第45話【集結】



「…そうしてカトリシアから逃げ出した私はあの泉に何年もの間隠れ住み、あなた達と出会ったのよ」


エリエスの口から聞かされた壮絶な過去に、一同は言葉を失った。


ある日突然やってきた魔族に肉体や父親の命を奪われ、蛙として生きていかなくてはならなかった心情は想像を絶する。


「水の魔力は、体を奪われた時の副作用だったのか…」


昌也は愕然とする。




"いいよなエリエスは力があって"


"力がある奴には無い奴の気持ちは分かんねーよ"




何も知らず、エリエスに向けたそんな過去の自分の発言を悔いた。


「なのに俺…今まで散々酷いこと言ってごめん…」


「昌也は何も知らなかったんだから仕方ないわ。私がもっと早く打ち明けるべきだった」


エリエスもそんなことを後悔しながら、テーブルの上に置かれた水の魔石に目をやる。


「…私は人間に戻りたい。この力や体を全部返して、どんな手を使ってでも、もう一度魂を交換させる」


「難しいぞ」


不意にダイタスが口を開いたことに皆は驚く。


「魂の交換には互いの合意と魂の魔石の使い手が必要だ。クレイスの目的が戦争を起こすことなら、魂を戻すとは思えんな」


「そもそもクレイスって人はどうして戦争を起こそうとしてるんですか?」


ここで康がずっと思っていた疑問をぶつけた。


「モアの話が本当なら、目的は世界樹の種だろう」


「何なんですか、その世界樹の種って?」


首を傾げるコルアに向かって、ダイタスは卓上の水の魔石や魂の魔石の破片などを握りながら説明する。


「そもそも世界樹というのは、森羅万象を司る意思を持った生命体だ。これらの魔石はもともと世界樹の体内に埋まっていたのを魔族が取り出して、その力のほんの一部を利用しているに過ぎん」


