聖女フロレンツィア

 ボルツ大聖堂は帝都の西側、一般市民が暮らす街区に存在している。

 神聖帝国が成立した頃に大聖堂の建設が始められたと伝わっているが、立地から帝国と教会の関係の歪さを見て取るのは穿ち過ぎだろうか。

 ボルツ大聖堂に貴族が足を踏み入れることはほとんどない。

 貴族街区にもゲッベルス大聖堂という別の大聖堂があるからだ。

 ただし帝都含む大司教区の中心はあくまでもボルツ大聖堂であり、大司教もこの場所にいる。


 イェレミアスたちがパレードをしている最中だというにもかかわらず、礼拝には数多くの市民が参加していた。

 今回のミサを取り仕切る聖女フロレンツィアの人望あってのことであろう。

 普段は国中を巡回して奉仕活動や儀式などを行っている聖女が、今回このタイミングで帝都のミサを取り仕切るのは明確な意図あってのことに違いない。


 ところが実際に参列してみると、聖女フロレンツィアによる説法は予想に反して何ら平素と変わることなく、差し障りのない教義と道徳を説くものでしかなかった。

 元々彼女は教会の中では穏健派に属しており、その点ではむしろ魔族との聖戦など説く方がおかしいのだが、今は聖女の精神はイェレミアスの魅了下に置かれているはずだ。


 違和感を覚えつつ礼拝が終わるまで待ち、わたしは司祭の一人に声をかけた。

 通常であれば予約もなしに聖女との面会など叶うはずがないが、そこは黒曜姫としての知名度に物を言わせた。

 目深に被ったフードを少し持ち上げて黒髪と金の瞳を見せてやると、途端に司祭の態度が恭しいものに変わり、奥の貴賓室へ通してもらえた。

 

 待つことしばし、礼拝用の仰々しい衣を脱いで簡素な法衣を身に纏った聖女フロレンツィアが姿を現した。


「突然の訪問、申し訳ございません。聖女殿」


「いえ、お気になさらず。教会は信徒の皆様にいつでも門戸を開いております」


 わたしの謝罪にフロレンツィアはにっこり笑って応じた。


「とはいえ誰でも聖女殿に目通りできるわけではありますまい。わたしの黒髪も時には役に立つようですね」


「……ティモ司祭は精霊と神との関係を専門とする研究者で、常々エレオノーラ様にお会いしてお話を伺いたいと申しておりました。そのせいで舞い上がってしまったのかもしれませんね」


 ティモ司祭か。

 気弱そうな顔をした若い司祭だったが、後々何かの役に立つかもしれないから覚えておくとしよう。


 ところでオレステス教における神というのは、ヒューベンタール創世神話にも出てくる神々の内の1柱であるとされている。

 そういう意味では一神教に近い体裁を持ちつつ、複数の神の存在を否定してはいないことになる。

 ただし否定しないとしてもどこまで認めるかについては諸説あり、極端な宗派だと主神以外の神々は主神本来の性格や属性を分け与えられた分体に過ぎないと主張されている。

 オレステス教がヒューベンタールに根を張る過程で取り込まれた精霊信仰もこの辺りが紛糾する部分であり、果たして精霊は神の眷属、前世の世界でいう天使のようなものなのか、それとも主神とは別個の下級神なのか、主神の属性の一部が顕現したものなのか、人によって解釈がまちまちなのだ。

