半分ちょーだい

鳩紙けい

はんぶんこ

「ねえ郁人いくと、それ半分ちょーだい」


 幼馴染の櫻田さくらだ吉乃よしのは、昔からなにかにつけて俺の物を欲しがる奴だった。


 覚えている限り、小学校高学年の頃には確実に発症していた。それより昔はあまり覚えていないけれど、吉乃のことだ、幼稚園の頃からでもおかしくない。


 高校生になった今では随分大人しくなった気がするが、恐らく気のせいだろう、とにかく吉乃は昔から欲張りなのだ。


 ジャイアントコーンという人類最強のアイスがある。およそ知らない者はいないであろう人類の叡智の結晶だ。


 赤・青・黄と聞いて最初に連想する物はなにか、と問われたら俺は迷いなくジャイアントコーンと答える。いずれ信号機に取って代わる存在だと昔から期待しているのだが、その話は一旦脇に避けるとしよう。


 ある日俺はなけなしのお小遣いでジャイアントコーンを買った。

 あのアイスは一人で満喫するタイプの食べ物で、譲りに譲って一口までなら分けてやってもいい。


 しかし吉乃は「半分ちょーだい」と臆面もなく言い放ったのだ。


 本来ならば語気荒くお断りするところだったが、ふと、どのようにして半分を得るつもりなのか気になった。


 愚かな選択だった。あの頃の俺は青かった。


 吉乃が取ったのは同い年どころか血の通った人間とは思えない行動で、約21cmの全長からきっちり半分、10.5cmをコーン側ではなくアイスの側から食べたのだ。


 半分どころか大半である。吉乃の目にはジャイアントコーンは円柱に見えているのだろうか。


 残されたコーンと満足気な吉乃を交互に見つめた小五の秋、俺はこいつの前で二等分出来ない物は食わないと誓った。


 以来、半分差し出せるものを選ぶよう常に心掛けている。

 

「またかよ。そんなに欲しけりゃ半分じゃなくて全部やる」

「ううん、半分でいい。私は慎み深いから」

「言っとくけど大前提として欲深いからな」


 俺は届いたオムライスを真ん中から二つに割って小皿に移し、吉乃へ差し出す。

 受け取った吉乃が「うむ。ありがと」と頷いた。


 今日は土曜日。

 特に予定が無かったので、そういえばクラスメイトの誕生日会に誘われたからプレゼントを用意しよう、と買い物へ出ると、いつの間にか吉乃がついて来ていた。


 暇を持て余す幼馴染を放っておくわけにいかず、加えて女の子が喜ぶ物は女の子に聞くのが一番というのもあって、一緒にあちこち歩き回り無事プレゼントを購入すると、丁度お昼時だったので目に付いた店へ入り、今に至る。


 要するに暇な学生が慣れ親しんだいつも通りの休日を過ごしているというわけだ。


「じゃあ俺にも半分くれよ」

「仕方ないなぁ」


 そう言って吉乃は俺のオムライスよりも先に届いていたハンバーグを半分に切って、俺に寄越す。


 ライスが無いのは俺から奪うつもりだったからだと考えるのは、穿ち過ぎではないだろう。かくいう俺も、重量のあるメニューは吉乃に託すことが多いのでとやかくは言えない。


 いつもこうやって、半分ずつ分け合うのが、俺達の間にある不文律というやつだ。


「郁人からは半分以上取り立てないって決めてる。貰えなくなると困るし」

「取り立て? 俺はお前に善意を施してると思ってたんだけど?」


 確かに吉乃が、半分以上受け取ったことは、俺の記憶にある限りではほとんど無い。

 それが自身に課した厳守すべきルールであると言外に伝えるように、決して、半分以上は受け取らない。


「言ったでしょ。私は慎み深い」


 慎み深い奴は半分なんて言わねえよ。せめて一口とか見るだけとかだ。


「いつも思うんだけど、どうして半分なんだよ。他人から物を貰うのに半分って一番半端な要求だろ」

 

 一口でもなく全部でもなく、半分。振り切ってない強欲だ。


 いつしか当たり前になっていたので理由を聞くのを止めていたが、久しぶりに、俺は訊いた。最後に訊いたのは何年前だったか、新鮮な答えが返ってくると期待しての発言だったが、吉乃は見事に応えてくれた。


