……お腹痛い。
この世界で一人だけ女傑と呼ぶにふさわしい女性を挙げろ。
そう言われたら、わたしは間違いなく我が母ヘルミーネを選ぶ。
といっても、母上は別に戦闘能力に秀でているわけではない。
嗜み程度の短剣術は修めているそうだがそれだけだ。
では一体何が母上を女傑たらしめているのか。
それはひとえに彼女の不屈の精神であろう。
正直に白状する。
親という立場から見て、わたしは非常に厄介な子どもであった。
言葉を覚え始めた頃から、わたしはしばしば不思議なことを口走ったという。
それはどこか別の土地、別の時間の出来事のようだったが、要領を得ない子どもの言葉を解読するのは容易ではなく、また子ども自身自分が何を口走っているのかよく理解していなかった。
物心がつくより前からわたしが口走っていた奇妙な内容の言葉。
それは他の誰も知らぬ異世界の日本という国で過ごした前世の記憶であった。
子どもの妄想で片付けるにはあまりにも真に迫った内容に、両親をはじめとした周囲の大人たちは頭を悩ませた。
多くの者は、わたしを前世持ちだと判断した。
真偽はともかくこの世界にもごく稀にだがそうした人物の存在は報告されていたし、この世界の人々はそういった超常的な現象を素直に受け入れる素地があった。
だから『過去の記憶』をそうと知らぬまま語る幼児を見れば前世持ちなのだと判断せざるを得なかったのかもしれない。
さすがに異世界云々は想像の埒外だったようで、今に至るまで誰にも知られていないが。
普通であれば、前世持ちの少し変わった子どもというだけでこの話は終わっていたはずだ。
しかし、わたしの場合は訳が違った。
瑞兆というものがある。
わたしに言わせればただのオカルトだが、ヒューベンタール神聖帝国では黒髪がその瑞兆の一つとされていた。
黒髪。より厳密には烏の濡れ羽色。
単なる遺伝子の悪戯に神秘性を見出す愚かしさを説いても仕方あるまい。
経験則として親の形質を子が受け継ぐと知ってはいても、この世界の人間に遺伝学の知識はない。
わたし、エレオノーラは瑞兆を備えてこの世に生まれた。
ヒューベンタール人たちにとって、ある意味ではわたしは皇帝陛下に並ぶほど尊い人間なのだ。
加えて金の瞳。
これはヒューベンタール人にというより、フェルンバッハ家にとって特別な形質である。
もう何百年も前の話だが、わたしと同じように金眼を備えた人物がフェルンバッハの血筋に存在した。
あまりにも昔のことゆえ、件の人物の足跡は正確には伝わっていないのだが、とにかくハチャメチャな伝説が残されている。
曰く七日七晩戦い続けた末に古龍を従えただの、剣の一振りで大地を割り今も領内を流れるフラー川を作り出しただの、干ばつに喘ぐ領民を救うため北海から抱えて運んだ山のような氷塊を降ろした場所がアルツ湖になっただの、当時の『西の魔王』と正面からぶつかり合って地形を変えた場所がストローレ王国スクッガ荒野にあり、現在でも『金竜の爪痕』という名の奇観として知られているだの。
他にも人助けやらとんち話やら恋物語やら、数え上げたらきりがない。
歴史上の偉人ご当地にありがちな荒唐無稽な逸話だらけの人物なのである。
およそ人間とは思えない逸話が伝わっている人物ではあるのだが、少なくともモデルとなった者が実在したのは確からしい。
民間には『金眼のコルネリウス』として知られ、フェルンバッハ家の歴史書にもその名で伝わっているのだが、書庫に秘蔵されたある手記にだけ『コルネリア』と女性名で記載がある。
個人的には上杉謙信女性説みたいでちょっと面白いと思っているが、まあ男でも女でもそこはどうでもいい。
要はフェルンバッハ家にとって金眼のコルネリウスは数々の偉業を為した高名な先祖なのである。
そのため時折血筋の中に金眼を持つ子が生まれると、家の慶事とみなされる。
特にわたしの場合は自分で言うのも何だが早くから非凡な才を見せていたので、幼少期からコルネリウスの生まれ変わりと言われてきた。
前世持ちとみなされていたこともコルネリウスの生まれ変わりという話に一定の説得力を与えてしまい、どうも父上ですら信じているような節があった。
実際には異世界日本で生きた男性の生まれ変わりなので、ちょっと申し訳ないのだけども。
さて、そこで母上の話に戻る。
ヒューベンタール人が尊ぶ瑞兆とフェルンバッハの象徴たる形質を共に備えて産まれた我が子を腕に抱く、当時まだ十代だった若き母上の話だ。
言葉を覚え始めると共に遠い前世の記憶としか思えぬ内容を口走り始めたわたしは、物心がつくようになるとさらに異質さを際立たせるようになった。
