マジで桜の樹の下には

平中なごん

マジで桜の樹の下には(一話完結)

 今、俺の目の前には何十本という桜の樹々が満開の花をつけて咲き乱れ、まるでピンク色の春霞がかかっているかのように視界をその芳香が充している……。


「──おい! 飲んでるか? おまえ、さっきからなに独りで盛り下がってんだよ?」


 そんな一面桜色の景色を眺めながら、じっと黙ってしまっていた俺に、ほろ酔い気分の上司が赤ら顔で声をかけてきた。


「……あ、す、すいません。ちょっと花に見惚れてしまっていて……」


 俺は我に返ると、しばらく缶ビール片手に固まっていた自分に気がつき、慌ててそんな言い訳を口にする。


「なあにが花に見惚れてだ! おまえはどう見ても花より団子…いや、団子より酒の口だろうが!」


 俺の返答に上司がそう反論をすると、それに合わせて同僚達からはドっと笑い声があがる。


「へへへへ…まあ、そうなんすけどね……」


 辺りを包む仲間の笑い声につられ、俺も反射的に苦笑いを浮かべると、心とは裏腹に表面上だけはなんとか誤魔化そうと試みた。


 せっかく皆が楽しく過ごしているというのに、俺一人のせいでこの場の空気をぶち壊してはさすがに印象が悪いというものだ。


 今日、俺は会社の同僚達と〝城山〟なる小高い丘の上へお花見に来ている。


 なんでも戦国時代には山城があったらしいのだが、今は公園として整備され、近隣住民の憩いの場であるとともにこの時期は桜の名所ともなっている。


「ねえ、大丈夫? なんだか顔色悪いよ? 具合よくないの?」


 上司に代わり、今度はやはり同僚である若い女の子が、俺の様子を怪訝に思ってそんな言葉をかけてくれる。


 見た目も可愛いし気立ても良く、恋愛感情とまではいかないまでも、こんな子が彼女だったらどんなに良いものか…と、心惹かれる性質を持った素晴らしい女性だ。


「……あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっとぼうっとしちゃっただけだから」


 再び苦笑いを浮かべ、彼女に心配をかけまいとそう答える俺であったが、その実それは単なる痩せ我慢、ただただ見栄を張ったまでである。


 正直に言えば、俺はもうぜんぜん大丈夫な状況ではなかった。


 このようにどこまでも美しい桜の花に囲まれていても、その絶景に酔いしれて感嘆の声を漏らしたり、また、周りの仲間達の如く浮かれ騒いで愉しむようなことも今の俺にはできない……。


 なぜならば、今、目の前で満開の花を咲かせている桜の樹一本々〃の下には、人間の屍体が埋まっているのだから。


 桜の樹の下には屍体が埋まっている……それは、梶井基次郎が小説『桜の樹の下には』の中で、その花の美しさを説明するために主人公に言わしめた台詞だ。


 この一種神秘的な雰囲気を撒き散らす、灼熱した生殖の幻惑させる後光のような美しさを前にすると、反対に憂鬱で空虚な気持ちに取り憑かれてしまう主人公は心の均衡を保つため、「樹の下で腐乱した屍体から滴る水晶のような液を吸い上げ、桜はその美しい花弁やしべを作っているのだ」と幻想した。


 そうして桜の根が貪婪どんらんな蛸のように遺体を抱きかかえ、吸い上げた水晶の液が静かに維管束をあがってゆく様を幻視することで、主人公はその神秘的な美しさがもたらす不安より解放されたのだ。


 即ち、それはあくまでも主人公の個人的妄想であり、形容し難き桜の美しさを文章で語るための、文豪・梶井基次郎が生み出した文学的比喩表現なのである。


 ……だが、俺の言う「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という言葉は、そんな高尚な文学的表現などではない。


 本当に、読んで字の如く、マジでここの桜の樹の下には屍体が埋まっているのだ!


 ……いや、埋まっていた・・・・・・と過去形で表す方がより正確か……。


 なぜそんなことが言い切れるのかって? 


