第53話【執念】
「…あそこ」
コルアの膝の上で、不意にリセが窓の外を指差す。
皆が指の先を目で追うと、そこには走る魔獣の背中に体を預けるヴァルガスがいた。
ぐったりと力なく顔を下げているため、意識があるのか無いのかも定かではない。
魔獣もこちらに気付いて近付こうとするが、大勢のゾンビ達に阻まれて合流することができない。
康はそんな魔獣の動きを追いながらトラックのハンドルをきり、ゾンビ達を踏み越えていく。
「よし、いける!」
とうとうゾンビの集団を抜け、ヴァルガスを目前に捉えて昌也が拳をにぎる。
しかしそうはさせるものかと、クレイスの意思を受け取ったドラゴンゾンビが急降下し、トラックの前に
片眼は潰れ、全身血みどろで叫び声を上げるそのおぞましい姿に震え上がる一同。
怯んだ康が急ブレーキを踏むと、ドラゴンゾンビはヴァルガスを鷲掴みにして上空へと連れ去ったではないか。
「そんな!?」
昌也達は慌ててトラックから降りて追いかけようとするも、既に高く舞い上がったドラゴンに為す術もない。
唯一の希望が、手の届かぬところへ行ってしまった。
ヴァルガスが拐われたことに空から気付いたアスレイが声を上げる。
「ヘイゼル!」
「!」
ヘイゼルは手綱を操り、自らの乗るドラゴンを旋回させた。
この局面で魔王の死が何を意味するかを理解していた二人は最優先で彼の救出へと向かう。
対峙した二体のドラゴンが互いに雄叫びを上げて激しく威嚇し合う。
このまま進めば空中での衝突は必至だ。
ヘイゼルが構えた戦槍に、アスレイが魔石の力を使って雷を付与する。
そのままヘイゼルはバチバチと帯電する槍をドラゴンゾンビめがけて突き刺したのだった。
強力な電流は一瞬で全身を駆け巡り、翼や腕、果ては脳に至るまであらゆる機能を停止させる。
落下するヴァルガスをすぐさまドラゴンに追わせ、何とかアスレイが空中で受け止めた。
「やった!!」
そんな緊迫した動向を地上から見守っていた昌也達は、ヴァルガスの救出成功に思わずガッツポーズを取る。
だが無情にも希望はすぐに打ち砕かれて絶望へと変わることとなる。
ドラゴンゾンビはその一体だけではなかったのだ。
戦場に打ち捨てられた何体もの屍がアスレイ達を狙って次々と飛び立つ。
しかも絶望はそれだけにはとどまらない。
…ポツリ。
空を見上げる一同の頬に、何かが当たった。
「あ……」
冷たいその雫の正体に気付くや否や、全員の顔が青ざめる。
雨だ。
魔界全土を覆う雷雲から、雨が降ってきたのである。
今はまだ数滴に過ぎないが、轟く雷鳴がその後の大雨を予感させた。
『これでもう誰も僕を殺せない』
横たわるモアやダイタスの隣で、天から舞い降りる自然の加護に体を湿らせながらクレイスが不敵な笑みを浮かべた。
「どうしよう…。これじゃあ火が…」
コルアが力なく呟く。
昌也や康、リセも顔に影を落とし、皆の心の内には半ば諦めムードが漂っていた。
しかしそんな中において、エリエスだけは不屈の精神で上を向いていた。
「…私は絶対に諦めない。ここまで来たんだもの!」
エリエスの心を反映するかの如く、水の魔石が強い輝きを放つ。
魔石を核として周辺の水が集まり、精霊の形を作り出す。
だが普段見慣れたその姿に今回は巨大な水の翼が生え、天使のような見た目に変わった。
「どうするつもりなんだい?」と康が尋ねる。
「私の持つ全ての魔力を使って、あの雲を消滅させる」
「そんなことできんのか!?」
「分からない。でもやるしかない!」
水の天使が羽ばたき、空へと舞い上がる。
醜いドラゴンゾンビの群れを突っ切って天へと昇るその美しい姿は、ある種の神々しさすら漂わせていた。
やがてクレイスの真上の雲海へと吸い込まれたかと思うと、次の瞬間、雲に広大な穴が空いた。
穴から太陽の光がスポットライトのように射し込み、歪な世界樹となったクレイスを照らし出す。
「凄い…」
天をも穿つ奇跡を目の当たりにして言葉を失う一行。
だが台風の目のように巨大な穴が空いたものの、以前周囲は分厚い雷雲で覆われている。
このまま何もできなければ、再び雲が流れて希望の光が失われるのも時間の問題だろう。
フラッと康の肩の上でよろめくエリエス。
「大丈夫かい!?」
「…ええ、少し
「充分ですよエリエス!」
顔色の悪い彼女を康とコルアが