 そもそもまったく異なる信仰を一緒くたにしているのだから、要は辻褄合わせをしているに過ぎないのだが、この世界の人間はそんな議論のために時に命すらかけてしまう。


 八百万の神々という概念を知るわたしがそんな精霊の愛し子というのだから、まったく皮肉が効き過ぎている。


「ところで本日の聖女殿の説法には心を洗われる思いでございました」


「まあ、光栄ですわ。うつらうつらと頭を揺らしておられるフードのお方がいらっしゃるようにお見受けしたのは、何かの見間違いでしたかしら」


「いや、お恥ずかしい。あなたのお声がまるで母の子守歌のように心地よく」


 この女、参列しているわたしに最初から気付いていたのか。

 食えない女だ。

 こうなったらとっとと本題に入ってしまおう。

 そもそもわたしに腹芸などできないのだから。


「聖女フロレンツィア殿。わたしは回りくどいことが嫌いでね。これは性分なので許して欲しい」


 これまでの丁寧な口調をやめ、わたしは単刀直入に話すことにした。


「何を仰りたいの?」


「イェレミアス。奴は何者だ?」


 わたしが質問を投げつけると、フロレンツィアは柔和な微笑を浮かべたままじっとこちらを見据えた。

 ……目が笑ってないぞ、聖女め。


「レーダー子爵領出身の騎士で、現在は白羊騎士団団長を務めていらっしゃいますわね」


「奴は聖印騎士だ」


「……まあ、それは思い違いですわ、エレオノーラ様。あの方は……」


「教会はいつからあの怪物を飼っていた?」


 畳み掛けるようにわたしが問うと、フロレンツィアの顔から完全に表情が消えた。

 針のように尖った空気が肌を突き刺す。

 フロレンツィアは神聖魔法と治癒魔法の名手だと聞くが、攻撃手段を持たぬとは限らない。

 いつでもスキルを発動できるよう腹の下に闘気を蓄積させる。


「怪物だなんて。イェレミアス様は英雄にも等しいお方。何故エレオノーラ様はそのように悪し様に仰るのでしょうか」


「此度の凱旋に際し、イェレミアスたちが魔族の首を塩漬けにして運んでいるのを知っているか」


 魔族の首と聞いてフロレンツィアの顔色が少し蒼くなった。

 これが演技ならば大したものだが……。


「そのような話を聞いてはおります。……事実なのですね」


「小樽を満載した荷馬車を引き連れているのをこの目で見た」


 聖女フロレンツィアは一度ゆっくりとまばたきをしてから、再び聖女らしい微笑を取り戻して言った。


「そのような残酷な行為が真実であるならば悲しいことです。しかし、魔族は創世から続く人類の敵対者。そのような者たちとの戦いが苛烈を極めるのはある意味仕方のないことでしょう」


 個人的には好ましく思っていないが魔族相手なら何をやっても許される、と。

 聖女は本来、魔族絶滅を声高に叫ぶ聖印派とは距離を置く穏健派閥の人間ではあるが……、イェレミアスの魅了の影響下にある割には発言が随分と理性的、というより政治的なのが気になるな。

 少し試してみるか。


「……しかし、魔族とて人であることに変わりはない」


「エレオノーラ様!」


 わたしの言葉を聞いた聖女フロレンツィアは、抑えた声で鋭くこちらを制止した。


「それ以上は仰ってはなりません」


「わたしを異端審問にかけるか?」


「イェレミアス様も教会もそれぞれの理由でエレオノーラ様を欲しています。しかし、それは絶対というわけではないのです。今の情勢でその発言が広まればわたくしにも異端審問を止める手立てはなくなります。どうか」


「……分かった。撤回する」


 何故ここまでフロレンツィアが血相を変える必要があるのか、ということを説明するにはまずこの世界における魔族という存在を説明しなくてはならない。


 そもそも魔族とは何か。

 前世の世界でもゲームなどの創作物によく登場していた種族なのだが、この世界では人類に似た魔物の一種、あるいは神の敵対者である悪魔の眷属などと言われ、熱心な教会信者はそれを信じている。

 しかし、わたしからすれば与太話もいいところだ。

 思うに、魔族というのは人類種の一つに過ぎず、その点ではわたしたち人間やドワーフやエルフと変わらない。

 何故そう考えるのかというと実に単純な話で、魔族と他の人類は相互に交配が可能なのだ。


 交配ができるのは種としてかなり近しい証拠だ。

 例えば、前世におけるホモ・サピエンスとネアンデルタール人のように。

 身体的特徴の差異もわずかでしかない。

 人間とエルフの、エルフとドワーフの見た目が異なるように、魔族と他の種族も少しだけ見た目が異なるだけだ。


 同じ人類の仲間なのだから仲良くすればいいではないか、と前世の記憶を持つわたしなどは思ってしまいそうになるが、実はそうもいかない事情もある。

 

