異世界幻想記(仮)
@sensei4242564
第0話 「プロローグ」
辺りは暗く、病室内の上部に設けられた非常灯の灯りだけが弱々と怪しく光っている。
消灯するほんの数時間前まで、あれほど楽しく談笑していた部屋とは思えないほど静かな空間、しかし不気味さはなく澄んだ空気と部屋に微かに残った潮風の香りは心を落ち着かせ、穏やかに眠気をもたらしてくれる。また周囲で聞こえる複数の寝息のおかげで、孤独感を感じず不安になることもない。
この音を聞くまでは。
藤原総合病院メンタルヘルス科の入院病棟四階、301号室にて療養している17歳の少女、冬野桜にとって、この部屋は今日文字通り憩いの場として完成した。
朝になればまたあの楽しい世界が待っている、そう思っていてもどこか不安を煽るこの音は、ここ1ヶ月間でほぼ毎日決まって夜中にやってくる。──原因はもう分かっている、あの女だ。
音もなく開いた病室の入り口からは、スルスルと鳴る最低限の衣擦れのみで足音は殺されほとんど聞こえない。
音の主は迷いなく、彼女の病床の一つ奥、サクラと同じ年頃の青年ソラが眠る病床へと一直線に向かい、一瞬の隙に周りを覆うカーテンの向こう側へするりと消えていった。
ここ最近よく見ているこの光景、眠ったふりをしているサクラには中で何が行われているか知る由はなかったのだが。しかし今夜に限って分厚い雲はおしなべて空から姿を消し、次第に窓から射す月明かりによって、少年の病床を覆うカーテンに徐にシルエットが映し出される。
影はベッドに横たわる少年に上から覆い被さるように、上半身は前傾姿勢を取り、顔を相手の近くに寄せていた。
サクラは無意識に声にならない声を漏らす。
「──もしかして」
キス。をしようといるのではないだろうか、もしくはもうしてしまったのか。
そう思った瞬間、自らの築き上げた世界が壊れることを恐れたサクラは、大袈裟に身を翻し寝返りを打った。
「……ん、うーん」
途端、影はピクリと反応し、顔はこちらを向いてきたような気がした。
小さな鈴のような透き通った声がカーテンの先から微かに聞こえる。
「……気のせいかしら」
人形のような、不自然なまでに整った顔をもつその美麗な少女は再び傍で眠るソラの顔を見つめると、そのままの姿勢で、小さな何かを取り、手を握り込む。
「いまさら何しているんだろう、私……あなたに会えば、分かると思ってたのに」
淡い夜空に散らされた今にも消えそうな星々をぼんやりと見上げ、少女は呆れたように独りごちる。
次の瞬間、少女の言葉に知ってか知らずか少年は眉間に皺を寄せ大きな欠伸をひとつした。
「……誰も、いない。っていうかまた窓開いてるし」
目尻の涙を拭いながら、ソラはベッドから立ち上がり盛大に開かれた眼前の窓をそそくさと閉じた。
「まだこんな時間か、ならまだ寝てるだろうな冬野さん」
ベッドを覆うカーテンを開けると、まだ辺りは薄暗く誰かが起きている気配はない。
「いや、女の子の寝室を勝手に開けるのは非常識だよな、それは流石に僕でもわかる」
サクラのベッドを覆っているカーテンへ伸ばした手を引っ込め、おとなしく元いた場所へ腰を下ろす。
「早く起きないかなぁ、冬野さん」
既にもぬけの殻になった病床に思いを馳せ、ソラは一人夜が明けるのを空を見上げ待っている。
同刻、病院の五階へ位置するここ屋上にて、少女が二人、腰ほどの高さのフェンスを挟み、対峙している。といっても、一方は屋上の出入り口に立ち塞がるようしてはいるが、それでいて自信なさげに弱々しく立っていた。急いで来たからか肩は軽く上下し呼吸は少し荒い。がしかし、目はしっかりと正面の少女を睨みつけ、物言いたげな目つきをしている。
だがもう一方は、そんな少女に関心がないのか脚を空中に投げ出し建物の縁に腰を掛けたまま、美麗な顔は背中ごしに尻目で少女の様子を伺っている。
サクラは、目の前の少女の左耳についたピアスを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……あなたに少し聞きたいことがあるの」
もうすぐ夜が明ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます