第18話 お隣さんとふぐ料理

「なあ、アンタらってフレアが酔ったところ見た事あるか?」


 俺はお隣さん家のコタツ部屋でそう切り出した。


「いや、見た事がないな」

「妾もじゃ」

「私もないですねー」


 俺の問い掛けに応えたのは、女騎士マリベルに女吸血鬼ハイジア、それに女太鼓持ちに扮した杏子あんずだ。


「みんなもか。俺もフレアが酔っている所は見た事がない」


 俺はコタツの四面に陣取った一同を、ぐるりと見回してから問いかける。


「なあ、フレアが酔ったらどうなるか、興味はないか?」


 みんな少し押し黙って考えているようだ。


「……正直、興味はあるな」

「ククク、愉しそうではないか」

「私もちょとフレアさんの酔ってるところ、見てみたいかも」

「おう、ならやってみるか」

「さすがあにぃ様です!」

「つか、いまの会話に俺を褒める要素ないからな?」


 こうしてフレア酔っ払わせ作戦の決行が決まった。


「で、具体的にはどうするのだ?」

「とにかく沢山飲ませればいいんじゃないでしょうか?」

「それだといつもと変わらんのじゃ」

「俺が思うに作戦の骨子こっしは前回ハイジアに仕掛けた酔っ払わせ作戦と同じでいいんじゃねーか?」

「うむ。そうだな」

「どんな作戦だったんですかー?」

「ほう、妾も興味があるのう」


 みんなが俺に注目した。

 俺はかつてハイジアを酔わせ、ハイジアたんへと堕とした作戦の内容を説明する。


「おう、こんな作戦だ。まずみんなでハイジアをヨイショしながら色んな酒を次々と飲ませてチャンポンさせた」

「ヨイショなら任せて下さい!」

「次にハイジアがある程度酔ったところで、蟹味噌の甲羅焼きを作って更に呑ませた」

「うむ、アレは日本酒が飲みたくなるからな」

「そして最後にハイジアがフラフラになった所で留めの甲羅酒って寸法だ!」

「……貴様らはそんな作戦を練っておったのか」


 ハイジアは呆れた顔で呟いた。


「だがコタロー、その作戦は蟹味噌甲羅焼きがあってこその作戦だぞ?」

「おう、そうだな。今は蟹味噌は手元にない」

「ならどうするのじゃ?」

「心配すんな、代わりにすげーもんがある!」


 俺はそういって今回の肴を取り出し、コタツテーブルにドンと置いた。


「下関産、とらふぐセットだ!」

「こ、これは何と!」

「ま、まぶしい! 輝いて見えるのじゃ!」

「すっごーい! おいしそー!」

「凄えだろ? 仕事で顔馴染みの社長さんにお歳暮で貰ったんだよ」

「はい! 凄いです! さすが兄ぃ様です!」

「いや、つか、凄いのは社長さんだからな?」

「そんな事はどうでもいいのじゃ!」

「うむ、これならば役不足と言うことは起こり得まい!」


 みんなの視線はとらふぐに釘付けだ。

 俺はそんなみんなに声をかける。


「こいつで作戦決行だ。異議のあるヤツはいるか?」


 一同が揃って首を振る。

 本時刻をもってフレア酔っ払わせ作戦が開始された。




「あら、みんなお揃いなのね」


 ドアをガチャッと開けて、フレアがコタツ部屋に入って来た。


「おう、フレア。まあ大家さんはいないけどな」

「そういえば大家殿は来ないのか?」

「あ、お父さんならお母さんに捕まってましたよー」

「別にハゲ親父が居なくとも構わんじゃろ」

「ひっでえ言い草だな、おい」

「おい、フレア。詰めてやるから私の隣に座れ」

「ええ、ありがとうマリベル」


 フレアとマリベルが並んでコタツに脚を入れた。


「お疲れさん、今日は何をしてたんだ? あ、グイッといってくれ」


 俺はフレアに日本酒を注ぐ。


「おっとっと。それくらいでいいわよ。あたしは今日も召喚陣の解析ね。……ん、く、ぷはぁ、美味しー」


 フレアは日本酒をグッと煽った。


「あ、いい飲みっぷりですねー、さすがあねぇ様です! あ、コチラも一気でどうぞ!」


 女太鼓持ち杏子がフレアに焼酎を注ぐ。


「疲れた後のお酒は美味しいわねぇ。解析って結構骨が折れるのよ」


 フレアは注がれた焼酎をグイッと飲み干した。


「それで解析の成果は出ているのか?」


 マリベルが缶ビールをフレアに手渡す。


「ええ、ようやく結果が出て来たわ。……んぐ、んぐ、んぐ、ぷはー! ケップ。近い内にあの召喚陣を書き換えて、アチラの世界とコチラの世界を行き来できる様にするつもりよ」


