第13話:SideGM 本性



「私はやっぱり久我銀丈が怪しいと思うわ。今も変に冷静だし、きっと自分が生き残るまでの算段を立ててるのよ」

「俺は常盤紅子だと思うな。あの男子高校生が自分を庇ってくれると判断してから常に側に居るじゃないか。ああいう一件儚そうに見える女は実は強かなんだ」

「そういう女が好きだものね。あの女が生き残ったときの貴方、凄そうだわ」

「期待してるのか? でも俺はあの男が生き残った時のお前が楽しみだな」


 一組の男女が楽しそうに話し合い笑う。

 男は六十代だが若作りが目立つ格好をしており、対して女は若く、胸元や足をだいぶ露見させた際どい衣服を纏っている。

 大きなソファは二人で座っても優に余裕があるが、二人はまるで狭い椅子に詰め込まれたように身を寄せていた。男は女の肩に腕を回しており、たわわな胸を鷲掴みにしている。女も嫌がる素振りは見せず男にしなだれかかるようにしてワインを飲んでいた。

 親子ほどの年齢差がある男女が絡み合う様はさながら風俗店のようで、二人が夫婦だと一目で察する事は出来ないだろう。

 女の胸の柔らかさを楽しみながら下卑た笑みを浮かべて話す男に、ゲームマスターは冷静に「楽しんで頂けているようで何よりです」と返した。


「猿渡様は前回のゲームで優勝しましたね」

「あぁ、俺が賭けた女子高校生が生き残ったんだ。黒く長い髪が清楚な印象を受ける美しい娘だった。あれは楽しませて貰ったよ」


 男の笑みが強まり、女の胸を掴む手がまるでそこだけ意思を持った動物のように動く。たわわな女の胸が男の指に押されて歪に歪み弾力さを見せつけ、それだけでは足りないと大きく開かれた服の胸元に直接手を入れた。直に胸を揉まれて女が色気のある声をあげる。

 仮にこれが公共の場であれば制止の声が割って入るだろう。逆に二人だけのプライベートの空間であれば更に進展していたかもしれない。

 だがここはその狭間、法に触れる欲望を人目を気にせず曝け出せる場所であり、それでいて完全なるプライベートというわけではない。

 そんな場を仕切るゲームマスターは流石にこれ以上の行為はと考え、仮面の下で口を開いた。


「猿渡様、御夫婦の仲が宜しいのは結構ですが、今はゲームを楽しむ時ですのでお戯れは程々に」

「そうだったな。すまなかった」


 ゲームマスターからの指摘を受け、猿渡と呼ばれた男が女の服の中からさっと手を抜いた。

 もっとも手を抜きはしたが再び服の上から女の胸を掴む。ここまでは見逃されると分かっているのだ。女も指摘されたことを恥じるでもなく妖艶な笑みを浮かべている。男の顔に自ら顔を寄せて舌を絡める深いキスをするのは、夫を宥めているのか、それともゲームマスターを煽っているのか。

 猿渡夫妻にとってはゲームの進行係如きの指摘は気にするものでもない。周囲にいる者に見られることも、趣味が悪いのはお互い様とでも思っているのだろう。周囲も周囲でさほと夫妻の事は気にしていない。

 だが猿渡も今はゲームマスターの忠告通りゲームに集中する気になったようで、口付けを終えた夫妻は大人しくワイングラスを手にモニターへと視線をやった。


 今回のゲームは会場が広く、尚且つ背の高い棚が点在しているため複数の場所にカメラが仕込まれている。

 モニターは常に参加者達の行動を逃さず追うように管理されており、今は一か所に全員が集まってなにやら話している光景が映し出されていた。


 ◆


 モニターの中では憐れな参加者達が互いの出方を窺いつつ、このゲームに抜け道は無いかと周囲を探ったり粉砕機を覗いている。

 周囲に転がっている刃物や武器は一か所に集められており、眺めていた久我銀丈が小さな溜息と共に首を横に振った。彼の判断では集めた刃物の合計は三キロあるかどうか、ゲーム終了条件の十五キロには到底届かないという。


