第19話 自らの技術(テクノロジー)を極め体現する素晴らしい才人

(18)



 唐突かもしれないが、スポーツ選手の三人を取り上げたい。


 その三人とはディエゴ・マラドーナ、アイルトン・セナ、そしてマルコ・パンターニ。それぞれ、フットボール、自動車競技、自転車競技における優秀な選手だ。

 これら三人を見知っている方ならば、生前の活躍については映像でも、また同時期に感動を得ながら彼らの活躍を見ていたことだろう。

 唐突にその三人を選んだのは、ここにその三名手を思い描きながら「技術の体現者アーティスト」の言葉となぞらえてほしいからだ。

 いかがだろうか?


 ――彼ら三名手は「技術の体現者アーティスト」に相応しくないだろうか?

 なぞらえてほしい、彼ら往年の活躍と言葉を。


 ディエゴはフットボールの「技術の体現者アーティスト」として、アイルトンは自動車競技の「技術の体現者アーティスト」として、そしてマルコは自転車競技の「技術の体現者アーティスト」として、とても相応しいように思う。


 ならば美術においてはどうだろう?


 ミケランジェロ、ラファエロ、ダビンチ、それだけでなくピカソ、マネ、様々な画家達。

 このように並べてゆくとこの随筆家エッセイストが何を言いたいのか、おおよそ分かってくるのではないかと思うが、どうだろう?

 つまり、「技術の体現者アーティスト」というのは「自らの技術テクノロジーを極め体現する素晴らしい才人」であると言いたいのである。


 現代においてはこの言葉はエンターテイメントや芸術分野を含めた総合的クリエイションにおいて「アートの体現者アーティスト」として置き換えられて捉えられていると前段で述べた。ここで「アートの体現者アーティスト」は「技術の体現者アーティスト」なのであると帰結させる意図を理解していただければ幸いだ。


 マイケル・ジャクソン、マドンナを始めK-POPのスター達のみならず、歌舞伎、映画あらゆる分野で活躍している人々はすべてが「技術の体現者アーティスト」なのである。


 つまり彼らは「科学の体現者アーティスト」――これも言い換えれば「Art(科学)の体現者アーティスト」ではなく、自らの技術で社会へ体現をしている才人であって、その極められた技術に社会は魅了されているのである。


 そしてそれらが現代において「アート(技術テクノロジー)」(もしくは技法テクニックでもいいかもしれない)という言葉で表現されているのであり、それは取りも直さず、「Artアート」――自らをホモ・サピエンスとして個体認識し、やがてそれらを一つとして同化してゆこうとするホモ・サピエンスが持つ意識、つまり科学(サイエンス)とは違うのである。


 「Art(科学)の体現者アーティスト」とは「Artアート」を探る科学者サイエンティストであり、ひいてはサピエンス科学サイエンスを体現した、もしくは体現しようとしているホモ・サピエンスであると言える。


 では、「Art(科学)の体現者アーティスト」とはいかなる人々だろうか。

 それについては歴史上の人物を二人取り上げ、次で語りたい。


 そして取り上げる人物は「ガリレオ・ガリレイ」と「織田信長」である。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る