「あれでほんの一部…」


一同の顔から血の気が引いた。

大地や海をも操る魔石の力ですら世界樹の欠片でしかないなら、その本体には一体どれほどの魔力が宿っているというのか。


「つまりその世界樹ってのは、馬鹿でかい魔石の塊みたいなもんなのか?」


昌也の問いにダイタスは頷く。


「ああ。 もしも世界樹に何かあれば大地や海どころか空気さえも不安定になり、世界は混沌に陥る。だから万が一に備えて、魔族はその種を守り続けとるんだ」


「そんなのを奪ってどうするつもりなんだ?」


「種を飲み込めば、自らが次の世界樹となってこの世界を意のままに操れる。あやつがその後どうするかなど…考えたくもない」


皆が状況を察して重い雰囲気に包まれる中、コルアだけはよく分かっていない様子で目をパチクリさせる。


「…え、え?…つまり、どうなるんですか?」


「世界がそいつに滅ぼされるってことだよ…」


昌也から言われてようやく理解したコルアが「えーーっ!?」と大袈裟に叫び声を上げた。


「そんな…すぐ皆に教えないと!」


世界の危機を知って、いてもたってもいられずに立ち上がるコルアをエリエスが落ち着かせる。


「私達の言うことなんて誰も信じてくれないわ。それに兵士達にとっては王の命令が全てよ。たとえ正しくないことだろうとね」


「じゃあどうすれば…」


コルアがもどかしそうにあたふたと尻尾を振っていた、まさにその時である。


突然何かの鳴き声が周囲に響き渡り、小屋全体がビリビリと震えた。

まるでライオンの雄叫びのようなドスの効いた唸り声。


「な、何なんですかこの音!?」


「この声聴いたことある…」


昌也と康は身構えながら、その事実に気が付いて目を見合わせた。


「「ドラゴンだ…」」


ダイタスが慌てて小屋を飛び出し、空へと目を向ける。

それと同時に外で待機していた3匹の魔獣達が何かを察知していきなり走り出した。


「どうしたお前達!?」


「行ってみましょう!」


ダイタスとコルアはすぐに魔獣達の後を追いかける。

エリエスは念のため水の精霊を召喚し、昌也も康に体を支えられながらついていく。


皆が追い付くと、魔獣達はトラックを停車させている丘から崖下の荒野を見下ろしていた。

3匹とも唸りながらただならぬ気配で同じ方向を見ている。


「一体何が…」


視界にまず映り込んだのは燃え盛る炎と硝煙。

そして大勢の兵士達が入り乱れて戦う様子だった。

王冠と剣が描かれた旗が高く掲げられ、風に揺られて暴ぶっていた。


「王の剣だ…!」


コルアが呟く。


「なんであいつらが魔界に!?」


因縁のある集団の登場に康は頭を抱える。


しかし今回は聖剣や自分達を狙ってやってきたのではない。

彼らは今まさに、魔族の軍隊と死闘を繰り広げていたのだ。


「戦争が始まったんだわ…」


エリエスの言う通り、ただの小競り合いと呼ぶにはその戦闘はあまりにも激しすぎた。


巨大なトロールやドラゴンなど人ならざる魔物が戦場のあちこちに見受けられ、驚異的な力で人間の兵士達を薙ぎ払う。

対して力で劣る人類は数で魔王軍を圧倒し、犠牲を払いながらも着実に魔物を駆逐しつつ進行していた。


「早く戦いを止めないと!おじいさんの話が本当なら人間が勝てば世界が滅びちゃいますよ!?」


「でも俺らに何ができるってんだよ…。聖剣も壊しちまったし」


悲観的なコルアと昌也をエリエスが宥める。


「目先の戦いだけ止めても意味がないわ。戦争そのものを終わらせるには私が王女に戻って説得するしかない」


「じゃあ今すぐカトリシアに行こう!」


康がトラックのドアを開けたため、昌也とコルア、エリエスもすぐに乗り込む。


エンジンをかけ、車内から窓を下げて康がダイタスに声をかけた。


「ぼく達はカトリシアに向かいます!どうにかして戦争を止めないと!」


「ああ、儂もできる限り手を尽くそう」


ダイタスは手を上げ、エリエスに向かって一言付け足す。


「…クレイスに全てを奪われたお前さんにこんなことを言うのも心苦しいんだが…あやつをどうか許してやってくれ。あやつもまた過去に囚われとるんだ」


「………」


エリエスは答えない。


体を奪われ、父を殺された恨みを無かったことにして許す自信などなかったからだ。

ダイタスもそれを分かっているのだろう。

もはやそれ以上は何も語らなかった。









時は少し前に遡り、魔界から遠く離れたカトリシア城門前。


曇り空の下、そこには各地から召集された軍の兵士達が隊列を組んで整列していた。

それは人類の全戦力、およそ数十万人規模の大部隊である。


その最前列に並ぶは総隊長"閃光のアスレイ"と副隊長"竜騎士ヘイゼル"。


ヘイゼルは既に退役した老兵ながら、手懐けたドラゴンに乗って世界中を飛び回るその実力と見聞が評価されて再召集された。

顔には深い皺が刻まれているにも関わらず、その眼力は老人のものとは思えないほど鋭く研ぎ澄まされている。

