第45話 個人経営でも必ず店長=社長なわけではありません

 自動ドアの向こうから現れたその姿に、俺は驚きのあまり言葉と息を呑み込んだ。

 なにせそこに居るのは、俺の母親なのだから。


「オ、オカン!?」

「えっ、朝日向あさひな先生!?」


張り上げた俺の声に反応したのか、調剤室の泉希みずきも慌てた様子で飛び出してきた。


 「お疲れ様ー。はいコレ、お土産のプリン」

「あ、あんがと」


驚く俺達を他所に、オフクロは平然と洋菓子店の袋を差し出した。指にはキラキラの指輪がこれ見よがしに輝いているけれど、昔より緩そうだ。


 「今日はもう午前診終わったん?」

「え、ああ。ついさっきな」

「薬剤師さんはまだ雇えてへんの?」

「見ての通りや。応募が全然ぇへん。それより、今日は何しに来たんや」

「なんやそれ。社長のアタシが来たらアカンのか」

「そうはうてへんやろ」


少しずつ冷静さを取り戻した俺は、オフクロの言葉に切り返していく。それにしても相変わらず目つきと言葉がキツいオバサンだ。小さいとはいえ、この店を立ち上げた人だし一応まだ社長だからな。胆力と言葉の鋭さは、そこらの中年女性と比べ物にならない。


「んで、今日はなんや」

「いやね。もしかしてアンタ、今もお父さんと連絡取ってたりしよるんかな思て」

「なんで俺が親父と連絡とんねん。蒸発した後の住所も電話番号も知らんのに」

「あーそー、まあそーよねー」

「なんで急に親父の話?」

「いやね、なんや一昨日ウチの家電に非通知で電話かかってきて、怖いから出ぇへんかったんやけど、アレお父さんちゃうかなおもて」

「そんな、まさかー」


社長オフクロの心配を吹き飛ばすように、俺はあっけらかんと笑って返した。

 言葉自体は本心だった。俺やオフクロを残し借金まで押し付け蒸発したクソ親父が、今更俺達に電話を掛けてくるとは思えない。


「てかオカン、そんなこと聞くためにわざわざ来たんかいな」

「それだけやないけど……ところで泉希ちゃん、また美人になったんとちゃう?」

「え、そ、そうですか?」


余所行きの笑顔を浮かべて、オフクロは頷きながら上下左右に泉希を見る。泉希も泉希でオフクロの御世辞を真に受け照れ臭そうに頬を赤らめている。


 「ホンマこんな可愛い子ぉと働けて、悠陽は幸せモンやで。これも全部アタシがこの薬局立ち上げたお陰なんやから、感謝しぃやアンタ」


眉根を寄せながら、オフクロは俺の背中を叩いた。

 オフクロは何かあるとすぐに「自分に感謝しろ」とマウントを取ってくる。社長と言っても、病気のせいで今はもうロクに出勤していないのだが。


 「ホンマ、いつもありがとうね泉希ちゃん」

「いえ。こちらこそ雇って頂いてありがとうございます。先生は、お体の具合は如何いかがですか?」

「ああもう大分エエよー。一時は15Kgキロくらい体重落ちて死にかけたけど、家でゆっくり養生してたら車運転できるくらいは回復したわ。今はもう悠陽この子の面倒も見んでエエから楽やし」

「それはなによりです。先生が御元気そうで、私も安心しました」

「『先生』やなんて他人行儀な呼び方よしてよー。泉希ちゃんはアタシの娘みたいなモンやねんから、なんなら『お母さん』て呼んでくれてエエんよ」

「は、はい。お義母さん!」


緊張しているのか喜んでいるのか、泉希は零れ落ちそうな笑顔で背筋を伸ばしながら答えた。というか今の言葉、余計に一文字多くなかったか?


 「ちゅーかオカン。本題は何やねん」

「あ、そうそう。アンタ新しく派遣さん雇ったらしいやん。イッペン顔だけでも見とこ思うてな」

「ああ、さよか」


そういえばオフクロには派遣社員を雇うことは伝えていたけど、それがアイちゃんだというは報告していなかったからな。だがそれにはちゃんとした理由がある。それというのも――


 『ただいま戻りました』

 

と、その時。まるで見計らったようにアイちゃんが休憩から戻ってきた。白衣を纏い胸にウチの名札を付けている彼女に、オフクロは驚いた顔で俺に目配せする。


「ああ、丁度良かった。紹介するわ。今ウチで働いてくれとる派遣社員の――」

「え~~~~っ! なにこの美人さん!」


俺の言葉を掻き消すほどに、オフクロは歓喜の声を上げた。そうしてアイちゃんを品定めするみたく、顔⇒胸⇒足⇒胸⇒顔⇒胸と視線を上下させる。


 「いやー、おっぱい大きいし肌は綺麗やし、背ぇも高ぉて本当ホンマモデルさんみたいやわ~!」

『恐れ入ります』

「名前はなんて言うの?」

『はい。私は羽鐘はがねアイと申します』

「羽鐘ちゃんかー。アタシはこの店の社長で悠陽の母親の朝日向ですー。よろしゅーねー」

『宜しくお願い致します』


オフクロの柔い挨拶とは対照的に、アイちゃんはお手本のようなお辞儀で返した。

 

 「羽鐘ちゃんは結婚しとるん?」

『いえ』

「あらそー。彼氏は?」

『おりません』


出会い頭に繰り出されたオフクロのセクハラ発言。だけどAIVISアイヴィスであるアイちゃんには全く利いていないようだ。


 「あらほんまー。ほなウチの悠陽とかどない?」

『どない、とは?』

「この子のこと好きかー、いう意味やん」

『はい。私は朝日向店長に好意を抱いています』


自分の大きな胸に手を当て、アイちゃんは無表情のまま断言する。同時にオフクロは瞳を輝かせ、意味ありげな笑みを俺に向けた。

 そう、何を隠そうオフクロは俺と同様……いや、俺以上に巨乳と美人に目が無い。しかも事あるごとに俺の嫁候補に祀り上げようとするのだ。

 泉希を気に入っているのも、彼女が若く美人だという部分が大きい。もちろん泉希が優秀であるのも理由であることに違いないが。

 

「ったく、このオフクロは……なあ泉希」


苦笑いを浮かべて泉希を振り返ると、彼女は白目を向いて魂が抜けたみたく立ち尽くしていた。


「みっ、泉希いいいいいい!」


頭の中では「チーン……」と仏壇のの音が高く鳴り響いて……。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


この薬局は悠陽のお母様が創業者で現在も代表取締役社長よ。ただ現場を退かれているから、今は店長の悠陽が店の運営を取り仕切っているわ。

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