【短編】夏の空の下、私たちは自転車で風を切る。

量子エンザ

第1話 再会

 今年の夏は、一度も固定電話がった記憶きおくがない。


 スマホの方が早いし確実ってのもあって、使う場面が極端きょくたんに減った気がする。


 気が付けば八月三十日になっていて、夏休みは進む速度がとても早い。


 立秋りっしゅうはもう過ぎ去ったというのに、最近の気候きこうはいまだ夏真っ盛りで汗が引かない。


 季節きせつが早く進まないものか、と毎年思う。


 夏休みは好き、だけれど夏は苦手。理由は暑すぎるから……という事にしておく。


 まぶたを閉じようとした時、固定電話に着信音ちゃくしんおんが、せみ大合唱だいがっしょう共鳴きょうめいするように鳴り響いた。


 時刻はお昼を過ぎていた。


 三十度を示す温度計を見たとたんに、さらに暑く感じて見なきゃよかった、と後悔して。


 扇風機で涼んでいた身体を持ち上げ、リビングの入り口にある電話機へ向かう。


 この夏にやられた頭の思考しこうは、アイスクリームのように溶けているようで意識いしきがはっきりしない。


 朦朧もうろうとする頭を手で支えながら電話に出た。


「もしもし?」


 夏バテともいえる脱力感で発声した声は、だらしなくて笑ってしまう。


 首筋くびすじに汗がにじむ。さいわい、髪は肩までしか伸びていない。


 風がよく通るので伸ばしていなくて良かった、と思った。


 踏んでいるピカピカのフローリング。目の前にある白色の壁紙かべがみ意識いしきが鈍化していて焦点が合わない。


『もしかして、美玲みれいの声?』


 うつろになりながら受話器のスピーカーに耳をかた向けていると、どこか遠い彼方かなたで聞き覚えがある声音こわねを聞いた。


 あれ? まさかなと思った。


 記憶きおくをたどりながら聞いてみる。


「えっと、もしかしてみふゆちゃん?」


『わー! 覚えていてくれたの? めっちゃうれしい。家電いえでんの番号も変わってなくて安心したよ』


 アイスクリームがこの暑さで蒸発じょうはつしたかのように、意識いしき鮮明せんめいに変わった。


 遠い昔、父親の仕事の関係で、転校をしてしまった白花しらはなみふゆちゃんからの電話みたい。


 久しぶりに聞いたみふゆちゃんの声は少し声変りをしていて。つややかで、しっとりとしていて大福を触っているかのような感覚。大人っぽかった。


 当時、あたしのとなりには必ずみふゆちゃんがいるというほどずっと一緒に遊んでいて、当時の夏休みは、お祭りとか虫取りとかに行ったっけ。


 声音こわねを久しぶりに聞いて昔の思い出が、財宝ざいほうを掘り起こすみたいに出てきていた。


『ねえ、今から会わない? 私、この夏休み明けからここの河津かわづ第一高校だいいちこうこうに転校してくるんだけど、先に美玲みれいと会いたいって思ってさ』


 ハッと驚く。みふゆちゃんが戻ってくる? この高校に? この町に? 


「え?! 転校生ってみふゆちゃんの事だったの?!」

 

 担任からは〝転校生〟が来ることだけを伝えられていたため、それがみふゆちゃんだとは夢にも思っていなかった。


 あははっと笑っていた。『びっくりした?』


 びっくりするに決まってる。


 早く会いたい。


「とりあえず会おう! 待ち合わせ場所はそうだね……。高校の正門はどうかな?」

 

『いいね! そうしよう。高校こうこうの正門ね。りょーかい』


 受話器を定位置に戻し、自室に戻る。


 心臓の鼓動が激しくなるのを現すように、折れ戸のキャスターがガラガラと鳴る。

 

 縦長のクローゼットを開け洋服を吟味ぎんみし始めた。


「やっぱりおしゃれして会いたいよね。せっかくだし」


 クローゼットの中から選んだのは、白色のふわふわなブラウスとひざ丈のピンクと黒のチェック柄プリーツスカート。


 黒色のカーディガンを羽織はおり、薄化粧をして気合十分。


 手提てさげバックにはお財布とスマホ、ハンカチだけというなるべくシンプルな持ち物で行くことにした。

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