咲慧の書才堂

橘風儀

プロローグ

 年場の行かない少女が荒野を歩いていた。

 少女の目には力はなく。

 頬は痩せ焦げ。

 今にも倒れそうな状態であった。



 周辺地域は空爆によって吹き飛ばされ。

 少女の家も例外なく焼き尽くされた。



 両親は目の前で殺害され。

 幼い少女が何の因果か異国の地にて生き残ってしまった。



 誰も少女を助けてくれない。

 食糧や水を乞うても水の一滴もくれなかった。



 幸運だった事は傭兵や無法者に捕まらなかったことだろう。

 この地域では珍しい東洋人である為、捕まると碌な目に合わないからだ。



 この異国の地では革命と言うモノが行われていた。

 軍事国家から民主主義国家になるのだ。

 難しい事は分からないが。

 それは良いモノだと少女は聞かされていた。



 だが、どうしてこんなにも酷い状況に陥るのかが理解できなかった。



 同じ国民が、考えの違いで殺し合うのまでは何とか理解できた。

 だけど、どうして他国が介入して無差別に殺すのかが少女には理解できなかった。



 そして少女は。

 そんな考えを理解したくなかった――。



「……おなかすいた。……のどかわいた」



 少女は掠れた声で呟く。



 そんな嘆きの声に誰も耳を貸す者はない。

 生き残った人々は自らの食い扶持の確保に必死だからだ。



 無心で歩いていると遠くから聖歌が聞こえて立ち止まる。

 若い母親が赤ん坊を抱きしめ、椅子に座りながら聖歌を歌っていた。



 母親の頬は痩せこけており、赤ん坊の頬も黒く変質していた。

 赤ん坊は聖歌の高尚な歌よりも即物的な食事が欲しいのだろうか。

 母親の苦労も苦悩も知らずに泣いていた。



 母親は力ない声で赤ん坊を宥める。

 少女は虚ろな目で母親と赤ん坊を見て目を背けた。



 母親が先に亡くなると思ったからだろう。



 この世界には救いはない――。



 少女は再認識して歩き始める。



 少女は荒野を歩き続ける。

 歩みを止めたら。

 そこで死んでしまうと無意識的にも感じていたからであろう。



 日も暮れ、夜空に満月が光り輝く。

 


