第2話 生



 図書館に行ってから数日後。


 自室で朝食を食べていたら、来客の知らせが手首の端末に表示された。相手の名前が浮かび上がるはずの場所に、DZ-09と表示されている。大急ぎでドアを開けると予想どおり茶猫がおり、するりと室内に侵入してきた。

「突然の訪問失礼いたしますー。わあ狭い部屋ですね。セイアさんらしい庶民的なお住まいで」

「なんでこんなにも当たりが強いのかなあ。それで用件は?」

「マスターがセイアさんにお会いしたいとのことです」

 マスターというのが何を指すのかちっともわからないのに、私は猫を抱きかかえると、全速力で駆け出していた。



 彼女は図書館の前に立っていた。俯いて。両手を握り合わせて。


 顔を上げた彼女と、目が合った。


 何か言いたいことがあったような気もしたのに、頭が真っ白になって、何も思い浮かばなくて、ただ理不尽なほど強い想いがあふれて、強く抱きしめるだけ、それだけだった。


 唐突に浮かぶ言葉。

 ――死んでも。また会いにいくから。


「ああ……」

 頬が熱い。それよりもさらに熱い涙が皮膚の上を伝う感覚は、まるで肌が痺れたようだ。

 何もわからない。彼女の名前も知らない。きっと忘れてしまった。彼女のことは何一つ覚えていない。データが破損している。それなのに、私の身体を焼き尽くすような想いが私を支配していた。

 愛している愛している愛している。すべての細胞が振動し、熱を発しながら叫び声を上げている。つくりもののクローンの細胞だというのに。

 彼女の手が、私の背中に回されるのを感じる。そっと撫でられて、さらに涙があふれ――。




―――‥―――‥


古島ふるしまさん、もしかして寝てる?」

「ね、寝てない」

 意識が覚醒し、慌てて首を振ると、彼女は心配そうに私の顔をのぞき込んだ。

「疲れてる? やっぱり行くのやめようか」

「い、行くよ、行くに決まってるから。大丈夫だから!」

 東武東上線の電車に乗って、池袋へと向かう途中、私はうたた寝してしまったようだ。


 姿勢を正して座席に座り直し、彼女のほうを盗み見た。いつも白い頬をしているが、教室で見るよりもちょっとだけ血色がいい。


 同じ高校に通う彼女は、学校はじまって以来の秀才だと言われていた。雰囲気も知的で細くて可愛くて。スポーツ推薦で入学した私とは住む世界が違うって思っていた。仲良しグループも別だし、滅多に話すこともなかったけれど、ときどき教室にいる彼女をこっそり盗み見ていた。今しているみたいに。

 座る彼女の肩から肩胛骨にかけての硬質なライン、切りそろえられた硬そうな髪、対照的にやわらかそうな小さな手、それらを同時に視界に入れるのが好きだった。


 そんな憧れの彼女が、放課後、「水族館のチケットがあるんだけど」と誘ってきたので、腰が抜けるほど驚いた。昨夜は海外のサッカーの試合を観ていたせいで徹夜してしまったのだが、彼女と仲良くなれるチャンスを逃すつもりはなかった。


 横顔に見惚れていたら、彼女は顔を動かさず、目だけ動かして私を見た。まさに流し目。どきどきして、思わず視線をそらした。

「お、お魚、楽しみだなあ!」

「なにそれ」

 彼女がくすりと笑う。私の言葉で笑ってくれた。それがとても嬉しい。

「古島さんって、寝言を言うタイプなんだね」

「え。私なんか言ってた?」

「うん。すっごく恥ずかしいこと言ってた」

「ええっ、いや、待って、え、え」

 恥ずかしいって何。顔がかあっと熱くなる。

「っふ、可愛い」

 彼女が笑いながら、肩に寄りかかってきた。わあ私、汗くさかったらどうしよう。そんなことを心配をしたら余計に汗が出てきた。

 そのとき、スマホのアラームが鳴った。私たちだけじゃない、電車内にいる人たち皆のスマホが鳴っている。

 スマホを見ると、どこかの国がどこかの国へミサイルを撃ち込んだというニュースと、日本にもミサイルが飛んでくるかもしれないから、万が一にそなえるようにという警告のメッセージが表示されていた。


 それがつまり私たち一般人にとって、最初の戦争開始のお知らせだった。


―――‥―――‥



「また私を置いていくの」

「ごめん」

「謝らないで。謝ってほしいわけじゃないから」

「ごめん……」

「だから謝らないでよ。謝るぐらいなら、いなくならないで」


 ごめんね。

 私は第4世代だから欠陥があるんだって。成人の状態で産まれた弊害なのかな、1年ももたずに身体が崩壊してしまうんだって。


「いかな……いかないでよっ! ねえ、いやだ、いかないで!」


 ごめんね。

 でも、新しい私が、すぐに会いにいくから。



―――‥―――‥



「図書館って人が住めるんだね」

 図書館の2階にある調理室で野菜を煮込んでいた私は、火星米をお湯でふやかしている彼女に声をかけた。

「しかも図書館でカレーをつくるとか、普通許されないよね」

 パウチからルーを取り出し、鍋に投入した。スパイスのいい香りがあたりに漂う。

「普通はね。私は第2世代だから、大抵のことは許されるの」

「第2世代かあ。私みたいな平凡な第6世代とはわけが違うね」

 憧れと尊敬、そんな感情がわき上がる。さすが彼女だ。


 クローンの中でも、第2世代は異質だ。高いIQを持つオリジナルからしか作られない限定バージョンであり、人類存続の研究を任されている。そのために長寿を与えられていた。また幼形成熟ネオテニーでもある。ずっと若くて長生きできるよう改良されたクローンなのだ。


