ガラクタにも五分の霊

玉露

01



たったったっ、と人の合間を縫って一人の少女が駆けてゆく。

それは資料を抱えたスーツの男性だったり、彼女とは異なる制服の女性だったり。ちょっとごめんよ、と断りをいれつつ、速度は下げない。声に反応して避けてくれる者もいれば、逆に驚いてその場で固まってしまう者もいる。そんな人々を辛うじてぶつからないようにして、この建物の一階の廊下の一番奥にある部屋へと向かう。高くひとつに結わえたポニーテールがなびいていた。

勢いがつきすぎたため、足を踏ん張り床との摩擦まさつを生じさせて、ドアの前に止まる。


「ギリギリセーフ!」


「なにも間に合ってない」


バンと大きな音をたててドアを開けた少女に、間髪入れずに容赦のない言葉が返った。


十分じゅっぷんも遅れておいて、よくそんな楽天的な解釈ができるな」


「相変わらず可愛げのねぇガキだな」


粗暴な口調で少女が悪態あくたいく。その彼女よりも幼くみえる少年はにこりと笑みをたたえた。


「君より余程あると思うが?」


反論ができず、少女は口を引き結ぶ。この少年、睫毛まつげの長さをはじめとして彼女より圧倒的に優れているのだ。とうにいくかいかないかにみえる彼は、透き通った肌とさくらんぼのような唇で、艶やかな白髪とサファイヤのような蒼い瞳をもつため人形のように容姿の整った美少年であった。造作が整いすぎていて中性的にも、人外にも映る。

黙っていれば目の保養になる少年は、少女に容赦がない。

少女、紗渡さわたりみちるはいつものことだと、どうにかこみ上げる怒りをこらえる。歳下とはいえ、彼は一応上司なのだ。


「どうせ掃除ぐらいしかすることがないんだから、大目に見てくれたっていいだろ」


「その掃除すら満足にできないバイトの分際で言えることか。遅れた分の時給はないぞ」


時給制で学生のバイトとなると、十分の差は大きい。口惜しく感じつつも、みちるは入ってすぐにあるタイムカードで打刻した。旧型のカードを上から差し込むタイプのものだ。今ではパソコンやタブレットで打刻することが一般的なのに、この部屋だけは前時代的な様式のままである。しかし、仕組みがシンプルなので慣れれば楽だ。

上司である少年は、弥珠みたまツクモ。この部屋、骨董こっとう取扱課の主である。狛抓こまづめ署の資料室より奥にある人の寄り付かない一室に、この署にしかない特殊な課、骨董取扱課はある。部屋の左右の棚には所せましと物が雑多にあり、赤べこや壊れたメトロノームなど証拠品でもないのに備品にもならない物であふれかえっていた。

みちるは諸事情で、警察署でバイトをしている。なぜあるのか分からない物たち含めて綺麗にし、部屋の清潔を保つのが彼女の仕事だ。

上司であるツクモがいつからこの課に配属されているのか、みちるは知らない。だが、少なくとも彼女がバイトを始めるより前のことだ。あの幼さでなぜこんな役職に就けているのか、理由を訊いたことはないが、ギフテッド神童とかいうもので海外で飛び級したのではないかとみちるは踏んでいる。それぐらい、彼は上から目線でものを言うのだ。そして、実際、みちるより頭がよい。

口では敵わないと、みちるは自身の仕事にとりかかる。はたきを手に、棚のうえからほこりを落としてゆく。日々の業務が掃除なので、ひどく舞うことはないが、物が多いのでみりん埃は知らず付くのだ。

みちるが掃除をしていると、ドアがノックされ、婦警が訪れた。ガラクタ課の案件で訪問があることはごくまれだが、時折、交通課の婦警などはこうして顔だけだす。


「ツクモくん、シュークリーム買ってきたの。よかったら食べない」


「わぁ、ありがとうっ」


そう、目的はツクモだ。仕事柄、険しい顔をした男性が多い狛抓署で、ツクモは婦警たちのアイドル的存在になっている。そのため、こうして貢物みつぎものをもってくるのだ。すべては渡すときの彼の笑顔を拝むため。


「でた。猫かぶり」


かしてる、と言ってもらいたいな」


みちるの呟きに対して、小さくも冷静な声音で訂正が入る。婦警に向けた喜色ばんだ声音とは大違いだ。どちらでも大した違いはないだろうと、みちるは舌打ちをする。


「おねえちゃんと一緒に食べるね」


「いつも通り多めに買ってあるから、いっぱい食べるのよ」


「うんっ」


ツクモの素直で愛らしい反応に、婦警はにこやかに去ってゆく。ドアが閉じられた瞬間、天使のような笑顔が消えた。

そして、彼は菓子箱をみちるに渡し、茶の用意をするように指示する。みちるは、彼の変わり身の早さに呆れるが、相伴しょうばんに預かる身なので黙って従う。彼女もシュークリームは食べたいのだ。掃除を一時中断して、電子ケトルで湯を沸かし、その間にコップにティーバックを入れる。この部屋で一番現代的なのは、この電子ケトルなのではないかとみちるは思う。食器類のなかには一応ティーポットもあるのだが、ツクモは彼女の技量を知っているので茶葉から煎れろとまではいわない。バイトにきた当初、茶葉から煎れさせたら加減の奇怪おかしい量をティーポットにぶっこんだので、濃厚では済まない味となった。ツクモは改善あるまで彼女の毒味に付き合う気はないのだ。


