第7話【伝染病】


静かな夜だった。


時折草むらの影から鈴虫の鳴くような声が流れては美しくも儚げなメロディーを奏でるくらいで、それ以外は誰かの話し声も物音も聞こえない、静かな夜。


リノルアの村に停められたトラックの中で、窓に寄り掛かって寝息を立てる康。

その隣では昌也が助手席に座って本を眺めていた。

ただ、内容を読んでいるというよりは物思いにふけているのか、その眼は虚ろでページを捲る気配もない。

事実、 昌也は村長の家でのやり取りが頭から離れなかった。





「それって獣人だけの病気か?それとも人間にも移るのか?」


緊迫した昌也の質問に、テルードは困ったように「解らん…」と首を横に振る。


「何せこの村に人間は近寄りたがらんのでな。もしかしたら移るやもしれん」


「はあっ!?」


その答えに納得がいかず食い下がろうとする昌也だったが、ここにきて康が言葉を発する。


「ちなみにそれはどんな病気なんですか?」


「…恐ろしい病気じゃ。突然狂暴になってのた打ち回り、そのまま自らの首元を掻きむしって死ぬ者。そうでなければ徐々に衰弱していき、最後は食事も喉を通らずに息絶える者。一度ひとたびかかってしまえば必ず死に至る不治の病。…解っておるのはそれだけじゃ」


あまりにもおぞましく深刻なその内容に、康と昌也の顔からサーッと血の気が引いた。


「不治の病…てことは、治す方法はないのか?」


絶望する昌也の問いに、テルードはただ静かに頷くことしかできない。


「…じ、冗談じゃない!そんなヤバい病気移される前にさっさと行こう!」


声を荒げて立ち上がり、康の方を向く昌也。

今はとにかく何も知らされないままこんな危険な場所に連れてこられた焦りといきどおりで感情が支配されていた。

昌也ほどではないが、康も同じ気持ちなのは事実。

立ち上がる直前、康は取り乱しそうになる情動を抑えてコルアに声を掛けた。


「…どうして伝染病のこと教えてくれなかったんだい?」


自分に投げ掛けられた言葉を背中で感じ、コルアは俯いたまま体を小刻みに震わせている。

無言でコルアの返事を待つ二人。


だがその口から出たのはたった一言


「ごめんなさい…」


だけだった。





結局そのまま家をあとにした二人だったが、外に出た頃には日が暮れていてタイヤ交換もろくにできず、夜が明けるまでは車内で待とうという結論になり、現在に至るわけである。


康としては例えタイヤを交換できたとしても暗い夜道を走るのは極力避けたいところだし、何より昼間からずっと運転しっぱなしの疲労困憊ひろうこんぱいで、しばらく休みたいというのが本音だった。