 彼女はまだ死も再生も経験していない、ファースト・クローンだった。人類の未来を背負った特別な第2世代。

 私にとっても、特別なひと。

 

「私の第2世代が作られることはないんだろうなあ。オリジナルセイアはあんまり頭が良くなかったみたいだし」

「そうね」

 彼女はくすりと笑う。

「でも、可愛いからいいじゃない」

 鍋をかき回していたら、彼女が背後から抱きついてきた。

「長生きしてね」

「そんなこと言われたら、おばあちゃんになった気分」

「おばあちゃんになってもいいから、ずっとそばにいてね」

 彼女の指先が震えていることには気づかないふりをした。



―――‥―――‥


「っふ、可愛い」

 そう言いながら、彼女はおなかを押さえるようにして身体をくの字にした。彼女の半分ほどの背丈しかない私が眉根を寄せて見上げると、彼女は素早く顔を背けた。

「あの、顔を背けても無駄というか、身体が震えてるのが見えてるんだけど。笑ってるよね?」

 本日、私は新一年生として入学し、放課後、ランドセルをせおった姿で職員室にやってきた。臨時教員として着任したばかりの彼女は、私を見るなりスーツ姿の身体を小刻みに震わせた。


 クローンの私たちは、知識や教養はプリインストールされているし、前身の記憶もあるから小学校に通う必要なんてなかった。しかし、特に任務のない者は、子供時代は学校に通うことになっている。数年前にそういう法律ができたらしい。


「先生、生徒を見て笑うの、ひどいと思います」

「ごめん。でも可愛すぎるんだもの」

 学校では授業のかわりに、さまざまなオムニバス・レクリエーション――たとえばスポーツやコープゲーム、機械のメンテナンスに幼児クローンのお世話、そして人体実験の被験体などをやらされることになる。彼女はその指揮をとるのだが、その前に生徒を見て笑うのをやめないといけないと思う。

「ほんと可愛い」

 彼女は顔をそむけたまま、私を抱きしめた。鼓動とともに、かすかな振動が伝わってくる。

「もう、まだ笑ってる」

「だって7歳のセイアとか可愛いのかたまり過ぎて。ランドセルも似合い過ぎ」

 ぎゅっとされたから、ぎゅっとし返したけれど、これははたから見たら、恋人同士の抱擁ではなくて、年の離れた姉と妹の抱擁なんじゃないだろうか。

「うう、早く成長したい」

 でも。

 自分の放った言葉に、胸がざわっとした。

 私は第8世代だから、寿命は70年ほどある。これから成長して、おばあちゃんになるまで生きられるのだ。けれど、第2世代の彼女はそのままで。

 それはなんだか辛い気がする。年を取った姿を、若いままの彼女に見られたくないと思った。幻滅されたくない。もう可愛いって言ってくれなくなるかもしれないんだ。想像するだけで悲しい。


 一緒に年をとれたらいいのに。

 綺麗な彼女に、老いた姿を見られるぐらいなら、いっそ……。


 私たち、いつかは離れるときが来るのだろうか。


―――‥―――‥



 記憶がモザイク状に並ぶ。複数の夢を同時に見ているかのよう。

 いつの間にか猫が地面にうずくまり、うっすらと発光していた。何かと通信している?

「う……」

 めまいがして、目の前が暗くなった。

 過去の記憶から、泣き声がよみがえる。


「私のことは忘れて。次に産まれてきても会いにこないで。もう辛い思いをさせたくない」


 指先が私の手首を撫でている。

 皮膚の感覚はあるが、もう四肢を動かすことはできなかった。


「私の記憶を消すね」


 手首の端末からクローン再生施設に送信された私の記憶データを遠隔操作で改ざんするのだろう。

 私の中のあなたが消されてしまう。

 やめて、と、叫ぶこともできなかった。

 だけど、記憶を消されても、あなたが誰だかわからなくなっても、それでも会いたいと思ってしまうのを止めることなんてできない。


 どうして私が図書館に本なんか借りにいくわけ? 読書なんか興味ないのに。

 自分でも理由がわからなくても、私が向かう先には必ずあなたがいる。そうでしょう?

 だから、ただ何も考えずに、口を開けば、それは勝手に出てくるはず。

 

「ルリ」


「なんで、なんでセイアは何度も思い出してしまうの、なんで忘れてくれないの」

 ルリの震える肩をきつく抱きしめた。

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