第16話:ガラスの個室の昔話



 モニターに写っていたゲームマスターの姿が一瞬で消え、次いで20:00のカウントダウンが始まる。

 面白味が無い、と春樹は心の中で呟いた。

 だがそれとまったく同じ『面白味がないわねぇ』という不満の声が頭の中に聞こえてきた。真尋だ。


『単調な説明、ゲーム開始、カウントダウン。終わったら次の部屋に行ってまた繰り返し……。面白みが無いわね。もっとこう、胸にぐっとくるものが欲しいわ』

『確かに同感ですけど、でもさすがにゲームマスター側には僕達も関与出来ませんよ』

『そうなのよね。だからこっちが何か演出をしないと……』


 真尋が言葉を止める。

 彼女は既に肉体を失い、幽体もこちらからは見えない。なのでどんな顔をしているかは分からないが、きっと真剣な顔付きで悩んでいるのだろう。

 自然と誰もが真尋の言葉を待つ。モニター越しのゲームマスター達はきっと、ついに死者を出さなければならないゲームが始まったと慄いている、とでも考えているだろう。静まり返った空気がいかにもだ。


 そんな空気の中、真尋の『そうだわ』という声が頭の中に聞こえた。


『流星、あんたちょっと良い感じに過去を語りなさい』

『姐さん、無茶ぶりって言葉知ってるか?』

『さっき銀丈が言っていた【インテリ眼鏡はクソ野郎】と同じ【粗暴な不良は実は良い奴】よ。なんかこう感動するエピソードを語れば、このゲームに人情味が加わるわ!』


 真尋の声は随分と弾んでいる。

 そのうえ流星に対して『さぁ!』と急かしているのだ。泣ける話だの意外性だのとハードルを上げていく。

『流星さん頑張ってくださいねぇ』『楽しみ!』と興味を示すのは銀丈と紅子。自分は聞く側だからと気楽なものだ。メグまでもが『流星、早く……』と急かしている。その場にちょこんと座るのは傍目には恐怖で座り込んでいる幼い少女に見えるが、実際は聞き入るために腰を下ろしたのだろう。

 これは……、と考え、春樹は流星へと視線をやった。渋い表情をしている。これは演技ではなく心からの表情に違いない。


「ゲーム、どうしましょうか……」/『流星さん、良い感じの話、頑張ってください』

「……くそったれが。本当にゲームみてぇなもん用意しやがって」/『春樹……、お前だけは信じてたのに……』

「そうですね……。でも、今回もまた、僕達の中で誰か一人が……」/『すみません。真尋さん監督の指示なんで』


 ゲームも流星の良い感じの話も進めなければ。そう春樹が告げれば、流星が深く息を吐いた。

 次いでふらと覚束ない足取りで部屋の中央にあるガラスの個室に近付いた。ドアノブに手を掛け……、だが開けることはせず、そこで物思いに耽るように立ち止まった。


「……少し、昔話させて貰ってもいいか」

「昔話ですか……?」


 春樹が問えば、流星はこちらを見ることなく手元に視線を落としたまま「あぁ、」と小さく答えて話し始めた。


「昔……、お前達と同じぐらいの頃、馬鹿ばっかやってたんだ。うちの親父は俺が生まれた時に他所に女作って逃げたから、ずっと、お袋一人で育ててくれたのに……そんなことも考えず……」


 話すのも苦し気な声で、それでも流星が語る。

 ゆっくりと顔を上げるが、虚ろな目はガラス板を通り越し、この部屋すらも突き抜けて、まるでかつて済んだ故郷の景色を見つめているかのようだ。掠れる声で「それで」と続けた。



 母親は息子を高校に通わせるため、仕事を幾つも掛け持ちして働き続けていた。

 睡眠時間も碌に取れなかっただろう。そんな状態でも息子を蔑ろにはせず、出来るだけ時間を作り、家族の時間を大事にしていた。

 だが肝心の息子はそんな母親の苦労も想いも知らず、良からぬ方向へと進んでいった。中学生から素行が悪くなり、高校には進学するも学校には通わず仲間達とつるんで遊び回る日々。喧嘩をし、夜中でも騒ぎ、警察の世話になることもあった。

 母はそのたびに直ぐに駆け付け、息子が迷惑をと謝り倒していた。仕事を抜け出すのも大変だったろうに。


「なのに俺は……、高校卒業と同時に家を出て……。家にも帰らず……」


 連絡がきても無視をしていた。帰省もせず、親孝行なんて考えもしなかった。

 バイトをしては問題を起こしてすぐに止め、金を稼ぐために人には言い難い事にも手を出した。金が入ってはすぐに遊んで使い果たし、金に困っては倫理観など放り投げて金を稼いだ。

 自由とすら言えない無責任で非常識な生活。


 その果てに、母親の死を知った。


 母親の葬儀はひっそりと行われた。

 今の自分には任せられないと喪主さえ出来ず、遺骨も母方の親族が有無を言わさず持って帰った。

 渡されたのは幾つかの形見と、そして自分名義の通帳。


「俺が居なくなったのに、お袋は俺のために働いて金を貯めてたんだ。こんな、馬鹿のために」

「八幡さん……」

「それからは真面目に生きようとしたが、駄目だな、うまくいかねぇ……。その結果がこれだ。……自業自得だよな」


 荒い呼吸の中で流星が自虐めいて語る。

 次いで彼はドアノブをゆっくりと回しガラスの扉を開けて中に入っていった。カチャンと施錠の音がし、試しにと流星が扉を開けようとするも首を横に振る。開かないのだろう。

 もっとも、個室に閉じ込められてはいるものの、四方がガラス張りのため彼の姿は見える。むしろ遮るものがあるのかと問いたいくらいにガラスは彼の姿をそのままに見せていた。