「郁人がくれる半分は、大切」


 いつもだったら「半チャーハンみたいな感じ」と適当にはぐらかすのに、今日は妙に嬉しいことを言ってくれる。


 吉乃にとって俺はただの幼馴染なのか、それとも異性として意識する存在なのか図りかねていたので嬉しい発言だ。

 これで俺に気があると判断するわけではないけど。


 休日はほとんど一緒に過ごしているし、この半分を要求する行為だって実にあざといものだし、吉乃も俺を少なからず思っている……とは思うけど、いまいち表情に出ない奴なので、胸の内は分からない。


 クラスの女子を見ていると、思わせぶりな態度を取っておきながら本命は別にいる、といったケースが決して少なくなく、そこでようやく俺は恋愛の難しさというものを実感した。


 だから吉乃も、実は別に好きな男がいたとしてもおかしくはないのだ。

 おかしくはないが、冗談じゃない。俺は記憶にないほど昔から吉乃のことが好きなのである。


 叶うならば幼馴染の距離感を保ちつつ、もう一歩踏み込みたい。


「詳しく教えてくれよ」

「覚えてないの?」

「……悪いけど覚えてないな。まさか俺達の間にも幼い頃に交わした約束ってのがあるのか?」

「ないけど。ひとっつも」

「それはそれで問題な気がするぞ俺は」


 吉乃は薄く笑って、続ける。


「理由はいくつかある。一つは欲張りだと思われたくないから」

「…………そうだな。お前は謙虚な良い子だよ」

「ちょっと待って、食べる」


 口いっぱいにオムライスを詰めて咀嚼する吉乃。

 その姿のどこを見て欲張りじゃないと思えばいいんだよ。


 しっかり噛んで飲み込んだ吉乃は続けてアイスティーを一気に飲み干し、一息つくと俺の手元に視線を置いた。


「なくなっちゃった。ねえ郁人、そのウーロン茶」


 言い訳の余地なく強欲なことを言いやがった。

 俺が無言で視線を送ると、吉乃は恥ずかしそうに頬を掻いた。


「流石にじょーだん」

「別にいいから飲めよ」

「じょーだんだって」


 ウーロン茶をコースターごとスライドさせたが、突っ返される。


 吉乃なりの線引きがあるようで、今回のウーロン茶に関しては断固として受け取らなかった。

 長い付き合いの中でも、未だどういう風に区別されているのかは分かっていない。


 新たにオレンジジュースを注文すると、脇に逸れていた話が元に戻った。


「なんで私が半分を好きなのかだけど、小っちゃい頃の話する。郁人、小学生の頃、色鉛筆大事にしてたの憶えてない? 私はあれがすごく羨ましかった」

「色鉛筆……?」


 言われてみても全然ピンとこない。

 吉乃への恋心が自分なりに分かりやすく形になった思春期、その悶々とした日々の記憶が強すぎるのだ。


 だけどまあ、小学生の頃は派手な物が好きだった気がするから、子煩悩だった祖父が色の多さで選び、買い与えてくれた可能性は十分にある。子供の頃は珍しい物を持ってりゃ誰だってヒーローだ。


 吉乃は頬を緩ませて、懐かしむように続きを語る。


「30色以上あったんじゃないかな。すごく綺麗だった。周りのみんなも羨ましがってた。郁人は優しいから、みんなに貸して一緒に絵描いてたよ」


 マジで全然覚えていない。

 今じゃ美術は苦手だし、話を聞いても自分と結びつかないが、吉乃が作り話をしているようには感じられなかった。


 俺は「そうだっけ」と言って、目線で続きを促す。


「私も混ざりたかったけど、遠くから見てた。うまく話せないから、変な空気にしちゃうと思って」

「それは覚えてる。昔の吉乃は引っ込み思案って感じだったな」

「まあね。私が寂しそうにしてたからかな、郁人が言ってくれたんだよ。一緒に遊ぼうって」


 自信は無いが、多分俺は普通に吉乃と遊びたかったんだと思う。

 初恋がいつなのかは覚えてないが、初恋が吉乃なのは確実だから。


 記憶の底にいる五歳の頃の吉乃は今も色鮮やかだ。あの時はまだ、好きとか嫌いとか、よく分からなかったけれど。

 もしかすると一目惚れしていたのかもしれない。


「誘ってくれた。でも断ったの。私はいいよって。だけど郁人はずっと誘ってくれて、ちょっと喧嘩になったけど、どっちも引かなくて。そしたらさ、郁人が」


 そこで吉乃は恥ずかしそうに笑った。

 

「色鉛筆、半分あげるって。今日からこれは吉乃の物だって言ったの」

「……そんなこと言ってたのか、俺」


 半分。まさか俺の方から言っていたのか。


「うん。私、びっくりしてさ。あんなに大事にしてたのにどうしてって思った。それで、戸惑ってたら郁人が言ったの。吉乃が来てくれると色が増えてもっと楽しい。一緒に遊ぼう」


