第18話【秘められし過去】
「殺した!?」
あまりの衝撃的な事実に動揺を隠せず、コルアの足が止まる。
それに合わせて男も昌也の体を支えながらコルアの方を向いた。
「…厳密には見殺しにしたんだ。ヒスタの母親は病気だったんだよ。不治の病さ」
「不治の病…」
二人はまた、どちらからともなくゆっくりと足を前に出して広場を目指す。
「今となっちゃ見る影もないが、あの家は元々町一番の金持ちでね。治ることはないと知りつつも大金をはたいてどうにか命を長らえさせてたんだが、財が尽きると父親は失踪し、ヒスタは町の人達を頼るしかなかった」
「…どうして町の皆はヒスタの母親を見殺しにしたんですか?」
「母親がそれを望んだんだ。『借金を作ってまで治らない病気にお金を使わないでほしい。その代わり、この子のことを頼みます』ってな…」
「そんな…。じゃあなんでヒスタはあんなことを?」
「あの子は信じなかった。俺達の言うことも、母親の言うことも。全部お金が無いことへの言い訳にしか聞こえなかったみたいでな。…だから俺達が金を出し渋ったせいで母親が死んだんだと、今でもそう思い込んでる」
「………」
全ては過去の誤解が生んだ
だが内容が内容だけに、よそ者である自分達が下手に口を出すこともできないだろうと感じた。
それに、今はとにかく昌也や町の人達を助けることに目を向けなくてはいけない。
こうしている間にも、毒虫に刺された腕の痕は先程よりも確実に酷くなっているのだから…。
一方の康達はというと。
ヒスタを助手席に乗せ、トラックを猛スピードで走らせていた。
目指すはここからすぐ先にある海沿いの丘。
整備などされていない荒れた道が、トラックをガタガタと大きく揺らす。
いつもなら穏やかな康の顔も、今だけは鬼気迫る別人のような気配を醸し出していた。
ヒスタはヒスタでずっとうつむきっぱなしで、とても会話などできるような雰囲気ではない。
そんな二人の様子を見てエリエスは溜め息をひとつ吐くと、ヒスタの前へ跳んだ。
「…ねえヒスタ、昔あなたに何があったのかは知らないけど、あなたの決断のおかげで皆が助かるわ。ありがとう」
「……いえ」
「昔、私もね…とても大切なものを他人から奪われたの」
「…え?」
「その相手は私から全てを奪って、私を辺境の地に追いやった。自分はのうのうと暮らしてね」
エリエスの話に、ヒスタは答えない。
ただ静かに耳を傾けていた。
それが分かっているから、エリエスは話を続ける。
「きっとあなたも同じような目に遭ったのよね?」
「………」
「だからこそ私は、あなたを尊敬するわ」
「…!」
その言葉に刺激され、ヒスタがようやく顔を上げた。
まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかった。
過去に縛られる偏屈で意地の悪い人間。
自分で分かってはいても、変わることもできないまま苦しかった。
今回もずっと意地を張った言動で周囲を振り回してしまったというのに、そんな私を尊敬するだなんて。
町の人達にも掛けられたことのない言葉を、まさか見ず知らずの蛙から掛けられることになろうとは。
ヒスタは何とも言えない不思議な気持ちになった。
ちょうどその時トラックの動きも止まる。
「着いたよ!」
気付けばもう目的地である丘の上に来ていた。
ここまで来てしまえば、やることはただひとつ。
「じゃあ行きましょう、皆を救うために」
エリエスはそう言うと、もといた康の肩へと飛び乗ったのだった。
見晴らしが良く、草原ともいえるほど緑に覆われた広い丘。
空にかかる月と星が町よりも近く感じられ、下手に松明などの灯りが無い分、それらが照らす光が余計に際立ってむしろ視界が鮮明ですらある。
高所だからか風がビュウビュウと強く吹き、トラックから降りたヒスタは肌寒さに思わず服を押さえる。
そのまま地面で
「…あった。ルコの実」
「え!?」
康が大急ぎで近付く。
それは種のような青い粒を枝の先に沢山宿した、小さな植物であった。
その実は月明かりを反射して青白く発光している。