 勇ましさを感じさせる整った顔付きの中に苦痛と疲労の色が浮かんでいる。それでも彼の瞳は濁ることなくその奥に決意の色を宿していた。


「八幡さん……」


 春樹が流星を呼ぶ。

 ガラス越しに見えた流星が自虐めいた笑みを小さく浮かべた。


『自分で語っておきながら、本当にそんな母親がいた気分になってきた。なんだか架空のお袋のために頑張れそうだ』


 頭の中で彼が自画自賛する。それどころかちょっと役に入りかけている。

 先程の流星の話は何から何まで出鱈目、彼が即席で作り上げた【良い感じの話】だ。

 そもそも彼は不老不死の錬金術師で、見た目こそ不良めいているものの実際非行に走ったことは一度として無いという。母親も七百年以上前にきちんと看取っている。

 それでも自分の見た目を考えて先程の話を作り上げたのだ。咄嗟の判断力はさすがである。

 なにせ……、


『さっきの流星の話、感動しちゃった! 思い出すだけで涙が!』

『流星、お母さんの分も生きて……』

『流星さんのお母様、なんてご立派な……。この件が終わったらお墓にご挨拶に行かないとですね』


 このように、全員がすっかりと先程の流星の話に感銘を受けているのだ。

 言い出した真尋こと監督も『王道でありリアリティもある、素晴らしい即興劇エチュードよ!』と褒めている。

 これほどまでに惹き付ける良い感じの話だったのだ、きっとゲームマスター達も先程の流星の話を聞き、不良じみた彼にそんな秘めた人生がと感心しただろう。そして過去を語り終えた彼がどう出るか注目しているに違いない。


 そんな注目を浴びる中、ガラスの個室に入った流星が口を開いた。


「数字を申告するんだよな。……三だ」


 過去を語り終えた男の、覚悟さえ感じさせる言葉。


 一瞬の沈黙が流れ、次いでガゴンッと大きな音が響いた。

 不意打ちの音に誰もがビクリと体を震わせて周囲を窺う。……だが見たところ室内に変化はなく、試しにと次の部屋の扉のノブを回しても動かない。他に音を出しそうな物も無い。

 何が……、と春樹が呟いた瞬間、ガゴッ、ガゴッ!と同じ音が二度続いた。


「な、なに今の……!?」


 紅子が怯えの声を出して部屋中を忙しなく見回す。

 隣に座るメグはまるで子猫が親猫の腹部に顔を埋めるように紅子に抱き着いた。もはや何もかもが怖く、何も見たくない聞きたくないと拒否をするように頭ごと紅子の体に埋めようとする。その恐怖心を察し、紅子が「メグちゃん」と労りの声で抱きしめた。

 先程まで作り話と分かったうえでの感動話に興奮していたとは思えない二人の怯えようだが、そこは演技力の為せるわざである。

 負けじと春樹も不安そうな表情を作り、周囲を窺った。


「変わった様子はなさそうだけど……。でも今の音、三回……」


 流星が【三】を申告したから音が鳴ったのだろうか。

 だとするとこれはカウントダウンか。妙に音が大きかったのはそれほどの装置が動いているからか、もしくは、音を響かせることによりこちらの恐怖心を煽っているのかもしれない。

 最初のゲームの鉄の椅子だってそうだ。胸部を圧迫する装置は作動時に機械音を響かせていたが、作ろうと思えば音を控えることだってできたはず。大きな音は否応なしに意識させ、聞き続ければ精神的な負担にも繋がる。きっとその効果も狙っているに違いない。


「三十まであと二十七か……」


 一度にカウント出来るのは最大で三まで。四人で回すと考えるとまだ余裕があるように思える。

 これが六人全員が生還していたとなれば最速では四周目の初手で脱落者が決定してしまう。最初に誰がどう出るかも死活問題だ。


「日下部君、どうしようか……」

「とりあえず時間いっぱいまで解決策が無いか考えてみよう。三十までカウントしたらどうなるのかが分かれば、助かる方法があるかもしれない」

「うん、そうだね」


 紅子がメグを抱きしめながら弱々しく頷いて返せば、メグも悲痛そうな顔で紅子と春樹を交互に見やり、彼女を真似るように首肯した。

 二人の様子は明らかな怯えと恐怖、そして絶望だ。

 誰か一人に死を押し付けなければならない絶望。もしかしたら押し付けられるのが自分かもしれないという恐怖。死なせたくないが死にたくもない、そんな人間として当然の感情に苦しめられている。


 ……というのが、彼女達の演技である。見事な表情の作り方だ。


 実際には頭の中では相変わらずテンション最高潮で、流星の話に感動したり、それどころか『一気に三十って申告したい』と最短で死ににいきたいと訴えているのだ。

 そんな内側の盛り上がりと外側の静寂の中、ガラスの個室に立つ流星が再び口を開いた。


「三。早く進めろ」




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