迷える吸血少女

 天使が実在し、彼らによって願いを叶えてもらった人間は、天使の成り損ないとなる。成り損なった者は、人間にはない力を手にし、テンシと呼ばれるバケモノに等しいものへと変化する。

 そして天使が同族を作る目的理由は、人間界を楽園と化するため。楽園は全人類が大天使の歌声によって、それぞれが幸せな夢を永遠に見続ける、そんな世界。その大天使の魂を人間界で保つため、人間から作った天使の体が必要なのだ。

 リーベは大天使は完成し、今、ここに居る自分である事も説明した。だがすぐ、楽園化には反対であり、今はテンシ狩りたちの監視元、世界を勉強しているのも付け加えた。敵意はないと、蝶子に少しでも安心してほしかったのだ。


「そ、それって、いつでも殺される立場って事じゃ」

「うん。だって、蝶子が苦しんでるのも、わたしが存在するから起きた事なんだ」


 大天使は完成した。しかしそのために作られ続けたはずのテンシは、未だ生まれている。それは蝶子のように、リーベの散らばった核を服用したからというのがある。

 悪いのは大天使を作ろうとした人物と、それを利用した人間だとリーラは言った。確かにそうかもしれないが、だからと言って何も罪がないわけではない。だから、自分なりに全うする方法を探している。


「テンシ……」


 蝶子は先日の出来事を思い出す。夢だと思っていた天使が現れた時、そういえば「狩人には気を付けてね」と言っていた。あの時はそんな言葉が耳に入るほど余裕はなく、今の今まですっかり忘れていた。

 本当に、わけの分からない事だらけだ。アニメや漫画の世界だと思っていた天使の存在に、世界をどうこうしようとしている組織。そしてそれに抵抗するための国が極秘にする仕事。


(本当、死んで異世界にでも来ちゃった気分。アニメ展開すぎ……だけど、現実なんだ。この、喉の渇きだって。今朝の出来事だって)


 蝶子は渇きを抑えようとするように、細い首元を撫でる。そして拳をぎゅっと握ると、覚悟を決めるようにリーベと向き合った。


「そのリーラさんって人と、会えないかな?」

「! わたしも、そうしようと思っていたんだ。リーラはいい悪魔なんだ。蝶子みたいな人は、狩らないで保護をしてくれるんだって。そういう人、いっぱいいるんだ」

「保護……。でも、僕は」


 両親を殺してしまった。それは大きな罪で、きっと保護なんて甘い事はされない。蝶子はそう言いかけたが、リーベがあまりにも嬉しそうにするのを見て、言葉を濁した。

 どんな方法だろうと構わない。ちょうど方法を模索していたところだったから、その狩人が退治してくれるならそれでいい。最後にいい思いができたから、本当に未練はない。

 リーベはスマホでリーラに「わたしの核を持ったテンシと会ったから、一緒に帰る」と連絡した。さっそく帰ろうと、会計をし、カフェから出てロイエまでの道のりをマップで調べる。だが一瞬道が表示されたと思うと、画面が消えた。何度タップしても、うんともすんとも動かない。横のボタンを押すと、赤いゲージが点滅する。


「充電無くなっちゃったみたいだね。地図アプリも使ったし」

「こわれちゃったのか……っ?」

「壊れてないから大丈夫だよ。またコードに刺してあげれば動くから」

「そ、そっか、良かったぁ」


 だが帰り道が分からなくなった。ここへ来るまでの道なんて、ほとんど覚えていない。それに普段は、リーラの翼に頼って空から帰る事が多い。


「わたしが飛べたらいいのに」

「あ……僕飛べるよ?」

「ほんとかっ?」

「うん。ドイツから日本に来たのも、飛んで来たんだ」


 空から見れば道が分かる。ロイエは奥まった場所にあるが、外観が特徴的だからすぐに見つけられるだろう。

 人を運ぶのはやった事がないから不安だが、人間だった頃より筋力が上がったのは確かだ。しかしどうやって持ち上げようか。背は蝶子の方が高いが、それでも抱っこは厳しい。うんうん唸っていたが、やがて彼女は「あ」と思い付いてリーベに背中を向けた。


「おんぶ、知ってる?」

「? どうやるんだ?」


 リーベはしゃがんだ蝶子の説明に従っておぶさった。腕は首にではなく、彼女が言った通り肩に置いた。男の子をおぶるのは初めてで蝶子は不安だったが、全く問題がなかった。リーベはまだまだ標準体重よりもはるかに軽い。

 蝶子は「じゃあ行くよ、ちゃんと捕まっててね」と言うと、自分の体にぐっと力を入れた。その瞬間、首から四枚の羽が広がった。翼はリーラので見慣れているが、器用に動かして空に連れて行く蝶子のは、まるでコウモリのような形をしている。


「分かる?」


 物珍しく眺めていたリーベは、尋ねられて急いで道を探した。しかし中々に見当たらない。すると、BAR『ローズ』を見つけた。1度は眠ってしまったから帰り道を知らなかったが、あれから何度かリーラと行っている。ローズからロイエはそう離れていないも、ちゃんと覚えていた。繁華街を超え、その先の細い通り道だ。