その証拠に車内で体勢も悪く、慣れない土地だというのにぐっすり眠っている。

緊張の糸をずっと張りっぱなしでとても眠ることなどできない昌也は、そんな康の背中に呆れると同時にある種の羨ましさすら感じた。


「…!」


ふと、異変に気付いた昌也は窓の外に目を向ける。


虫の声と康の寝息くらいしかないこの夜の世界に、それとは違う何か別の音を感じ取ったのだ。


ザッザッザッと、土の上を何かが動く音。


それはだんだんこちらに近付いてくるが、暗くてよく見えない。

扉にロックをかけているものの、それでも安全という保証はなく、外を睨みながら身構える昌也。


窓のすぐ前でそれは止まり、昌也はようやくその正体を知る。


「…コルア?」


外に立っていたのはコルアだった。

ホッとした昌也はすぐにロックを外してドアを開ける。


「どうしたんだ?」


呆気に取られる昌也を前にして、コルアは突然ポロポロと涙を溢し始めた。


えっ?と戸惑う昌也。


なおも涙は止まらず、「ごめんなさい…」と何度もかすれた声を絞り出すコルア。


「ど、どうしたいきなり!?」


予期せぬ事態にあたふたすることしかできない昌也は、とりあえず車を降りて話を聞くことにした。


すぐ近くの岩場に腰掛ける二人。

コルアのすすり泣く声に堪えきれなくなった昌也が先に話しかけた。


「…何で泣いてるんだ?」


鼻をスンスンと鳴らしながらどうにか呼吸を整え、それでも震える声をコルアは必死に絞り出す。


「迷惑、かけた…」


「…迷惑?」


「病気のこと…言わなかったから…」


ああ、と昌也。

どうやらコルアは自責の念に押し潰されて泣いているのだろうと、ようやく理解した。


「…確かにいい迷惑だけど、今さら責めたってどうしようもないよ。お母さんに会いたかったんだろ?」


コクリと頷くコルアに、昌也は続ける。


「そりゃ村に伝染病が流行ってるなんて言ったら誰も連れてってくれないから、普通言わないわな。俺が同じ立場でも絶対言わないし」


暗くてはっきりとは見えずとも、コルアが顔を上げてこっちを向いているのが分かる。

目を凝らせば表情まで見えるのかもしれないが、残念ながら昌也にそんな気概はなく、気まずさをごまかしながら話すのが精一杯だった。


「それで、お母さんには会えたのか?」


コルアは力無く首を横に振る。


「病気が移るから、会っちゃいけないって…」


重い事情に、無言で聞き入る昌也。


「このまま…死んじゃうのかな…」


言いながら再び泣き崩れるコルア。


昌也はどうすることもできずに唇を噛んだ。

会えばいいじゃないかと、そう簡単には言えない。

命がかかってる。

自分の無責任な一言でコルアに死のリスクを負わせるわけにはいかないのだ。


「コルア…」


せめて肩を寄せて慰めようと、昌也が手を伸ばしたその時だった。

突如として、静寂を切り裂く大きな叫び声が村に響いたのだ。


「っ!?」


何事かと慌てて振り向く昌也とコルア。

トラックの中で寝息を立てていた康も飛び起きて天井に頭をぶつける。


「痛っ!…何?何なんだ!?」


まだ寝ぼけたまま扉を開け、キョロキョロと辺りを見渡す康。


「あっちからだ!」


昌也とコルアは康を促しながら声の方へ走る。

叫び声は止むこと無く、一つの家から発せられていた。

声だけではなく、バタバタと暴れ回って家具や食器などを破壊する音も聞こえた。


只事ではない騒々しさに、三人は発生場所を前にして固まる。


「…ここは」


コルアが家を見上げ、暗がりながらも気付いた。

覚えのある、懐かしい匂い。


「お母さん!?」


「おいっ、コルア!!」


コルアは考えるより先に体が動き、昌也と康の制止を振り切って扉を開けた。


中に居たのは一人の獣人だった。

壁の至る所には爪で引っ掻いた跡があり、家の中のありとあらゆる物が壊れて散乱している。


扉を開けた音に気付き、獣人が牙を向く。

その獰猛な瞳はこれまで会ってきた獣人達のそれとは全く異なり、理性など感じさせない怪物そのものだ。


視線が合った途端、獣人は凄まじい勢いでこちらに飛びかかってきた。


「~っ!!」


昌也と康は咄嗟とっさにコルアを引き戻し、急いで扉を閉めた。


ドンッ!と獣人がぶつかったことに怯む二人。

僅かに空いた隙間からは獣人が鋭い爪をガリガリと出してきていた。


「くっ…!」


開けられてなるものかと全力で扉を押さえる昌也と康。

二人がかりだというのに力負けしそうなくらい、扉がきしんで反発する。

駄目かもしれない。

二人が諦めかけたその時、コルアは泣きそうになりながら必死に叫んだ。


「お母さん!!」


一瞬。


その声に打ち払われたかの如く、隙間から覗く狂暴な瞳から闇が消えた。


「…コルア?」


先程までの恐ろしいうめき声が嘘のように、獣人から穏やかで優しい声が漏れる。

だがそんな時間も束の間、すぐにまた苦悶の表情を浮かべてもがき始めた。


「お母さん!?」


「来ちゃ駄目!!」


扉に伸ばしたかけた手が、声によって弾かれる。


「ごめんね、コルア…」


哀しい瞳。

コルアの母親が自ら引き下がると扉は完全に閉まり、その姿は見えなくなった。


再び訪れる静寂。


ペタンと力無くその場にへたり込むコルア。

扉を押さえた昌也と康が息を切らしていると、そこにテルードと数名が駆け付けてきた。


おせーよ…、と目を閉じてぐったりする昌也。


テルードは三人の様子を見て状況を察すると、寂しげなコルアの肩に手を置いていたわったのだった。

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