「あとはあいつらを信じるしかねぇ…」
空を駆けるアスレイ達に視線を送りながら、昌也の握る拳に汗が滲んだ。
「信じられん、天に穴が空いたぞ!」
ヘイゼルが感嘆の声を上げる一方で、アスレイは間近に迫るドラゴンゾンビの大群を前に顔を歪めた。
「クソッ、ここまでか…」
前後左右を囲まれ脱出の糸口が見えない今、自分達は間もなく奴らに八つ裂きにされるだろう。
その時抱えているヴァルガスが自分の耳元でボソボソと何か喋っていることにアスレイは気付いた。
「……を…」
「?」
「雷を…集めろ…」
意味が分からずに眉をひそめるアスレイに、ヴァルガスは声を絞り出して必死に伝える。
「…かつてお前の母は…稲妻を束ねて聖獣を…」
「何だと?」
稲妻を束ねる。
言葉の意味は分かるが、そんなことが自分にできるのだろうかとアスレイは唇を噛み締める。
今まで静電気を増幅して剣に纏わせるという使い方しか知らず、空の稲妻を利用するなどと考えたこともなかったのだ。
「早く…」
「チッ、どうなっても知らないからな!」
どの道このままだと死を待つのみ。
アスレイはどうにでもなれとヤケクソで魔石に意識を集中させ、天高く掲げた。
すると雷雲から発せられる稲妻が呼応するかのように、次々とアスレイの上に引き寄せられたではないか。
「うっ…!」
これまで扱ったことのない凄まじい電力に臆して集中力が途切れた途端、稲妻はバチッと弾けて消える。
「…集中しろ。雷の支配者となれ…」
「……っ!」
アスレイが魔石を掲げると、再び稲妻が収束を始めた。
ドラゴンに乗って空を駆けながら何本もの稲妻を束ねていくアスレイ。
そして凝縮しきったそれはやがて巨大な鷲の形へと変化した。
「よし!これであいつらを…」
今にも爆発しそうなほどバチバチと弾ける巨大な雷の塊を、アスレイはドラゴンゾンビの群れに向ける。
しかしその手をヴァルガスが掴んで方向を変えた。
「!?」
向けられた先には、世界樹と化したクレイス。
「…時間がない」
「……!」
ヴァルガスの意図を察したアスレイの腕が震える。
確かにドラゴンゾンビを撃ち落とすのにこの一撃を使ってしまったら、もう世界樹を破壊するチャンスは無くなってしまうかもしれない。
だがそれをした瞬間、自分達はドラゴンゾンビ達に襲われて死ぬだろう。
振り向いてヘイゼルの顔を見ると、彼は既に自らを待ち受ける運命を悟って受け入れているようだった。
「…ふっ、命を捨てて世界を救うなど、騎士冥利に尽きるというものよ」
そんなヘイゼルの言葉を聞いて、アスレイも覚悟を決める。
「魔王よ、共に行くぞ!」
鷲が巨大な翼を羽ばたかせ、アスレイとヴァルガスの手から必殺の一撃が放たれた。
猛烈な閃光と共に鷲が空を切り裂いて尽き進む。
それは光の速度で繰り出される電光石火の一撃。
『!!』
クレイスは何が起こったのか理解できなかった。
光が見えたかと思うと、次の瞬間自らの体が引き裂かれて燃え上がったのだ。
炎は収まることを知らず、樹でできた体を焼き続ける。
「…見くびるなと言っただろ」
クレイスの最期を見届けてフッと笑ったヴァルガス達は、直後にドラゴンゾンビの大群に押し潰されて見えなくなった。
『あああぁぁあぁあぁああ!!』
全身が焼けただれる痛みで意識が飛びそうになりながらも、クレイスはしぶとく生きていた。
苦しみの中で、過去の記憶がフラッシュバックする。
「…やめてヴァルガス!父さんを殺さないで」
「そいつはもう死んでるんだ。魂を解放してやれ!」
「死んでも終わりじゃない!魂の魔石を使えば、大切な誰かと会えなくなる悲しみなんてなくなる」
「死者の時間は止まったままだ。生きている者だけが前に進める。過去と決別し、前に進め!」
「駄目だっ!!」
…あの時の痛みと苦しみを忘れない。
大切な誰かを失ったことのない者に、僕の気持ちは分からないさ。
だから皆から大切な者を奪って、僕の気持ちを分からせてやる。
そして僕の正しさを証明すると決めたんだ。
そのために…
『…僕は死なない!お前なんかに殺されてたまるか!!』
燃え盛るクレイスの体から、新しい植物が生え続ける。
それは炎の勢いを上回るほどの驚異的な再生速度であった。
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