ざっと見渡してみても、あちこちに生えているのが分かるくらいありふれた植物のようだ。
これだけ自生していればきっと町の人達全員分足りるだろうと康は喜ぶ。
「これで毒が治せるの?」
「ええ、この青い実に解毒作用があります。でもできるだけ早く飲ませないと手遅れになる…」
「じゃあ早く持って帰ろう!」
すぐさま二人は手分けをして、植物の採集を開始しようとした。
しかし物事はそう上手くは運ばないものである。
「…いやはや、まさか人間ごときがギルゴアの解毒法を知っていようとは」
「!?」
突然背後から発せられた何者かの声に驚いて康達が振り向くと、そこには見知らぬ人物が立っていた。
フード付きの茶色いローブを身に纏った、長髪の男である。
細身だが190cmほどはありそうな大男で、薄暗くてハッキリとは見えないが、恐らく40代くらいだろう。
自身の背丈ほどもある長い木の杖を持った異様な出で立ちに、康達は思わず後退りする。
「…あなた誰ですか?」
「…もしかして、僕たちと同じようにこの植物を取りに来たんじゃないかな?」
警戒する康達を意に介さず、ゆったりとした仕草で足元に生えていたルコの実を摘む男。
「…いやいや、私の目的はこの植物ではなく、これを狙いにやって来たあなた達ですよ」
男はそう言うと静かに、そして強い力を込めて実を握り潰した。
指の隙間からどろどろとした液体が漏れ出し、男の手を汚す。
「困るんだよ、あの町の人間達には死んでもらわないと」
血のように赤い瞳がギョロリと康達を睨む。
不意に男の杖の先が土に触れて黄色い光を発した。
それと同時に何やら周辺の土がボコボコと膨れ上がり、やがて人間と同じくらいの大きさをした土人形がいくつも出現したではないか。
泥と石を凝縮したような歪な色ではあるものの、その姿はまるで全身を甲冑で覆い、槍を携えた兵士である。
「まさか、魔族!?」
ヒスタが眼を見開き、額に汗を浮かべた。
男は少し驚いたような、それでいて感心したような声を上げる。
「ほう…さすがはギルゴアのことを知っているだけあって察しが早い。その若さにして驚くべき知識、見逃すと後々厄介なことになりそうだ」
危険を察知したヒスタは男が言い終わるのを待たずして、全速力でトラックへと駆け出した。
康の方は、突如として現れたその得体の知れない土人形達を
「まさかこれ、動かないよね…?」
「動かなければ作った意味がなかろう」
そう言って男が杖を振るうや否や、土人形達は魔力によって命を吹き込まれ、進軍を開始した。
全部で7体の人形が康とエリエスを完全に取り囲み、石でできた鋭い槍を向ける。
逃げ場は無かった。
「もしかして、僕達のこと殺す気なの!?」
「どうやらそのようね」
怯えて縮こまる康の肩の上でエリエスが冷静に答える。
「殺せ」
無情にも男の命令が下り、人形が槍を振りかざした絶体絶命の状況下。
「エリエス!!」
ヒスタの叫び声が響いた。
それは康達にとって希望の鐘であり、反撃の
彼女はトラックの中から取り出した水の魔石を、崖下の海へと投げ入れたのだ。
途端に海の水が
「これは…!?」
男もさすがに動揺を隠せず、初めて焦りの色を見せる。
怯む男の前で津波は八ツ首の竜と変貌を遂げ、それぞれの口が土人形を飲み込んで噛み砕いた。
竜は男にも襲いかかるが、男はとっさに地面の土を操って移動し、攻撃を回避した。
バシャリと散った海水が男のローブを濡らす。
「この術、まさか…!」
男はヒスタと康を注意深く観察し、肩の上の蛙に気付くなり驚愕の表情を浮かべた。
「ガルマ…!何故あなたがここに!?」
「…ガルマ?」
康が首を傾げる。
対してエリエスは男の視線を一身に受けながらも、冷ややかな目付きで男を見つめ返していた。
「…違う。私はエリエスよ」
「何を馬鹿な、あなたは…」
そこまで言って男はふと顎に手をやり、途中で言葉を止める。
「エリエス…、その名前どこかで…」
考え込む男と無言のエリエスの間に挟まれた康は状況が飲み込めず、どうしたものかと二人を交互に見る。
(…今の内に!)