母上が語るには、メイドに幼いわたしを沐浴させると決まって自分の股座をぺたぺた触ってあるべきものがないことを不思議がったという。
言うまでもないことだが、あるべきものというのはちんこのことだ。
最初の内は幼さゆえに男女の区別がついていないと思われていただけだったが、時を経るにつれてどうも様子が違うと周囲にも判明してきた。
姫様は女の子なのでおちんちんはないんですよ。
メイドにそう教えられれば一度は納得するのだが、すぐにまた自分が男の子でないことに首を傾げる。
男なのか女なのか判然としないコルネリウス。
彼あるいは彼女の性質をそのまま受け継いだかのように、自分自身の性別を捉え損ねているエレオノーラ。
母上の心労と重圧はいかばかりであっただろうか。
極めて稀な、フェルンバッハ家の歴史上でもっとも尊いとみなされるであろう子を産んだ上に、その子が二重三重にも普通とは異なる特徴を備えている。
重圧の中、若き母ヘルミーネは決意した。
この子を育て上げねばならない、と。
おそらくは命懸けの決意であったと思われる。
元より気の強い女性であった。
素晴らしい子を産んだという誇りもあった。
ゆえに自らの手でフェルンバッハ史上、いやヒューベンタール神聖帝国史上もっとも偉大な人物であると後の世にも語り継がれるような子に育て上げねばならないと意気込んだのである。
高潔な使命感と苛烈な愛情をもって、全身全霊で母上はわたしの子育てに臨んだ。
幼児期の終わり頃には身体能力の面においても非凡さを見せ始めたわたしが年上の貴族子弟数人を一人でぶちのめしたという話を聞いた時には、さすがの母上も心労がピークに達して倒れてしまったが、すぐに復活するとそれまで以上にわたしの教育に力を入れるようになった。
ちなみに幼いわたしに請われるまま武芸の真似事を教えていたアルフォンス伯父は、それはもうこっぴどく母上から怒られたらしい。
おいたわしや伯父上。
このようにしてわたしという一筋縄では行かないどころの話ではない子どもは、母上による教育、矯正、調教によってかろうじてまともな女性に育つことができた。
信じてもらえないかもしれないが、これでもわたしは貴族女性の嗜みとされるものは一通りこなせるのだ。ダンスだろうと絵画だろうと刺繍だろうと。……歌はちょっとだけ苦手かもしれないが。
それだけのものを習得し貴族女性としてふさわしい姿に成長するまで、どれほどの雷がわたしを打ち据えたかはおそらく余人には想像もできまい。
帝都で騎士になるため母の元を離れるまでの15年間は、まさにわたしと母上の戦いの歴史だった。
武芸への憧れと執着についてはさしもの母上も匙を投げたが、騎士になりたいというわたしに根負けして近衛騎士団にいるアルフォンス伯父に口利きを頼んでくれる辺り、何だかんだで甘い人だとは思う。
思うのだが、甘いだけで終わらないのが我が母ヘルミーネという女性で、どうも政略結婚などしたくないから騎士になると主張する娘が皇宮で誰ぞに見初められることを目論んでいた節がある。
アルフォンス伯父も実はわたしの結婚相手を探すよう母上に依頼されているらしい。
どちらかというとそれは我が父ゲラルトの役割なのだが、偉大なるコルネリウスの生まれ変わりたる娘は結婚などという凡百の歩む道に囚われずともよいという考えらしく、騎士となることも反対どころか積極的に後押ししてくれたものだ。
吐き出す血反吐さえ涸れ果てるような過酷な訓練と一緒にだが。
まあ、おかげで強くなれたので父上には感謝している。
結果的に母上の目論見は上手く行っていないにせよ、帝都で過ごして判明したのは想像以上にわたしはモテるということだ。
近衛騎士団も入団当時は色々とあったものだ。
アルフォンス伯父が防壁となってくれたことと、わりとすぐにわたしの本性が知れ渡ったことで騎士団内ではほぼ男扱いになってしまったが。
やはり猥談がいけなかったのか。
あるいは猥談にかこつけて騎士道にもとる行いに及ぼうとした不埒者の金玉を何度か潰したのが駄目だったのか。
手っ取り早くコミュニケーションを取る名案だと思ったのだがな。
ともあれ、以上のように尋常でない精神力でわたしを育て上げた母上が帝都に来る。
そして、苦労して身に着けた淑女としての立ち居振る舞いをすべて放っぽり出して騎士街道を邁進する男装姿のわたしを見て、確実に激怒するだろう。
……お腹痛い。
逃げちゃ駄目?
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姫様と母上の過去説明だけで一話分使っちゃった。
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