 空から緑色の瞳が道をなぞり、ようやくロイエの黒い屋根を見つけた。


「あった!」

「よし、落ちないように捕まって」


 蝶子はバランスを取りながら、慎重にロイエの前に降り立つ。大きなガラス窓はカーテンが掛かっていて中が見えない。リーベを下ろし、銀と黒のシックな看板を見上げて改めて首をかしげた。

 家に居るのが多かった蝶子は、勉強熱心な少女だった。だからドイツに住んでいた頃に、日常会話程度のドイツ語はマスターしている。だからこそ、ロイエが「懺悔」や「悔い改めよ」という意味で、店の名前にしては珍しいと思ったのだ。これだけではどんな店なのか、初見では想像もできない。

 リーベは蝶子の手を引き、クローズの板が下がったドアのノブを握る。しかし向こう側から回されたのか、力を加えずに勝手に開かれる。ドアを内側から開けたのは天だった。店の前で迷ってもいけないからと、少し様子を見に来たのだ。

 リーベは久しぶりの天に、瞳を黄色に輝かせて抱きついた。


「やっほ、リーベ君。おかえり。もしかして、充電切れちゃった?」

「ただいま! でも、大丈夫だった」


 後ろを向いたリーベにつられ、天は控えてたいた蝶子を見る。しかし彼女は天を驚いた様子で見つめ、口元を手で覆っていた。そして小さく「顔面偏差値高すぎ問題。顔面国宝」と呟く。相変わらず早口だったが、言われた本人は一瞬ポカンとしたあとに意味を理解し、可笑しそうに笑った。


「あはは、私美人でしょ」

「はい。自覚してるところが余計に可愛いです」


 その言葉に天は吹き出す。そこで蝶子ははっと我に返ったのか、慌てて頭を下げた。


「す、すみませんいきなり……!」

「いいよいいよ。私は天。よろしく」

「蝶子です。その、えっと」

「うん、リーベ君から聞いてる。中にいるよ」


 天はドアを開け、中に促す。蝶子は生唾を飲み込みながら緊張気味に頷き、ドアを潜った。リーベは不安を取り除きたくて、彼女の少し汗ばんだ手を握って一緒に店内へ進んだ。

 天はレジ奥にある客間のドアを「来たよ」と言いながらノックした。すぐ「そうぞ」と返事が来る。

 蝶子はドアが開くとぎゅっと目を閉じ、深く深呼吸した。すると、爽やかでいて甘い香りが鼻腔を刺激する。恐る恐る開いた赤茶の瞳と、アメジストのような紫の瞳が合わさった。

 リーラはいつもと変わらない穏やかな笑顔で、蝶子に手を差し出した。その瞬間、蝶子は自身に電流が走った感覚を覚える。


「ようこそロイエに。ワタシがリーラだよ、よろしく」

「──が」

「が?」

「二次元が三次元してる」


 リーラは聞き慣れない言葉の羅列に、「ん?」と目をパチクリさせた。蝶子はそんな彼女の手を、手袋越しに両手で握る。


「推します……!」

「おす?」

「貢ぎます。いいえ貢がせてください。めちゃくちゃ推します」


 基本的な日本語は全部知っているつもりだったが、リーラは蝶子の言っている意味が全く分からず、天に助けの視線を送った。自分はどこに押されるのかと戸惑うと、天は「そっちじゃないよ」と付け加える。


「ん~……なんていうか、タイプ、的な感じかな? アイドルとか、アニメのキャラとかによく言うよ」

「顔がいい……ガチ恋になってもいいですか……! 僕は蝶子と言います。認知してもらえるならなんでも致します」

「ワーオ、ここまで積極的な子は初めてだな」


 リーラは考えるように「ふむ」と呟き、蝶子をじっと見つめた。赤茶色の瞳が興奮に潤んでいる。半分何を言っているか分からなかったが、熱意は伝わった。そのいじらしさが、リーラにとっては愛くるしい。

 リーラはクッと笑うと、蝶子の指先に口を近づける。


「そうだね……。クールな子も嫌いじゃないが、キミのような積極的な子の方が好みかな。好意として受け取ろう」


 蝶子の口から「ひえ」と短い悲鳴が聞こえたかと思えば、ふらりと体が不安定に揺らぎ、そのまま倒れた。まさか倒れると思っていなかったリーラは、慌てて支える。


「あ~ぁ、ダメだよリーラ」

「ワタシのせいなのかね、これは……?」

「そうだよ、推しの過剰摂取は毒なんだから。供給は多すぎてもダメなんだよ」

「何言ってるのかさっぱり分からん」


 初めて天に翻訳が欲しいと感じた。リーラは蝶子をひとまずソファに寝かせ、心配そうに様子を見守るリーベに水を持ってくるよう頼んだ。

 息がしやすいよう、マスクを外して改めて蝶子を見ると、顔色の悪さが分かった。目の下にも薄らクマがあり、頬のコケはないものの体の線も健康と言うには細すぎる。そして何より、濃い血の匂いが染み付いていた。