傍らには巨大な漆黒のドラゴンが佇み、その存在感は周囲の兵士を圧倒していた。


そんな歴戦の戦士達の隣で、場違いなほど垢抜けない雰囲気の人物が一人いた。


参謀"博識のヒスタ"である。


強面こわもての兵士達に囲まれながら、ソワソワと落ち着かない様子で目を泳がせている。


「…なんで私なんかに召集がかかったのか理解できません」


「どんなに屈強な軍隊も司令官が無能なら壊滅する。お前には戦いの経験が無くとも膨大な知識がある。特に魔族や魔界に関しての知識は戦況を大きく変えるはずだ」


ヒスタの呟きに、隣に立つラノウメルン自警団の男が返事をした。

戦争へと召集されたヒスタの身を案じ、護衛として付き添ってくれたのである。

だが彼もまた実戦は未経験なため緊張を隠せず表情は固い。


そんな中、王女の声が一帯に響いたことで全員の背筋がピンと伸びる。


「…長きに渡り人類と魔族は争い、多くの血が流れてきました」


大部隊の正面にある壇上で、向き合うように立つ王女の姿に皆の視線が釘付けになる。


身に纏う純白のドレスは華やかでありながらも修道服のような引き締まった雰囲気を醸し出し、まさに聖女という言葉が相応しい。

遠くからでもハッキリと伝わる美しくも厳かな出で立ちに目を奪われぬ者などいなかった。


誰もが例外なく固唾を飲んで王女の方に向き直り、その口から発せられる一音一音に耳を傾けた。


「それも全て魔族が世界樹から得られる資源を独占し、人類を地の果てに追いやったせい…。もし人間界にも世界樹があれば、飢える人も、満たされぬ人もいなくなるのです」


王女は徐々に声のトーンを上げ、民衆の興奮を高める。


「私達はこの戦いで世界樹の種を手にして人間界に植えることで、魔族と人類が平等に恵みを受けられる世界を実現するでしょう。これは歴史に残る、最期の戦いです!」


突然ヘイゼルのドラゴンが王女の言葉に呼応するかのように羽を広げて雄叫びを上げた。

周囲に風が巻き起こり、王女のドレスがまるで天使の羽の如く靡く。

上空の雲が流れたことにより、射し込む太陽の光が王女を照らした。


王女自身の持つ美しさとそれらの現象が相まって、その場の全員が得も知れぬ神々しさを感じたのは言うまでもない。


「私もこれより戦地へと向かいます。共に命を懸け、勝利と栄光を掴み取りましょう!」


王女の最後の言葉と共に、兵士達による怒濤の声援が国中を包み込んだ。


まだよわい20にも満たぬ王女が世界の運命を左右するという事実に異様さを感じたアスレイは周囲をチラ見するも、彼以外の兵士達は皆熱狂の最中にいた。


「…随分と気が利いた演出だな、ヘイゼル」


「王国騎士たる者、王の意向を汲まねばならない。お主はあまり乗り気ではないらしいなアスレイよ」


ボソリと呟くアスレイに、ヘイゼルが前を向いたまま答える。


「これから大勢死ぬんだぞ。乗り気であってたまるか」


「魔族を殺すのは心苦しいか?その血が半分流れているお主からすれば」


「…っ!黙れ、俺はこの地で産まれ育った。魔族になど思い入れは無い!」


「だといいが。…では吾輩わがはいは先に行くとしよう。王女から特別な任務が与えられているのでな」


ヘイゼルはドラゴンの背に飛び乗るとそのまま遥か上空に舞い上がり、遥か彼方へと飛び去ったのだった。




演説を終え、壇上を降りる王女に手を差し伸べるクレイス。

人気ひとけの無い場所に移るや、すぐに向き合って甘い声を囁いた。


「良い演説だったよ、ガルマ」


「あなたが考えてくれたおかげよ。あともう一歩で私達の夢が叶う」


クレイスに抱き寄せられたガルマは、彼の仮面に手をかける。


仮面の下の素顔は皮膚の半分以上が焼けただれた痛々しく醜いものであったが、ガルマは意にも介さず彼の頬をいとおしそうに撫でた。

クレイスはその手を優しく握って目を伏せる。


「…あの時魔王の火に焼かれて死にかけていた僕を、君は救ってくれた」



魔界の英雄ガレディアの息子として生まれたクレイスは、かつて禁忌を犯した。


それは人間に殺された父を魂の魔石の力で甦らせるというおぞましい所業であった。

だが腐りゆく肉体に無理矢理魂を押し留めただけのそれがこの世に存在することを、魔王ヴァルガスは許さなかった。


クレイスは父もろとも魔王の業火に包まれ、荒れ狂う川の濁流に飛び込んだ。

そうして流された先でガルマに救われたのだ。



そんな過去の出来事を思い出し、クレイスは目を細める。


「世界樹の種を僕らが手に入れ、この歪んだ世界に調和をもたらすんだ」


「二人で世界樹になって、永遠に生きるのよね」


そのまま互いに熱い視線を送り合い、そっと口づけ交わす。


抱きつくガルマは気付かない。

クレイスが冷酷な笑みを浮かべていたことに。


「そう、永遠に…」






第4章 完

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