「バイト、三つだ」


コップの数が不足しているとツクモが指摘した直後、ガラクタ課のドアがまた開いた。今日は珍しく来訪者が多い。

自分は気付かなかったが、足音でもしたのだろうか。みちるは、彼がドアに近い自分より先に来訪者に気付いた理由に首を傾げながらも、指摘通りになったため、もうひとつコップを追加し、そこにティーバックを入れた。


「オサラギ、どうした」


険しい顔をした男に、ツクモは猫を被ることなく平然と声をかける。来訪者は、一課の警部、大佛おさらぎ円真みつざね。殺人事件を扱う課に似合いの強面こわもての男だ。黙ってひと睨みするだけで周囲を威圧できる彼だが、すでに眉間に皺が寄っており、なかなかの迫力であった。


「……ガラクタ案件かもしれねぇ」


「エンマのおっちゃん、砂糖みっつだっけ?」


「おう」


室内に踏み入ったオサラギは、寄った眉間をもみながらソファーに腰掛ける。みちるは、彼の名前をもじってエンマと呼んでいた。これは、彼の人相と名前により署内の人間が呼ぶ渾名あだなだ。しかし、本人を前に直接そう呼ぶのは恐いもの知らずのみちると、一課の同僚ぐらいのものである。

見た目からは予想ができないが、オサラギはこの場の三人のなかで一番甘党だった。湯を注いで、茶葉が充分にでたのを確認したあと、みちるは角砂糖ひとつとミルク、オサラギには角砂糖みっつとミルク、ツクモにはそのままでカップを渡した。テーブルの中央においた菓子箱を広げると、おのおの自分の分のシュークリームをつかみ取ってゆく。ガラクタ課所属の人数より一つ多いシュークリームは、強面の男の手に渡った。

みちるが幸せそうにシュークリームを食べるのを横目に、オサラギは来訪の理由を説明する。なんでも、年配の女性に困りごとがあるらしい。その内容が、事件性はないものの不可解な点もあるとのことだ。

事件性がないにもかかわらずオサラギが事情を知っているのは、交番勤務の巡査に相談されたからだ。この男、顔は強面ながら人がいい。事件のないときは交番勤めの後輩などの様子を見に行き、そのまま彼らの相談を聞いてしまうのだ。彼の人柄を知っている者は、親身になって話を聞いてくれるオサラギをつい頼ってしまう。そのため、殺人事件の発生件数が低い狛抓署で、オサラギは殺人事件以外の事件にもならない相談事を抱え込むことがままあるのだった。

今回の案件も、後輩の一人が自分では解決できないと愚痴を聞き、オサラギが話を一度預かった案件だった。


「それで、どういった案件なんだ?」


「ばぁさんのアラームが鳴らないらしい」


「アタシなんて設定してても気付かなくて学校ギリなことザラだけど」


「どうも、そういうことじゃないらしい。相談を受けた奴も、最初は設定忘れや、耳が遠くなったんじゃないかと疑ってたんだが、そのばぁさん、記憶力も耳もしっかりしているそうだ」


交番の巡査も、相談を受け、年配の女性のスマートフォンで一緒にアラーム設定を確認した。数分後に設定して、動作確認も行ったが正常に鳴ったとのことだ。そして、不可思議なのは、スマートフォンに留まらず、家にある目覚ましすら設定していても鳴らないというのだ。こちらも、巡回の際に立ち寄って設定と動作を確認したが、スマートフォン同様問題なかった。


「最近は発作の薬の時間があるから、ばぁさんが困っているらしくてな」


昨年、夫君が亡くなり、一人暮らしのためアラームが頼りらしい。相談を受けた巡査も、いつも気にかけてくれる優しい女性のことを心配している。しかし、鳴らないない原因が特定できないため弱りきってしまっていた。彼は、ひとつ、新しい目覚まし時計を買って贈ったそうだが、それも必要な時間に鳴らなかったらしい。

ひと通りの経緯を聞き、ツクモは一度まぶたを閉じ、ゆっくりとあげた。


「……ふむ。その女性の家に、鳴っては困る何かがいそうだな」


「そう思って、話を預かってきた」


人為的にしては目的が不明瞭で、機械自体の不具合ならば複数用意して鳴らないのは奇怪おかしい。

紅茶を飲み終えたツクモは、席を立つ。


「行くぞ。バイト、アレはちゃんと持っているだろうな」


確認され、みちるは首元の紐を引き、獣の牙のようなペンダントトップを見せた。


「父さんの形見をなくすかよ」


父親の形見、それがみちるがこの課でバイトをする理由だった。




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