第28話 特別

 朝陽がいなくなった事実を告げた後、日和はわざとらしく話題を逸らした。


「圭ちゃん、花火大会に行こうか?」


 唐突な誘いを受けて、俺は顔を上げる。日和は無邪気な笑顔を浮かべながら続けた。


「透矢に一緒に行こうって誘われているだけど、圭ちゃんも行こうよ!」


 そういえば、今日は花火大会だった。八年前の今日も、こうして日和に誘われた。


 そして花火大会の最中、俺は日和にキスをした。それがきっかけで、俺達は付き合い始めたんだ。


 ただ一つ違うことといえば、透矢が花火大会に同行することだ。


 とはいえ、いまの俺は花火大会を楽しめる心境ではない。朝陽のことを引きずったまま花火大会に行っても、状況をややこしくするだけに思えた。


 俺は行かない。

 そう答えようとした時、部屋のふすまが勢いよく開いた。


「圭一郎、聞いたぞ! 朝陽ちゃんにフラれて、傷心しているんだって?」


 透矢がやかましく叫びながら、部屋に飛び込んできた。誰からどう聞いたのか分からないが、とんでもない誤解をしている。


「フラれてねえよ」

「こずえさんからそう聞いたんだけど、……って日和がなんでここに?」


 日和の存在に気付いた透矢は、その場で固まる。日和は透矢の動揺を気に留めることなく、無邪気に微笑んだ。


「ちょうどいいや、圭ちゃんも花火大会に誘ったけど、いいよね?」

「え……」


 透矢は顔を引きつらせながら、俺の顔を見る。明らかに嫌がっている反応だ。


 それも無理はない。透矢は告白するために日和を誘ったんだから。

 透矢からすれば、俺の存在なんて邪魔でしかないだろう。


「俺はいいよ。お前ら二人で行ってこい」


 透矢の言葉を待たずに断ると、日和が不満そうに口を尖らせた。


「えー、みんなで行った方が楽しいのに。ねえ、透矢?」


 同意を求められた透矢は一瞬固まる。だけどすぐに、いつもの能天気な笑顔を作った。


「そうだな。行こうぜ、圭一郎」


 透矢の作り笑いは、見え見えだった。内心はがっかりしているに違いない。

 もう一度断ろうとした時、部屋の外からこずえ姉さんの声が聞こえた。


「日和ちゃん! 花火大会行くんだったら、浴衣着る? 着付けしてあげるよ!」


 その言葉に、日和は瞳を輝かせながら立ち上がった。


「いいんですか? じゃあお願いします!」


 そのまま日和は、こずえ姉さんの部屋へ走っていった。部屋に取り残された俺と透矢は、顔を見合わせながらぎこちなく笑った。



 日の沈みかけた縁側で、俺は寝転ぶ。西の空ではオレンジと紫の交じり合った雲がゆったりと流れていた。


 隣では透矢が落ち着かない動きをする。縁側で立ったり座ったりを繰り返し、時折頭をクシャクシャと掻きむしりながら顔を歪ませた。


「さっきから鬱陶しいな」


 俺が抗議すると、透矢は俺の腕を掴み、寝転ぶ身体を無理やり起こした。そのまま小声で喋る。


「圭一郎、本当にいいのかよ?」


 質問の意図は分かっている。本当に告白していいのか、最終確認をしているんだろう。いまさら何を怖気づいているんだ。


「俺に聞くなよ」

「お前! この前は告白しろとか焚きつけておいて!」


 透矢は俺の胸ぐらを掴んで、大袈裟に揺さぶってきた。俺はその手を鬱陶しそうに振り払う。


「自分のことは自分で決めろ」


 確かに俺は、透矢を焚きつけた。透矢と日和がくっつけば、未来の日和を救えると思ったからだ。


 だけど未来に帰る手立てを失った俺にとっては、もはやどうでもいい。未来はすでに変わっている。


 俺と日和が関わらなければ、日和が事故死する未来も来ないはずだ。透矢と日和がくっつかなくても、最悪の事態は回避できるだろう。


 俺のおざなりな態度を見て、透矢は溜息をついた。


「じゃあ質問を変える。お前は日和をどう思っているんだよ?」


 いつになく真剣な表情で問いかける。その表情に押されて、俺は真面目に考えてみた。


 俺にとって日和は幼馴染だ。それが時間とともに、彼女、妻、と呼び方が変わっていった。


 だけど、それだけでは片付けられない感情もあった。その気持ちを正直に打ち明けてみた。


「日和は特別だ。あんな奴は、他にいない」


 俺の才能を信じて、応援し続けてくれる人間なんて、日和の他にいるわけがない。俺があと百年生きたとしても、日和のような人間には出会えないだろう。


 それまで眉をひそめていた透矢は、俺の答えを聞いた途端、可笑しそうに吹き出した。


「だよな」


 顔をクシャクシャにして笑う透矢の横顔を見つめる。


 やはり透矢にとっても、日和は特別だったのかもしれない。人に弱みを見せない透矢が、日和にだけは弱い自分を晒していたのだから。


 ひとしきり笑った後、透矢はもう一度真面目な表情を浮かべた。


「俺はさ、ずっとお前が羨ましかったんだ」


 唐突な言葉に、俺は戸惑う。


「羨ましかったって、何が?」

「好きなことに真正面から向き合っていることとか、無理に他人に合わせないこととか、放課後に日和とイチャイチャしていることとか、そういうの諸々!」

「イチャイチャはしてねえよ!」

「どうだか!」


 透矢はニヤニヤ笑いながら俺の顔を覗き込む。それから一呼吸置いた後、透矢は思いっきり俺の背中を叩いた。


「お前も諦めるなよ、圭一郎」


 何をだよ、と聞き返そうと思った時、日和がパタパタと足音を立てて縁側にやってきた。


 白地に赤い牡丹の柄が入った浴衣をまとう日和。普段は肩まで下げていた髪は、後ろでまとめられていた。いつもは髪で覆われている真っ白いうなじが露わになって、思わずドキッとした。


 俺は動揺を悟られないように、視線を逸らした。俺の心境を知る由もない日和は、浴衣の袖を広げて見せた。


「どうかな? 変じゃない?」


 頬を染めながら上目遣いで尋ねる日和。直球で感想を求められて、俺はどぎまぎしてしまった。


 だけど変にはぐらかすのも子どもっぽい。俺は正直な感想を伝えた。


「似合ってる、と思う」


 ひらひらと揺れる、浴衣の袖を見つめながら伝えた。すると日和の弾んだ声が聞こえた。


「よかったぁ」


 日和は頬を赤らめながら、微笑んでいた。


 ふと視線を日和の後ろに向けると、透矢が顔を真っ赤にしながら視線を泳がせていた。おおかた日和の浴衣姿に見惚れているのだろう。分かりやす過ぎる反応に呆れつつも、笑ってしまう。


 ふとポケットに手を入れると、財布を持っていないことに気付く。

 ちょうどいい。透矢にも日和を褒める時間を作ってやろう。


「悪い、財布忘れたから取ってくる」


 そう断りを入れて、二人を残して部屋に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る