「日下部君、常盤さん、二人は棚を見てきて貰えますか? 何か隠されているかもしれないし、棚自体は動かせなくても棚板が外れたら重さを稼げます」

「はい」

「奥の方は死角になっています。何かあれば直ぐに声をあげてください」

「分かりました。久我さんも何かあったら呼んでください。行こう、常盤さん」


 久我銀丈の指示に、日下部春樹と常盤紅子が応じて離れていく。モニターの映像が二つに分かれた。


 指示を出し終えた久我銀丈が次に視線を向けたのは、壁に背を預けて座り込む八幡流星と稲見メグだ。

 八幡流星は先程のゲームでの負傷がだいぶ引いているようで、多少動いたり話したりは出来るものの、すぐさま痛みに負けて動きを止めてしまう。向けられる視線に気付いて顔を上げるが苦しそうだ。

 稲見メグはそんな彼に心配そうに寄り添っていたが、自分にも視線が向かっていることに気付くと眉根を寄せて不安そうな表情を浮かべた。こてんと首を傾げて何かと尋ねてくる仕草は幼子染みている。


「稲見さん、貴女も日下部君達と一緒に棚を見てきて貰えますか? 子供の低い視点だからこそ見つけられる物があるかもしれません」

「……ん」


 稲見メグが細い声と共に応じ、立ち上がると共に日下部春樹達の後を追った。ぱたぱたと駆けていく後ろ姿もまた幼いあどけなさがあり、仮にここが長閑な公園だったならば微笑ましい絵になっていたかもしれない。

 そうして残されたのは、いつの間にか指揮を執っていた久我銀丈と、座り込んだまま苦し気な呼吸を繰り返す八幡流星。


 二人の男はどちらも見目の良い顔をしており、背も高くいわゆる美丈夫というものだ。同性の日下部春樹はまだ男になりきれない魅力があるのに対して、この二人は成人男性の色気も持っている。

 久我銀丈は知的な麗しさで、いかにも出来た男といった風貌。若くして起業し成功を収めた新進気鋭の秀才といったところか。

 逆に八幡流星は粗暴さからくる男らしさと凛々しさがあり、それでいてふとした時には落ち着きや対応の良さを見せている。

 服装も同様、片や仕立ての良いスーツ、片やスカジャンにジーンズと真逆だ。

 そんな二人は言葉を交わすことなく、久我銀丈は重さを計るように武器を一つ一つ手に取り、そして八幡流星は項垂れ時折苦し気に呻くだけだ。


「……困った事になりましたね」


 とは、大振りのサバイバルナイフを手に取った久我銀丈の言葉。

 その重さを確認するためかまじまじと長め、刃先にも触れる。錆が目立つナイフだ。だがもちろん使えないわけではない。


「困った事、か……、確かにな。こんなくそったれな目に遭うのは初めてだ」

「そうですね。ですが、一緒にゲームに選ばれたのが皆さんで良かったと思っています」


 話を続けながら、久我銀丈が八幡流星に近付き、彼の前にしゃがみこんだ。

 俯いていた八幡流星が顔はそのままに上目遣いで久我銀丈の様子を窺う。言葉の意図を問うような視線。


「意外だな、お前がそんな風に、言うなんて……。……っ。も、もっと澄ました奴かと思ってた」

「心外ですね。僕だって考えを素直に口にする事もあるんですよ」

「まぁ、そうだな、俺も同じ考えだ」


 深く息を吐き、八幡流星がふっと笑みを浮かべた。

 自棄とも自虐とも違う、こんな陰惨で理不尽極まりないゲームの最中だが、それでも清々しさのある笑みだ。

 ゆっくりと顔を上げ、改めて久我銀丈と向き合おうとする。


 だが次の瞬間、


「本当に、貴方達みたいな馬鹿とガキばかりで良かったと思いますよ」


 という久我銀丈の冷え切った声と、喉にめり込むように押し込まれたナイフの柄に、「えっ」と小さな声を漏らした。


「なっ……」


 何を、と言いかけた八幡流星の言葉が、最初の一文字目を発した後は「うぐっ!」と詰まった音に変わった。

 喉にめり込んでいるのはナイフの刃ではなく柄の方だ。ゆえに刺さったり切り裂かれたりはしないが、それでもかなりの力を込めて突きつけられているため深く喉を潰している。これが逆側であったなら間違いなく刃の部分は全て喉に突き刺さっていただろう。