 足を引きずりながら歩いていたが。

 ついに動けなくなる時がきた。



 少女は仰向けになり、満月を見るように崩れ落ちた。

 すると少女の目から数滴の涙が溢れ出す。

 涙が出ていることに気付いた少女は笑みが漏れた。



 喉が限界まで渇き。

 口の中は乾燥しきっているのに目からは涙は出ることが可笑しく感じたからだろう。



 歪な笑みで笑っていたが。

 それが余計に体力の消耗を招いた。



 体力を使い果たすと笑うこともできなくなり。

 憔悴した表情で公然と光り輝く月を眺めた。



 最後の光景を目に焼き付け。

 永遠の眠りに付こうとした瞬間。

 誰かから声が掛けられる。



「やあ、突然だけど水と食糧をあげようか?」



 少女は目を開けると。

 そこには少女と年が変わらない少年がいた。



「……ど、どうしてくれるの」



 一麦を巡って殺し合う状況下で。

 他人に施す理由が分からないために尋ねる。



「おや、察しが良いねぇ。勿論、無料ではあげられないけど」

「何も持ってないよ。他に当たった方が良いよ」



 少女は力なく言った。



「いや、あるよ。僕は君の才が欲しいんだ」

「……才?」

「そう、才能。僕は才能を集めているんだ」



 少女は少年の言う意味が理解出来ず。

 首をかしげるしかできなかった。



「そう難しいことを考える必要はないよ。君が食料を欲しければ、はいと答えるだけで良い。簡単だろう?」

「……良いよ。食糧くれたら才能でも何でもあげる」



「良い返答だね。じゃあ、約束通り、先に食料を渡そうかな」



 少年は鞄の中から食料を取り出した。

 少女は、ふと先程の母親と子供を思い出す。



「向こうにいる人らにも取引してあげて。今にも餓死しそうな親子がいたから」

「……ああ。あの親子ね。あの親子の才は、もう持っているから取引しないんだ」

「どうして」



「あの親子が持っている才は沢山持っているからね。凡庸な才は何個もいらないんだ」

「そうなの?」

「ああ、そうだよ。さて、では才を貰うよ」



「……まって」

「んっ? どうしたの」



「才はあげるけど。この食料をあの親子に上げてきて」

「どうしてだい? このままだと君は餓死しちゃうよ」



「それでもいいよ。……どうせ、死んでもかなしむ人がいないもん。あの親子はどちらかが欠けたら生きていけなくなるよ。身内が死ぬのは、とても、とてもかなしいことだから」



 少年は稀有なモノを見る目で少女を見ていた。



「……君、面白いね。この極限の状況でも他人を思いやる余裕があるなんて」



 少年は微笑んでから食料を持って行った。



 数十分後に戻って来ると。

 少年は鞄の中から半透明な本を取り出す。



「約束通りに渡してきたよ。では、君の才を貰うね」



 少女は覚悟して目を瞑る。



 少年が少女の頭の上に半透明の本を置いた。

 身体から何かが抜けていく感じが与えられる。



「……んっ?」



 少年が違和感を持った声を出す。



「才が取れない」



 そう言ってから、頭上に乗せていた本を離す。



 不可思議な顔をしてから。

 珍妙なモノを見るかのような目線で少女を観察する。

 少年は鞄から風水で使うような羅針盤を取り出した。



「少し、質問するけど良いかな?」



 少年の表情から先程までの柔和な笑みが消え去り。

 深刻な目を見せながら問う。



「……う、うん」


「生年月日、氏名、産まれた場所を教えてくれるかい?」



 少女は自分の生まれや氏名、少年に尋ねられた質問に全て答えた。

 少年は羅盤を見ながら。

 聞いた情報を羅盤に入れていく。



「ふむ。生まれは日本だったのかい。僕と一緒だね」



 言葉では優しく言っているが。

 深刻な目で羅盤を見ていた。


「なるほど。そうか、そう言う訳か」



 妙に納得した感じで頷く。


「結論から言うとね。君には才能がない。普通の人は才能を三つ持って産まれてくるんだ。どんなに才がない人でも一つは持っている。でも、君には才能が一つもない。これは凄い事だよ」


「凄いの?」


「ああ、凄いさ。……君の才は虚無だ。何事にも染まり、何事にも染まらない。故に、全ての才を包み込むことが出来る」


「どういうこと?」



「万物の始まりは零だ。如何なる才も零から一に発達したに過ぎない。根源は零だ。君の才は破格の才だよ。この才は誰にも奪うことは出来ない」

「そうなの?」



「ああ、そうだよ。今の君には幼くて理解できないと思うけどね」



 少年は満足したような笑みを見せてから言う。



「……そうだ。君、僕の後を継いでみないかな?」

「後を継ぐ?」

「そう、咲慧の名を継がないかい? 君にはその資格がある」



「いみがわからない」



「簡単に言うとね。この世界を良くする人になることだよ」



「……この世界を変えれるの?」

「君の努力次第だよ」



「……なる」



「良い返事だね。なら今日から、君は咲慧と名乗りなさい」



「さえ?」

「そう、咲慧だ。君は今日から八十九代目咲慧として生きなさい」



「あなたのお名前は?」


「そうだな。咲慧の名は君に上げたからね。名無しと言うのも味気ない。……師匠って呼んでくれたらいいさ」



「……ししょう」



「うん。良い言葉だ」

「師匠、おなかすいた」

「さっき、食糧の殆ど渡したからなあ。仮家に着くまで何か持ってないかな。……あっ、これでも舐める?」



 少年はポケットから飴玉を取り出した。



「……あまい」



 少女は糖分なんて数カ月食べていなかった為に物凄く甘く感じて。

 噛みしめるように味わっていた。


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