 理由は明白。なぜならば、俺には視える・・・からだ。


 ほぼすべての桜の樹一本々〃の根本には、半分肉が腐って骸骨と化した、無惨な鎧武者達が根っこに抱かれて佇んでいる……遥か昔、ここの山城では激しい籠城戦が行われたと伝わっているし、おそらくその戦で命を落とした将兵達の屍体なのであろう。


 そう……いわゆる〝霊視〟というやつだ。


 それが幽霊と呼ばれる存在なのか? それとも土地に記憶された残留思念なのかはよく知らないが、とにかく俺にはそんな〝この世ならざるもの〟が視える特異体質が生まれつき備わっていたらしい。


 その体質のせいで、これまでにも普通の人間ならば味あわなくてもいいような嫌な思いを、どれだけの回数させられてきたことか……。


「よーし! そんじゃそろそろカラオケでも始めるとするか! 最初は誰からいく?」


「はい! んじゃあ、俺から盛り上がるやつをいっちょいきます!」


 だが、同僚達は宴たけなわにさらなる盛り上がりをみせると、ハンディ・カラオケ片手に歌まで唄いだす、なんともたいそうな浮かっぷりだ。


 ……いや、同僚達ばかりではない。周りに目を向ければ、同様に花見へ来たグループが幾つもレジャーシートを広げ、いい感じに酔っ払って大騒ぎをしている。


 この半分白骨化した屍体が溢れる地獄絵図の中で、酒を酔いしれ浮かれ騒ぐなど正気の沙汰とは思えない……しかし、彼らはただただ満開の美しい桜の花の下で、この時期に皆が行う平凡な酒宴に興じているだけなのだろう。


 その美しく目に映る淡いピンク色の花弁が、たっぷり屍体の養分を吸ってつけられたものだとは知る由もないのだ。


 俺の視ている世界と、同僚達の見ている世界とではまるでその景色が違うのである……。


 このなんともいえない綺麗なピンク色も屍体の色づけたものだとすれば、ここの山に植わっているものばかりでなく、他の桜もすべてそうなのではないかとさえ思えてきてしまう……なんだか桜という存在自体、嫌いになってしまいそうだ。


 少なくともこの城山に植わっている桜の花を愛でることは、今後もう二度とできないであろう。


 そればかりか桜の花を見る度に、この大量に屍体の横たわった春の情景が、己の意志に反して脳裏に浮かんで来てしまうに違いない。


「いいぞー! いけいけーっ!」


「アハハハハハ…!」


 俺の眼には屍体の山にしか視えない不気味なを背景にして、同僚達は愉しげに笑顔を浮かべると、和気藹々わきあいあい、陽気な笑い声を春の野に響かせている……。


 美しい桜と愉しげな同僚達に相対するかの如く、その足元にたむろする朽ちかけた鎧姿の骸骨達……ただ気色の悪い屍体だけの景色よりも、そのアンバランスな組み合わせがむしろ余計におぞましい。


 先程、同僚の女の子には「大丈夫」と見栄を張ってみたのだが、やはり俺にここで酒盛りしろというのはどうしても無理な相談のようだ。


 多少、酒が入っていることもあり、胃の中からは酸っぱいものが胸の方へと込み上げてくる……。


「ねえ、ほんとに大丈夫? なんか顔真っ青だよ?」


 他の者達同様に盛り上がっていたその女の子が、再び僕の異変に気づいて心配そうに声をかけてくれる。


「うっ……ごめん。やっぱりちょっと無理だ。先に帰らせてもらうよ……」


 堪らず嘔吐えずいてしまった俺は、今度こそ正直にそう告げると口元を手で覆いながら、敷かれたレジャーシートの上ですくっと独り立ち上がる。


 きっとこのシートの下にも、何体かの屍体が寝転んでいるのだろう……。


 そして、急いで脱いであった靴を履くと静かに宴の輪の中から…否、桜の樹々にまとわりつく屍体の山の中から、逃げ出すようにしてその場を後にした。


                (マジで桜の樹の下には 了)

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