「この子さ……オタクだよね」

「ああ、おた……Wasなに?」

「ん?」

「真剣な顔で何言ってるんだ」

「だって人の顔見て顔面国宝とか言うの、オタクの語彙力だもん」

「そんな判断でいいのか……? ていうか顔面国宝って言われたのか」

「私美人だからね」

「そう言うところ好きだよ」


 そこまで言って、リーラはそうじゃないと頭を振る。


「ワタシは例の吸血事件のテンシだろって話をしたいんだがね」

「あそっち?」

「そっちもこっちもないと思うぞ。今日のキミ大丈夫か」

「仕方ないじゃん、リーラアニメ詳しいけどオタクじゃないでしょ? オタクは同士が会うと盛り上がる性質なんだよ」

「性質……。他に言い方無いのかね」


 リーラは日本語の学び方が少し特殊だ。元日本代表から生前、教材にお薦めだと言われたアニメや映画で学んだのだ。だから詳しいのだが、好きでというよりかは教材面でしか見ていない。日本らしい文化の一つだとは思うが。

 蝶子の閉じていた目蓋が、小さく震える。それにいち早く気付いた天は「大丈夫?」と、顔を覗き込む。そんな晴天の空のような瞳を捉えた蝶子の目は、気絶前よりも血のような赤が濃く滲んでいた。ギラリと怪しく瞬いたような気がする。その瞬間、蝶子は飛び起きると天に襲いかかった。


「アマ君!」

「うわっ」


 咄嗟にリーラが天を押し除ける。天は少し遠くで尻もちをついて無事だったが、リーラはそのまま蝶子に押し倒された。

 激しい音は、キッチンで飲み物を淹れていたリーベにも聞こえていた。一体何があったのか、彼は慌てて客間に戻る。


「リーラ……!」


 彼女の頬とカーペットに、パタパタと真っ赤な血が広がって行く。しかしそれはリーラのではなかった。何故なら蝶子が鋭い牙で噛み付いたのが、自分の腕だったから。

 頬に落ちた血に、別の雫が落ちる。それは蝶子の見開かれた真紅の瞳から流れていた。彼女は必死に、息を荒げながら吸血の欲求に耐えている。その欲求は、人間で言えば三代欲求に含まれるもの。渇きの苦しさは計り知れないはずだ。様子からして、相当な時間血を我慢していただろうから。

 リーラは手袋を外すと、震えている蝶子の肩に優しく触れて宥める。


「チョウコ君、腕を離すんだ」


 首を横に振る彼女に「大丈夫」と何度か繰り返し諭す。しばらく説得をしてようやく、恐る恐る腕を離した。その間、リーラは後ろ手でリーベに、飲み物をこっちへ持って来るよう指示する。

 背後で持って来た自分用のコーヒーのカップの上で、ぎゅっと拳を作る。人間よりも鋭い爪は鱗のある黒い皮膚を簡単に貫き、血を垂らした。その数滴が黒い水面に落ちて溶ける。リーラは血を混ぜたコーヒーを、しゃくりあげながら謝り続ける蝶子に差し出した。


「これを飲みたまえ。落ち着くよ」

「でも……」

「大丈夫だ。ワタシを信じて」


 蝶子は震える手でそっとカップを傾ける。血の混ざったコーヒーは吸血の欲求を穏やかにした。いつの間にか震えは治っている。


「落ち着いたね?」

「は、い」

「大丈夫? 蝶子ちゃん」

「蝶子……!」


 そう言った天とリーベに、蝶子はびくっと体を跳ねさせた。そして引き始めていた涙が目元に溜まりだす。


「ごめんなさい……僕……ぼく」

「泣かないで、私は何にも無かったし」


 天は蝶子を抱き寄せて頭を撫でた。彼は比較的、危険の少ない生活が多いが、何しろテンシ狩りに協力して体を張るのは慣れている。悪意の塊を相手をする事だってあるのだ。


「ぼ、僕を、殺してくれますか? リーラさんは、テンシを狩るんですよね? 殺せますよねっ? 僕もう嫌なんです、誰の血も吸いたくないっ」

「……確かにワタシはテンシ狩りだ。だがリーベから聞いているだろうが、保護の活動もしている」

「はい、聞いてます。でも僕は……」

「キミはドイツ在住のイガラシ マコト、カナデ夫妻の娘だね?」

「え……はい。ど、どうして」

「そして日本時刻でいうと昨日の朝、二人を吸血で殺してしまった。この事件は、ドイツのテンシ狩りから報告を受けているんだ。だがここに来た以上、キミの処分は、日本テンシ狩り代表のワタシの判断で決めさせてもらう」

「だい、ひょう?」


 リーラはそこで表情をふっと和らげ、改めるように向き合う椅子に座った。


「キミの事を、詳しく教えて欲しい」


 蝶子は戸惑いに、隣に座ったリーベに視線を向ける。彼は気付くと、にこっと笑って大丈夫だと手を繋ぐ。蝶子は添えられた手を握り返し、頷くとこれまでの事を語った。

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