 どうやら、その人物が、いつも見ている女性だったと言う事。


 アリシア・カトレンヌ。


 それが、彼女の名前だった。


 『母親』から聞いて、何とか簡単な情報を聞き出す事が出来た。彼女――アリシアは王宮魔術師の一人であり、『氷の魔術師』と謡われている存在らしい。氷の魔術の扱いがうまく、同時に妹であるカトリーヌを溺愛している言われているほど、大事にしていると言っていた。

 そんなカトリーヌ・カトレンヌはどうやら『兄』の婚約者らしい。『兄』がどのような人物で、どんな姿なのか、少年は理解していない。


 しかし、きっとアリシア同様に、カトリーヌも素敵な人なのだなとその時、少年は理解した。

 同時に思ってしまった。


 ――どうして、僕は『スペア』なのだろうか、と。


 元々、欲と言うものはなかった少年に、その時初めてできた『欲』だった。彼女たちは自分ではなく、『兄』を見ていると言う事がわかった時、どうして自分ではないのだろうと、思ってしまった。

 普通だったら、そのような事を想ってはいけないはずなのに。

 それから徐々に『欲』が進行してくる。


 最近、アリシアがレンディスと言う男と、そして自分の義理の兄であるファルマと三人、仲良く歩いている姿が見られた。特にレンディスと言う男はアリシアに何度も声をかけながら、今後の状況、次に行く討伐、等々色々と聞いている姿を、少年は見ていた。

 それがとても、嫌だった。

 この『感情』が一体何なのか、理解出来なかった自分自身に、最近一緒に居てくれるようになった『男』が言った。


「――欲しいのではないか?」


 だれが、だれをほしいと?


「お前が、アリシア・カトレンヌと言う女を欲している、と言う事じゃないのか?」


「その顔は、一人の女としてみている、顔だ」


 『男』はめんどくさそうな顔をしながらそのように告げた。そして、自分自身の『欲』がすぐに分かった。

 ほしいと願ってしまったのだ――アリシア・カトレンヌと言う存在を。

 驚いた顔をした後、すぐに彼は『男』に視線を向ける。


「……ねぇ」

「なんだ?」


「――……僕は、『フィリップ・リーフガルト』になれるかな?」


 静かに呟く彼に、『男』は笑った。

 全ては順調に進んでいたと思っていた。

 妹のカトリーヌ・カトレンヌと婚約破棄をする事が出来た。しかし、予想外だったんは、フィリップが吹っ飛ばされるほどアリシアに殴られた事。流石にこれには驚いてしまった。

 本当に、昔から彼女は妹を大切にする存在だとわかっていた。わかっていたからこそ妹が傷つくように、そして二度とフィリップに婚約出来ないように配慮したつもりだったのだが――。


 裏で、『占い師』となった男が、『フィリップ』に近づき、嘘の話を作った事で、彼はそれを信じ、まるで人形のように行動してくれた。

 母親であるラフレシアも『占い師』を信じた。多少『魅了』が少しだけ入っていたとしても、きっとラフレシアは永遠に気づかない。今の彼女はアリシアと言う人物しか見ていないのだから。


 ラフレシアが暗殺者たちを送り込んだのもわかっていたが、アリシアが簡単にやられるはずがないとわかっていたからこそ、動く事はなかったし、王宮の方でとにかく進めていき、ラフレシアの暗殺に成功した。

 このまま、全てはうまくいくと思っていたはずだった。


 アリシアが求婚された――レンディスと言う男に。


 すぐさま殺そうと思い、『占い師』を行かせたのに、どうやら厄介な相手に見つかってしまい、消えてしまった。


 数年前の契約した、『悪魔』だった。

 元々召喚師としての知識は少しだけ独学で身に着けていたので、思い切って召喚してみると、下級だが彼にとって、初めての『友人』だった。


 友人が消えてなくなった。

 代償として、身体の一部にやけどの痕が残る――そのケガを治してくれる人たちも居ない。これもすべて独学だ。

 唇を噛みしめるようにしながら、彼は憎々しく、その名を口にする。

 どんな事をしても、手に入れたい一人の女性の名を。


「あ、ありしあ……アリシア・カトレンヌ……ッ」


 どんな事をしても、この手で掴んで手に入れた。

 『自分自身』を認識させたい。

 唇を噛みしめるようにしながら、彼は自分の血を使い、地面に何かを描き始める。

 全てを描き終えた後、彼は静かに、笑ったのだった。

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