 この世界には魔族が治める国や地域がいくつかあるのだが、うち一つがヒューベンタール神聖帝国含むいくつかの国と国境を接している。

 今さら言うまでもないが、それがストローレ王国だ。

 統治者である王をオレステス教会は古くから『西の魔王』と呼称している。


 ストローレ王国及び『西の魔王』は古来から周辺国家と戦乱を繰り返してきた歴史がある。

 これは教会が唱えるように魔族が邪悪な存在だからでも人類の敵対者だからでもなく、単純に地政学的要請に従った領土的野心によるものだ。

 ストローレは痩せた荒地が多く、また気候も隣接するヒューベンタールなどより厳しい。

 ヒューベンタールから見て北西に位置するストローレは国家の南側の多くが山脈地帯となっており、また北側には氷海が存在するのが寒冷で厳しい気候の要因だろう。


 不幸にしてこの世界では複数の人類種が生存したままここまで文明が発達してしまった。

 あえて不幸と言おう。

 我らが種族間の差異を認め合い共存するだけの知恵をいまだ持たぬがゆえに。


 使徒オレステスが3000年前に生み出した教えが、それを受け継ぐ者たちによって巨大な権力組織となっていく過程で、古来から何かと対立を繰り返してきた魔族がこの世の終わりまで敵対すべき存在『悪魔の眷属』としての役割を宛がわれてしまったのだ。

 ほんの少しでも当時の地理的条件、政治的条件が違えば、例えばエルフがそうなっていてもおかしくはなかった。


 物事のきっかけというのはいつだって些細なものだ。

 それが今では呪いの如く我々人類種を縛り付けている。


 なお聖女フロレンツィアが属する穏健派は公言こそしないものの魔族もまた人類の一種であることを否定しない。

 これが原因で歴史上幾人もの聖職者や信徒が異端の烙印を押されて拷問の末に殺されたが、なおも彼らは決して態度を変えようとはしないのだ。

 その頑なな信念は、イェレミアスの魅了下にあるはずのフロレンツィアの中にいまだ息衝いているようだった。

 本当ならば先ほどの発言一つで拘束されてもおかしくはなかったのだが。


「エレオノーラ様。ご用向きがお済みでしたらお引き取りを。あなた様は以後イェレミアス様にも教会にも近づかれぬ方が御身のためでしょう」


「……ほう? 教会にもイェレミアスにも望まれているとつい先ほどあなたも仰っていたが」


「そうですわね。ですがそのためには……『特別な教化』が必要となるでしょう」


 フロレンツィアの蒼い眼差しと真っ向から見つめ合う。


「例えばわたしがわたしでなくなるような?」


「……美しく無邪気で、愚かなお方。怖いものなど何もないという顔をしてらっしゃる。でも仕方がありません。あなた様はまだお若いのだから。本当の恐怖が何であるか、どうして想像ができるでしょうか」


 フロレンツィアの瞳に宿るのは憐れみだろうか、それとも羨望だろうか?


「今一度申し上げます。お引き取りを」


「……邪魔をした。聖女フロレンツィア殿」


 立ち上がり、一礼をしてからわたしは踵を返して貴賓室を出て行こうとした。

 その背中へ、フロレンツィアの言葉が投げかけられた。


「そうそう、エレオノーラ様。近頃この辺りでよく物取りが出るそうですわ。どうかお気を付け下さいませ」


 振り返ると、フロレンツィアはどこか寂しげに微笑みながら胸元で聖印を切る仕草をした。


「大聖堂のお膝元で人を襲うとは、神をも恐れぬ所業ですね」


「……ええ。本当に」


 




 教会を出て大通りをしばらく歩き、ふと目についた路地で曲がって足を踏み入れる。

 建物の陰となって薄暗い路地。

 人気はない。


 ある程度路地の奥まで進み、足を止める。

 正面に男が一人。

 見たところ何の変哲もない一般庶民だ。


 さらに背後から二人分の気配。

 ちらりと振り返ると、正面の男と同じく庶民風のなりをしている。


「わたしに何か用か?」


 取り囲む三人の男たちに問いかける。

 しかし、彼らは無言で手元にナイフを取り出した。

 これがフロレンツィアの言う『物取り』だろう。

 十中八九、現れたのは今回が初めてだろうが。


「目当てはわたしの命か、それとも身柄か?」


 体つきからして騎士ではないな。

 教会の暗殺者か、レーダー子爵の手の者か?

 いずれにせよ倒してから確認すればいい。ゴットハルトならこいつらの体から何がしかの情報を得ることもできるだろう。


 レイピアの柄に手をかけ、わたしはくちびるの端を吊り上げてみせた。  





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