ヒスタは遠目ながら男の動きが止まったのを見て、一目散に走り出した。
激しい戦闘から一転、不気味なまでに静かで緊迫した空気が辺りを支配する。
そんな中、やがて男は何かに思い当たったのか、顔を上げて納得した素振りを見せる。
「…なるほど、"そういうことか"」
「…え?…え?」
今の内に逃げた方がいいのか、それとも戦いを続けるのか。
康が何がなんだかといった感じであたふたしていると、男が話を続ける。
「エリエスと言いましたね。さてはギルゴアを全滅させたのもあなたの仕業ですね?」
「ええ、そうよ。悪いけど全部駆除させてもらったわ」
「あなたがいればギルゴアなど取るに足らぬ。もし今後私達に協力してくれるなら、あなたの望むものを何でも差し上げましょう」
それは唐突の提案。
まだ詳細こそ分からないものの、言っていることが事実なら一聞の価値はありそうな好条件に思えた。
しかしエリエスはそこに微塵の葛藤も抱くことなく、それを突っぱねた。
「結構よ、自分の問題は自分で解決する。あなたもこれ以上人間に手を出さず、魔族の地へ帰りなさい!」
「………」
一片の隙も感じさせない氷のような眼。
魔族である男ですら、ゾクリと背筋に寒気を覚えるほどであった。
「…分かりました。今日のところは退くことにします。またそう遠くない内にお会いしましょう、"エリエス"」
いやに悪意を感じる言い方に嫌悪の感情を抱き、エリエスは眼を細める。
彼女に睨まれながらも、「では…」と背を向けて男はその場から歩き去る。
「…よ、良かった。助かった」
どうやら戦いが終わったらしく、ホッと安堵の息を漏らす康。
これでやっと薬草集めに専念できる。
「…おっと私としたことが」
だがそれは狡猾な男の罠であった。
「忘れ物です」
その瞬間、杖が激しい光を放ったかと思うと大地が裂け、康達の立っている丘の全てが海へ向かって崩れ始めたではないか。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
地面が傾いたことによって歩くどころか立ってすらいられず、その場に膝をつく康とヒスタ。
「~っ!!」
エリエスはとっさの機転で水竜の範囲を広げ、丘の固定に全力を注いだ。
海水が崖の淵で凝縮し、どうにか崩壊を防ぐ。
だがそれもその場しのぎにしかならず、長くは持たないことをエリエスは悟った。
「早く…トラックに乗って!!」
「でもまだ薬草が…!」
トラックに乗り渋る康に、エリエスが悲鳴に近い叫びをぶつけた。
「諦めて!このままだとあなた達も死ぬ!!」
「そんな…」
ひび割れが増していきグラグラ揺れる地面と、ただならぬエリエスの声色に、もはやどうしようもないことを悟った康は唇を噛み締めてトラックへ乗り込んだ。
すぐにヒスタも助手席にやってきたため、康はすぐさまトラックを発進させた。
後ろの地面が次々と崩れて海へと落ちていく。
もしもあと数秒遅れていたら、トラックもろとも海の藻屑と化していただろう。
役目を終えた水竜がトラックを追い、窓の外から魔石を吐き出して消えた。
しばらく無心でトラックを走らせ、ようやく安全な場所まで辿り着いても、康の心に渦巻いたのは助かった喜びではなく、目的を果たせなかった
「あとちょっとだったのに、薬草が無かったら皆助からない…」
絶望に打ちひしがれ、今にも泣きそうな康に隣からヒスタが優しく声をかける。
「…薬草なら集めました。あなた達が時間を稼いでくれてる間に」
「えっ!?」
思わず急ブレーキを踏んで振り向く康。
そこにはルコの実の束を大切そうに抱え、一休みするヒスタの姿があったのだ。
「ヒスタちゃん!!そんな…やった!これで皆助かる!!」
興奮のあまりハンドルを叩いたり座席を跳ねたりと、珍しく子供のようにはしゃぐ康を見て、ヒスタとエリエスは目を合わせてクスリと笑った。
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