 だが今だけは刃は逆に久我銀丈が握っている。スーツの裾を刃に巻いて握っているのは手を傷つけないためだ。


「……っ!」


 八幡流星が目を見開いて目の前の相手を見る。

 何を、どうして、何故、お前が。

 そんな感情が入り混じった表情。だが喉からはひしゃげた声が僅かに漏れるだけで問いかけは出来ない。震える手が己の喉を庇うためにナイフの柄を掴もうとするが、その前にさっと引かれて指先が柄を掠めた。喉が不自然にくぼんでいる。


「ぐぅっ……うっ、ぐ……」

「喋ろうとしても苦しむだけです。最期の時まで苦しむのは嫌でしょう」


 冷酷に告げ、久我銀丈が八幡流星の肩口に身を寄せ、立ちあがると同時に彼を持ち上げた。

 傍目には肩を貸して歩かせているように見えるだろう。だがよく見るとその動作は荒く、支えられる側の体の事など微塵も考えていないと分かる。

 八幡流星が痛みで呻いたが、元より胸部を負傷しているうえに喉をやられては碌に抵抗が出来ずにいる。呼吸をするだけで必死だ。

 傍目には支え合うように、実際は片方が引きずりながら、粉砕機へと近付いていく。


 単調に続く低い機械音はまるで空腹を訴えているようで、自分の死が目前に迫っているのを感じて八幡流星が点在する棚の方を見た。

 日下部春樹達に助けを求めているのだ。だが呼ぼうと口を開くも呻き声が漏れるだけで、察した久我銀丈が「無駄ですよ」と一蹴した。


「その状態では機械音が邪魔して彼等には聞こえないはずです」

「……んっ、ぐうぅ」

「安心してください、すべてが終わったら【八幡さんが自らを犠牲にした】と伝えておきますよ。貴方みたいな人はどうせ禄でもない人生を送ってきたんでしょう。最期ぐらいは【良い人】にさせてあげます」


 恩着せがましい久我銀丈の言葉に、八幡流星が呻きながらも彼のスーツを掴んだ。

 辛うじて出来る抵抗だ。もっとも、これもまた久我銀丈は「だから無駄だと」と吐き捨てた。この僅かな抵抗に対して嘲笑と呆れの色さえ見せる。

 そんな短いやりとりの間にも粉砕機に辿り着き、縁に立った久我銀丈がまるで荷を運び終えたかのように一息吐いた。取り立てて別れの挨拶も憐れみの言葉もなく「では」と八幡流星を突き落とそうと背を軽く押す。

 それだけで、元より負傷し更に呼吸が困難になっていた八幡流星の体はぐらりと大きく揺らいだ。

 まるでアリの巣のように粉砕機が獲物の落下を待ち構える。


 だが倒れ込みかけた瞬間、彼はすんでのところで体制を持ち直し、それどころか久我銀丈の仕立ての良いスーツに飾られたネクタイを掴んだ。


「なっ!」


 まさかここで強引な抵抗に出られるとは思っていなかったのだろう、久我銀丈が驚愕の声をあげた。

 このゲームに関しては終わったと油断し、日下部春樹達を納得させるための言い回しと次は誰をどう処理するかを考えていたのが仇になり、つられてバランスを崩す。


「くそっ、放せ……! 」

「……、てめぇが、怪しいと、思ってたんだ」


 八幡流星の声は酷くしゃがれていて、声というよりはもはや音に近い。

 喋るたびにゴポと血を吐き、まるで命を削って声に変えているかのようだ。その迫力に気圧されたか、己の危機を察したか、久我銀丈が己のネクタイを掴む八幡流星の手を引き剥がそうとする。腰元に隠していたサバイバルナイフを取り出し、ネクタイを掴む手を容赦なく切りつける。

 だが八幡流星の体は元よりボロボロなのだ。もはや多少の痛みで引くわけがない。苦痛で弱まっていた目が獰猛なぎらつきを見せた。死を目前にし、ならば道ずれにしてやるという覚悟の瞳だ。


