blue, blue, 彼女のために泣いてくれ
ゴオルド
第1話 起
美しい彼女の隣で、醜く崩れていく私など、どうして許せるだろう。
久しぶりに訪れた図書館は、すっかり変わってしまっていた。少なくとも私の記憶にあるものとは全然違う。自動ドアを抜けて中に入ると、がらんとした部屋の中央にキノコみたいな形をした陶器のテーブルが一つあるだけ。その卓上には小型モニターが設置され、淡いピンク色した花の映像を映し出していた。蘭だろうか。白い壁際には観葉植物が並び、植物園のエントランスみたいな雰囲気だ。
図書館といえば、本と本棚。あと受付に職員がいる。そういう記憶を持っていたので、私は戸惑ってしまった。記憶がうまく更新されずにデータの先祖返りを起こしたのだろうか。あるいは前身からの記憶転送中にエラーでも起こしたとか?
どうしよう。これでは本の借り方がわからない。
部屋の奥に階段があったので、ひとまずそちらに向かうことにした。上の階に人がいるかもしれない。
だが、期待はずれだった。2階はキノコ机や椅子があるだけで、人はおらず、本も本棚もない。いくつか白いドアを見つけたが開かなかった。
仕方がないので1階に戻った。
ここでは一体どうすれば本を借りられるのだろう。ためしに蘭の端末をいじってみようと手を伸ばしたときだった。
「何かお困りですか?」
背後からそう声を掛けられて、ほっとした気持ちで振り返ったが誰もいない。いや、目線を下げると茶色い猫がいた。私を見上げている。
「図書館に猫がいる!? なんで」
「私は猫ではありません。猫型司書機械DZ-09型です。国民の知る権利を守る知の番人です。DZシリーズは非力ではございますが、犯罪行為及び人権侵害行為は容赦なく通報いたしますので、なめないでください」
「はあ」
よくわからないが、司書と言っているし、この猫に相談してみよう。
「あの、私、本を借りたいんだけど」
「かしこまりました。国民循環識別コードを私の頭上にかざしてください」
「え、どうしてコードがいるの?」
「図書館ではコードがないと、書籍をダウンロードいただけません」
「知らなかった。いつの間にそんなことになったの」
「437年前からです」
そんなに昔からあることを知らないだなんて絶対おかしい。やっぱり私の記憶にエラーが起きているようだ。産まれてから15年、これまでエラーを感じたことはなかったのに。この図書館に入ってから、どうも変だ。
「コードを私の頭上にかざしてください」
再び促されたので、左手首を猫にかざしてみた。ヒョホっという間抜けな音がして、猫は尻尾をぴんと立てた。
「コードを認識しました。セイアさん、ハピラ市立中央図書館へようこそ。あなたは全世代にわたって図書館の利用ははじめてですね。本はあまり読まれない感じですか? たしかに読書や勉強が苦手そうな愛らしいお顔をされてますよね、セイアさんって」
この猫、発言が可愛くない。というか辛辣ではないだろうか。私は司書猫に恨まれるようなことをした覚えはないのにな。
そのとき、上のほうから物音がした。
「セイア……?」
その小さな声は、確かに私の名を呼んだ。聞き逃すはずがない。私の魂がまっすぐに駆けだしていきそうなほどの引力を持つ、ただ一つの――。
糸で引かれるようにその方向を見上げると、階段に見知らぬ女の子が立っていた。私と同い年ぐらいだろう。不健康なほど白い肌とまっすぐな黒髪、赤い唇は花のようで――私はこの唇が嬉しそうにうっすらと開くのを見たことが――。
彼女は私と目が合うと、金縛りが解けたかのように息をのんで、階段を駆けあがろうとした。
「あ、待って!」
予想に反し、彼女はびくりと背を震わせて立ち止まった。振り返ることなく、小さな声で問いかけてきた。
「あなたは、何世代、なの」
「え、13だけど」
突然の質問に面食らったまま答えた。
「第13世代……だからなのね」
女の子はそうつぶやくと、2階へと消えた。
胸がぎゅっと苦しくなった。追いかけたかった。どんなことしてでも追いかけて、振り向かせたかった。だけど、できなかった。そうしたら、彼女を傷づけてしまいそうで。どうしてだかわからないけれど。
かつて地球の人類は、戦争により絶滅した。
そのとき火星に逃れた科学者たちは、すばらしい知能を持っていたが、子孫をつくる能力はなかった。つまり高齢者ばかりだったのだ。彼らは人類を存続させるための戦いを始めた。亡くなった地球人のクローンをつくり、火星に都市をつくったのだ。
私は、セイア・フルシマという女性のクローン体である。第13世代であるが、13体目という意味ではない。セイア・オリジナルの遺伝子に手を加えたバージョン13という意味だ。
私は代々のセイアの記憶を引き継いでいる。私が死んだら、次のセイアが引き継ぐだろう。火星のクローンは皆そうだ。それぞれのオリジナルの記憶を未来へとつないでいる。つまり人類は不死を獲得したのだ。
クローン化は、しかし、いいことばかりではなかった。
人類は生殖機能を失ってしまっていた。人口維持をクローン技術に頼るしかない、不完全な生命に堕ちたのだ。
私たちは産まれ、成長し、死に、再生する。それを何世代にもわたって繰り返す。記憶を引き継ぎ、同じ人間の違う人生を生きる。
いずれ人類が生殖機能を獲得できる日まで。
新しい命を生み出し、役目を終えて死ねる日まで。
研究者たちがその方法を見つけて、私たちをバージョンアップする日まで。ずっと続いていく。
―――‥―――‥―――‥―――‥
その夜、図書館2階にある自室のベッドの中で、女の子は怯えてシーツにくるまり、それと同時に欲望に身を引き裂かれそうにもなっていた。
白いタイルの床には緑色のラグが敷かれ、茶色い猫が丸まっている。
「ディジー、新しい彼女がまた来たの」
自分の両腕を抱きしめた。
「怖い……」
猫は沈黙している。
「会いたくない。もう……見たくないの。それなのに、会いたくてたまらないの」
苦しげな溜息をつく。
「苦しいよ。助けて」
セイア、と小さく呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます