第22話「ある落ちぶれた男」

 迷宮都市パセロオルクの片隅に掃き溜めのような場所がある。腕をなくした元探索者や、身寄りのない子供、老人、そういったはみ出し者ばかりが寄せ集まる貧民街だ。連日のように血生臭い事件が起こり、犬とカラスがゴミを巡って争っている。

 そんな貧民街の細い通りを、3人の探索者が歩いていた。狐獣人のメテル、人間族のルーシー、そしてドワーフ族のホルガ。彼女たちは痩せた子供たちに駄賃を渡して、最近この街に住み着いた男の元へと案内させていた。


「ここだよ」

「えっ」


 果たして、孤児が連れてきたのは今にも崩れそうな半ば廃墟然とした荒屋だった。まさかとメテルが子供を睨むと、彼は足早に逃げ出してしまう。


「ほんとに、フェイドはここに住んでるの?」


 小さな包み紙を抱えたルーシーは不安の隠せない顔で建物を見上げる。よくこんなものが今まで残っていたものだと、いっそ感心してしまうほど頼りない小屋だ。何人もの浪人が次々と入れ替わりながら住み着いていたのだろう。


「とりあえず、中の様子を見てみよう」

「そうだね」


 まとめ役のホルガが戸の前に立ち、拳を打ち付ける。


「フェイド! いるか? ホルガだ。様子を見に来た」


 ドンドンと強く叩くだけで全てが崩れてしまいそうだ。メテルとルーシーは戦々恐々として、数歩後ずさる。

 ホルガの呼びかけに応じる声はない。しばらく沈黙が続く。


「すんすん……。酒の匂いがするね」


 嗅覚に優れた獣人のメテルがそれに気付いた。街全体が生臭いが、そこに混じって安酒の悪酔いしそうな匂いが漂っている。小屋に誰かが住んでいるのは事実のようだ。


「邪魔するよ」

「ぎゃあっ!? メテル!?」


 メテルが乱暴に戸を開くと、バキン、と音がして戸板が割れる。ルーシーが顔を真っ青にするが、今更この程度壊れたうちにも入らない。

 薄暗闇の屋内に目を凝らすメテルは、狭く埃っぽい中で蹲るようにして寝ている男を見つける。


「なんだ、いるじゃないか」

「がぁっ」


 つかつかと歩み寄ったメテルが、ボロボロの布団を剥がす。いびきをかいて寝ていた男は弾かれたように飛び起き、枕元に置いてあった剣を掴む。


「フェイド!」

「…………何しに来やがった」


 男が動くよりも早く、ホルガがメテルの前に出て盾を構える。それを見て、向こうもそれ以上の攻撃をやめる。代わりに、窪んだ目で3人を見渡し、忌まわしげに舌打ちした。


「ちゃ、ちゃんとご飯食べてるか心配だったから。ほら、差し入れ持ってきたの」


 ルーシーが抱えていた荷物を、近くのテーブルに広げる。市場で買い揃えた、保存のきく食料だ。


「いらねぇよ。勝手に同情するんじゃねぇ」

「そ、そんなんじゃないわよ」


 冷淡な雰囲気のフェイドに、ルーシーは怯える。

 小屋をねぐらにする無精髭の男は、もはや彼女の知る“大牙”のリーダー、フェイドには見えないほどに落ちぶれていた。活気に満ちていた肉体は水を含んだように垂れ、その瞳は濁っている。身の回りのものをほとんど売り払い、床には大量の酒瓶が転がっている。

 あの日の一件以降、新進気鋭と持て囃されていた“大牙”は壊滅した。ヤックというパーティメンバーを、未発見の未踏破領域に目が眩んで見捨てたのだから、当然だった。

 探索者稼業は信用が第一。悪評の立った彼らをまともに取り合おうとする同業者や職人は皆無だった。

 それでも、フェイド以外の三人は信頼回復のために励んでいた。

 手先が器用なメテルは街の中でのガラクタを集めて簡単な修理を施して売るところから再出発し、最近では臨時の斥候として迷宮に戻りつつある。ルーシーは薬学の知識と治癒術の才能を活かし、格安の施療師として。また、ホルガは職人街の親方たちに頭を下げ、雑用として働いている。