 それを聞いて俺は、がっくりと項垂れた。

 なんてこっぱずかしいことを言ってんだ昔の俺は。


「ケチくせぇ……どうせなら全部やれよ昔の俺」

「そんなことない。半分だから嬉しかった」


 思わず口を出た呟きだったが、自然消滅すると思いきや、吉乃に強く否定された。


「郁人の大事な物を、一緒に大切に出来るのが嬉しかった。一人にしないでくれて、嬉しかったの。だからね、ありがとう。郁人」


 実直な瞳で俺を見据えてそう言った吉乃は、見る見るうちに顔を真っ赤にして俯いた。

 俺も恥ずかしくなって視線が全く定まらなかった。


 言葉が喉元で渋滞して上手く送り出せずにいたが、なんとか無理矢理、会話を繋げる。


「そ、そうか……そう言ってもらえると、俺も嬉しい。でもなんで、今日に限って話してくれたんだよ」


 沈黙が再び訪れ、ややあって顔を上げた吉乃が、真っ赤なまま目を細めて言う。


「今日買ったプレゼント、あれほんとにクラスメイトにあげるやつ?」

「だからそう言っただろ」


 ふーん、と冷たい反応が返ってきた。

 あからさまに信じてねえなこいつ。


 他にどんな可能性があるっていうんだよ。俺はお前しか見てねえってのに。


「まあ、誰にあげてもいいよ。私はこれからも郁人から取り立てる」


 望む所だ。俺だってずっとお前と半分ずつ分け合っていくつもりだよ。


 ずっと、一緒に居るつもりだよ。

 言葉にしたことは、ないけれど。

 …………言ってやろうかな。


 吉乃が言葉にしてくれたように、俺も吉乃に、伝えてみようか。


 どう考えても脈ありとしか思えない発言を受けての決心というのは中々情けないが、言うなら今しかないと思った。

 

「じゃあ、俺の人生も半分やるよ」


 思い切って、しかし冗談めかして俺は言った。

 心臓が破裂しそうなのを表情に出さないよう、平静を努め返事を待つ。


 すると吉乃は静かに首を振った。


 …………マジかよ。

 確かに保険かけてて情けないけど。

 貰えよ。貰ってくれよ。


 これは慎み深いわけでもなんでもなく、ただ単に受け取り拒否されただけ。


 思い上がった自分をぶん殴ろうと思ったが、しかし吉乃は淡々と、それでいて力の籠った声で言った。


「郁人の人生は全部貰う」


 半分じゃ足りない、と。

 恥ずかしげもなく恥ずかしいことを。


「嬉しい。やっと言ってくれた。ずっと待ってた」

「……それは悪かった」

「大成功。企んだ甲斐があった」


 上手く目を合わせられないところに、なにやら不穏な発言が飛び出した。

 企んだって、何を言ってるんだ。


「企んだって何をだよ」

「はんぶんこ。さっきの話は本当だけど、それだけじゃない。郁人が何かを手にする度に私のこと考えるよう刷り込んでたってのが、どっちかというと真実」


 そう言って吉乃は自慢げに笑う。


 …………お前なあ。

 大成功だよ。

 俺は吉乃を基準に物を選ばされてる。

 まんまと俺は吉乃の策略に嵌っていたらしい。


 絵に描いたような思惑通り。俺と違って吉乃は絵を描くのが上手だ。


 ここまでお膳立てされたのだから、せめて。

 降参の意思も込めて、今度は逃げずにはっきり気持ちを言葉にした。


「俺は吉乃のことが好きだよ」

「なんて?」

「吉乃のことが好きだ」

「え?」

「ずっと吉乃のことが好きだった」

「ん?」

「…………聞こえてるだろ」

「聞こえない。ちゃんと言って」


 あと何回言えば満足してもらえるのかは分からないけど。

 こうなったら吉乃が恥ずかしさでギブアップするまで言ってやろう。


 やっぱりこいつは欲深い。

 俺の好きな子は、欲深い奴なのだと、そんなところも好きだと、そう思った。


「なあ吉乃。俺も半分欲しい物があるんだけど」

「いいよ。なにを?」

「今はまだ言わねえ」


 なんでよ、と吉乃が身を乗り出してくる。俺は笑って誤魔化した。


 これからもずっと、俺と吉乃は半分ずつ分け合いながら生きていく。


 だから俺の欲しい物は、もう少し大人になったら、伝えてみよう。

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