マンドラゴラ

@me262

第1話


 マンドラゴラ。中世ヨーロッパ発祥の伝説上の毒草。人に似た姿を持ち、地面から引き抜かれる時に異様な声を上げ、それを聞いた者は発狂すると言われる。


「……駄目か」

 脳波計を睨み付けていた父親は落胆の声を上げた。道夫は、固く目を閉じたままベッドに横たわる妻の弓子を見つめ、絶望の表情を浮かべた。今日も治療は効果がなかった。妻は目覚めなかったのだ。

「諦めるな。脳に異常がないことは確実なんだ。弓子さんは必ず我々が治してみせる。もう暫く辛抱してくれ」

 そう言って父親は道夫の肩に手を置いた。道夫は無言で俯いた。何度聞いたか覚えていない程の決まり文句だからだ。

 父親は彼の気持ちを察してそれ以上は何も言わずに病室を出て行った。お付きの脳外科医達が後に続く。その中の一人が道夫に声をかけた。

「副院長、夕食を」

 父親が遮った。

「今日は二人だけにしておいてくれ」

 その言葉の意味を即座に理解した医師は、気まずそうに頭を下げた。白衣の一団は粛々と去っていき、広い病室は道夫と弓子だけになった。

 道夫が弓子に出会ったのは新米医師として父親が所有する病院に勤務した初日だった。美しく、優秀な看護師だった弓子に彼は一目惚れした。

 道夫は丁寧に彼女に接して、時間をかけて自分の気持ちを伝えた。弓子はそれを受け入れて交際は始まった。

 そして数年後、道夫が副院長に抜擢された時、二人は結婚した。父親に結婚の話をした時は驚かれたが、すぐに祝福してくれた。

 子供の頃から勉強づけの道夫にとっては夢の様な新婚生活だった。しかし、それは長く続かなかった。

 道夫が父親と共に学会に出席した日、会場のホテルに通じる山道で弓子が一人運転する車が、トラックと衝突事故を起こしたのだ。

 一命は取り留めたが、頭部を打った彼女は植物状態になった。事故車の助手席には二人分の手作り弁当があった。道夫と父親のものだった。

 事故から一ヶ月、弓子は病床で眠り続けている。脳に異常がないにもかかわらず、色々な治療法を試したにもかかわらず、彼女は目を覚まさない。原因は誰にもわからなかった。

 だが、今日こそは目覚めて欲しかった。今日は二人の一年目の結婚記念日なのだ。

 既に夜更けになっていたが、道夫は灯りも点けずにベッド脇のパイプ椅子に座ったまま、月明かりに照らされる弓子の美しい寝顔を見つめ続けていた。妻は眠り姫のように安らかな寝息を立てている。

 彼女の柔らかい掌を握り締めた。熱い涙が込み上げる。

 弓子、今日は特別な日なんだ。頼むから目を開けてくれ。

 彼は妻のふっくらとした赤い唇に口付けした。

 暖かい。

 震える手で彼女の豊かな胸をまさぐる。確かな心音が伝わる。

 自分は医者だ。こんな事をしてはいけないと思いつつも、感情の昂ぶりと衝動的な欲求が抑えられなくなっていた。

 何がやましいものか、俺達は夫婦なんだ。

 道夫は妻の服を脱がせ、強く抱きしめた。初夜の記憶が蘇る。

 弓子、あの時の様に……。

 妻へ接吻し、愛撫を続ける内に、その体が徐々に反応している事に道夫は気付いた。

 恐る恐る妻の下腹部に手を伸ばすと、そこは別の生き物の様に男を受け入れる準備ができている。道夫は歓喜した。

 弓子!

 彼は妻の白い両足を開いて一つになった。信じられない事に、道夫の動きに合わせて弓子の体は次第に覚醒していった。糸の切れた人形の様だった肉体は悦びに弾み、甘い吐息さえ聞こえる。

 奇跡だ。まるで本当の眠り姫の様に、王子の愛で弓子は目覚めつつあるのだ。

 道夫は涙で顔を濡らしながら弓子を見た。妻はうっすらと目を開けて自分を見つめ返している。全身を喜びに包まれた道夫は一気に絶頂に達しようとした。

 その時、弓子の唇から朦朧とした言葉が漏れ出た。

「もっと、武夫さん……」


 深夜の病院内に男の悲鳴が轟く。何事かと職員達が声の聞こえる病室に踏み込んだ。

 彼らが見たのは下半身を丸出しにして狂った様に泣き叫び続ける副院長と、ベッドで安らかな寝息を立てる全裸の女だった。

 武夫とは、道夫の父親の名前だった。

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