 三者三様のやり方で信頼を少しずつ積み重ね、ようやく細々とではあるが生計を立てられるようになったのが、今日この頃のことだった。


「あんた、もうあたしより弱いんじゃないかい?」


 真っ直ぐに立つことすらできず壁に寄りかかるかつてのリーダーを見て、メテルは悲しみを覚えた。人はここまで変わってしまうのかと、絶望すら抱く。

 彼女たちが社会復帰に向けて動くなか、フェイドだけは酒に溺れ、財を溶かしながら暮らしていた。


「うるせぇ! お前らのせいだ……。お前らだって、ヤックを置き去りにしただろうが!」

「っ!」


 フェイドが激昂し、瓶を投げる。それすらメテルには届かず、力無く床を転がる。


「そうだ。俺たちは探索者として許されざることをした」


 だが、ホルガはその批判を甘んじて受け止める。

 たとえリーダーの強硬な態度を止められなかったとしても、同じパーティとして活動していた以上、そこに罪の差はない。ホルガもメテルもルーシーも、生きている可能性のあったヤックを置き去りにしたことは事実だ。

 未踏破領域、大量のオーク。あの状況でヤックが生きている可能性はほとんどゼロに近かった。それ故、フェイドが死亡届を出すと言った時も、三人は強く反対できなかった。

 どれほど理由をつけようと、四人全員が未踏破領域の財宝に目が眩んだのだ。


「フェイド、ヤックに謝罪はしたのか?」


 それらの罪の全てを受け入れた上で、三人は前を向いている。

 彼らはヤックのもとへと向かい、額を地面に擦り付けて謝罪をしていた。冷徹なメイドの凍えるような視線に射抜かれながら、必死に懇願した。ヤックは慌てた様子でそれを止めて、もう怒っていないと言ったが。


「……俺は悪くねぇ」


 だが、フェイドだけはいまだに、頑なに動こうとしない。

 今日三人が彼の元を訪れたのは、引きずってでもヤックの所へ向かわせ、謝罪させようと思ったからだ。しかし、今もまったく悪びれる様子のない彼に、三人は少なからず落胆する。


「アイツが悪いんだ。なんなんだよ、偶然流れの探索者に助けられるって。そんなことがあってたまるか! しかもあの女とパーティまで組みやがった。俺たちへの恩も忘れたんだ!」

「あんた、支離滅裂なこと言ってる自覚はあるかい?」


 メテルの目は冷め切っていた。

 同じ村で共に育った四人だ。彼の少し高慢で行きすぎる性格は知っていたが、勇敢なところは好ましく思っていた。いつも四人のリーダーとなり、野山を駆け回っていたのだから。

 けれど、今のフェイドは別人のようだ。

 ――そして、それでも見捨てることができない自分にも呆れ果てる。


「……立ちな」

「ぐっ、なにを――ッ!?」


 荒屋に乾いた音が響く。

 ホルガとルーシーが目を丸くしている前で、メテルがフェイドの胸倉を掴んで頬を叩いていた。

 幼馴染からの遠慮のない平手打ちに、頬を赤くさせたフェイドは愕然とする。


「いつまでもグズグズしてるんじゃないよ! いつものフェイドはどこいったんだ! 自分のやるべき事もやらないで、湿った日陰で足踏みして。一流の探索者になるんじゃなかったのかい!?」


 雷鳴のように轟く怒号は、貧民街の隅々にまで響き渡る。


「たった一回失敗して、信頼が地に落ちたくらいで何へばってるんだい。ドン底からでも泥臭くても、しぶとく立ち上がって諦めないのが大事なんじゃないのかい?」


 荒っぽいが優しいメテルの、初めてあらわにする本気の怒りだった。

 その気迫はホルガでさえ止めに入ることを忘れるほどで、彼女が野生の力を宿す獣人であることを仲間に思い出させる。


「逃げるな、諦めるな! どんだけ劣勢でも戦い続けろ!」


 いつか聞いた言葉が、フェイドへ跳ね返る。

 鋭い一撃を受けた彼は、電撃を浴びたかのように目を見開く。


「――まだライセンスは剥奪されてないんだろ。だったら、もう一回やり直せるさ」


 メテルが胸ぐらから手を離す。足の力が抜けて、膝から崩れ落ちるフェイドの胸元から、大猪の牙を削った首飾りが転び出た。

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