 対して久我銀丈の瞳には予想外の抵抗による混乱の色しかない。

 殺す覚悟は出来ていたが、死ぬ覚悟はしていなかった。それどころか既に終えたと考えて油断していた。


 両者のその差は、土壇場で優劣を引っ繰り返すには十分だった。


「放せ、大人しく死ね……! お前みたいな底辺這いずってる奴が生きて何になる! 生き残るべきはどう考えても僕だろうが!!」

「そんなの……、てめぇが決めることじゃねぇだろうが!」


 互いに声を荒らげ、満身の力でぶつかり……、


 そして穴に突き落とされかけた八幡流星は体制を立て直し、それどころか腕力だけで掴んだネクタイを引っ張り、その先にある久我銀丈の体を足元に広がるアリの巣へと落とした。


 立場が逆転する。久我銀丈の顔が恐怖で歪む。


 彼の体は殆ど垂直と言える壁を落ち、その下にある緩やかな坂で一度勢いを止めた。

 手足を使い、必死に壁に張り付いている。


「たっ、たすけてくれ……!」


 死を目前に、それこそ粉砕機に足先が触れかけるところまできて、久我銀丈の口から助けを求める声が出た。

 その相手は数メートルの高さに居る相手。数分どころか一分前に自分が殺そうとした男だ。当然だが助けの手など伸ばされるわけがない。

 そもそも穴の深さは五メートル近くある。久我銀丈は既に底に近い部分まで落ちており、道具も無しに引きずり上げるのはほぼ不可能。この場にある道具はどれもが人を傷つけるためのもので、助ける道具など一つとして用意されていないのだ。

 ズルと体を滑らせて久我銀丈が小さな悲鳴をあげた。もはや体勢を立て直すことすら難しく、頭上を見上げ、唯一動かせる口で助けを乞うだけだ。


「先程のことはっ、あ、謝ります。だから、た、たすけっ、たすけてください……!」


 久我銀丈の命乞いが機械音と混ざり合う。

 それを聞く八幡流星の隣に、ふっと人影が現れた。


「……久我さん」


 アリの巣の縁に日下部春樹が立った。その隣には常盤紅子と、彼女にしがみつく稲見メグの姿。

 三人は信じられないと言いたげな表情で、穴の下で壁にしがみつく久我銀丈を見下ろしている。


「くっ、日下部君、助けてください! 八幡さんが僕を突き落としたんです!」

「……聞こえてました」

「は……?」

「久我さんの声、聞こえてました。生き残るべきは自分だ、って……」

「それは……」


 日下部春樹の声はどこか辛そうで、そして憐れみの色がある。

 常盤紅子と稲見メグに至ってはもう言葉も無いと言いたげだ。助けようと動く様子もない。


 高みに居る四人と、穴の下に落ち粉砕機に食われかける直前の一人。


 明確になった優劣に自分の行く末を悟ったのか、久我銀丈の顔が歪んだ。

 恐怖と憎悪が入り混じった表情。元々見目が良いだけあり歪むとその迫力は一入。


「一人で死んだりなんかするか……。お前達が生きるための犠牲になんてなるか……。そうだ、僕だけが死ぬなんてありえない、お前ら全員ここで死ぬんだ!!」


 自棄になった久我銀丈が声を荒らげる。

 これを聞き、日下部春樹が言葉を詰まらせ、常盤紅子と稲見メグも表情に危機感を宿らせた。

 次いで彼等が室内にあるモニターへを顔を向ける。表示されている残り時間は五分以上あるものの、かといって悠長に過ごしていられる時間ではない。それでいて、久我銀丈が今の体勢のまま耐えきる事が出来そうな時間なのだ。


 仮に今の状態でタイムリミットがきたらどうなるか……。


 全員がゲーム放棄と見なして脱落となる。五人が同時に、首に仕込まれた爆弾を作動させられるのだ。


「全員死ぬのが嫌なら腕でも足でも切ってそこから放り込め! それかそこのガキを投げ入れろ!!」


 久我銀丈の怒声が、機械音をも凌駕し周囲に響いた。


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