 フレアは缶ビールを旨そうに煽った。


「ほう、やるではないか貴様。もしそうなったならば、妾が貴様らを夜魔の森の我が居城へと招待してくれようぞ」


 ハイジアはフレアに泡盛を注ぐ。


「あ、いいの? 夜魔の森って不屍族(ふしぞく)以外、入ったが最後、生きては出られない魔境じゃない。その魔境の居城なんて、興味あるわねぇ」


 フレアはハイジアの提案に上機嫌になって泡盛を飲み干した。


「それにしても、どうしたの貴方たち。代わる代わるお酒を注いでくれたりして、今日は随分とサービスがいいじゃない? もしかして何か企んでる?」


 フレアが俺たちの様子を訝しむ。


「お、おう。なんつーか、アレだ。日頃の苦労を労いっつか、そんなアレだ」

「そ、そうですよー。フレアさん、いつもお疲れ様です!」

「うむ! 解析ご苦労と言うやつだ!」

「そうじゃ、そうじゃ! 何も怪しくないぞえ?」


 俺たちはしどろもどろに応えた。


「まあ、いいわ。あたしは今日は機嫌がいいの。召喚陣の解析に目処がついたんだから! さあ、ジャンジャンお酒を持ってきてちょうだい!」


 フレアは上機嫌にカパカパと酒を飲む。

 そんな様子に俺たちはホッと胸を撫で下ろし、日本酒、焼酎、ビール、泡盛のチャンポン攻撃を仕掛け続けた。




「……少し酔ってきたかしら」

「まま、そう言わずに、ほらもう一杯」

「いいえ、もうお酒はやめておくわ」


 フレアが酒を辞退しはじめた。

 これはそろそろ、とらふぐの出番だろう。


「本当にもういいのか?」


 俺はフレアに問いかける。


「何のこと? お酒ならもういいわよ、お兄さん」

「本当だな? だがこれを見てもまだ、酒はもういい、なんつー事が言えるのか?」


 俺はラップを貼って隠しておいた大皿を取り出して、コタツテーブルに置いた。


「これは何かしら?」

「これはな、『ふぐ刺し』だ」

「ふぐ刺し……」


 向こう側が透けるほどに薄くきられたふぐの刺身が、大皿に大輪の花を咲かせている。

 照明の光をキラキラと反射して、まるで水晶の様な美しさだ。


「このふぐ刺しをだな、箸でこう掬うように三、四枚取ってだな」

「……取って、どうするのかしら?」


 フレアの喉がゴクリとなった。


「三、四枚取って、紅葉おろしとネギを巻いて、ポン酢につけて、……喰らうッ!」

「はうッ!」


 酔ったフレアの赤い瞳がトロンと下がった。

 俺はここぞとばかりに連続攻撃を仕掛ける。


「おっと、ヨダレを垂らすのはまだ早いぜ! そいつぁこれを見てからにしておけ!」


 俺は携帯コンロをコタツテーブルの中央に置き、その上に隠しておいた土鍋をセットし火にかけた。


「そ、それは?」


 フレアが土鍋を凝視する。


「こいつはな、『ふぐちり』だよ」

「ふぐちり……」

「ああ、至高の鍋の一角だ。昆布とふぐのアラで炊いた旨味タップリの出汁を、繊細で淡白なふぐの身がギュッと吸い込んだ、最高の鍋だ」

「最高の鍋……」


 フレアはもう、俺の言葉をそのまま繰り返す事しかできない。

 俺はフレアに問いかける。


「ふぐ刺し、ふぐちり、どちらも極上の肴だ。……もう一度だけ聞くぞ? もう一杯、日本酒、どうだ?」


 フレアは小さな弱々しい声をこぼす。


「……も、………だけ、………かしら」

「はぁ? 聞こえんなあ?」


 フレアは今度は悔しそうに、だがしっかりとした声で応えた。


「……も、もう一杯だけ! 貰おうかしらッ!」


 レノア大陸の四方に聳え立ち、凶悪な魔物の浸入を日々食い止め続ける守護の塔。その賢者の塔の一角、西方『煉獄の塔』を管理する大魔法使い、赤のフレア・フレグランスが、ふぐの毒にあてられた瞬間であった。




「どうだ? 旨いか?」

「旨いなんてものではない! これはまさに言葉では言い表せぬ崖の上の綱渡りのような繊細さで作り上げられた極上の肴だ! 先ずは鍋! 口に含むとほんのり感じられる旨味、凪いだ海の様に淡白なそのふぐの身にタップリ染み込んだアラの旨味に紅葉おろしの刺激が堪らぬ味の饗宴を奏でている! 次いで刺身! 薄く頼りなく思えるその刺身が数枚纏めて食す事によってまるで三本の矢の様に折れぬ腰の入った食感へと様変わりしている! サラリとした淡い舌触りにキュッと華を添えるポン酢との相性も最高だ! 何よりこのふぐの味には美しさがある! 毒と紙一重のその美しさはまさに美の女神アフロディーテ! オリュンポスの神々ですら膝をつくこの美味を私はいくら言葉を尽くしても語り切れる気がしない!」

「……お、おう」


 俺がフレアにふぐ料理の感想を尋ねると、横からいきなりマリベルが叫びだした。

 クワッと目を見開き唾を飛ばしながら話すマリベルに、俺は若干引き気味になる。


「みんなはどうだ?」

「んー! 最っ高! ふぐの身って繊細で上品な味わいなのねぇ!」

「こ、この程度の美味なら、夜魔の森の我が居城、我が我が、居城にも!……ッ、クゥッ! 妾は負けぬからな!」

「美味しーい! さすふぐッ!」


 みんなの反応も上々の様だ。


「良かったよ気に入ってくれて。さ、フレア、酒のお代わり注いでやるよ」

「ええ、悪いわね、お兄さん」

「なあに、いいって事よ」


 俺はニヤリとほくそ笑んだ。




「ヒック、あー、もうだめ! ヒック、もう飲めないわぁ!」


 ふぐ料理を食べ、バカスカと呑みまくっていたフレアが声を上げる。

 くちくなったお腹をさすって天井を見上げ、「フーッ!」と大きな息を吐いた。


 ――――キタッ!


 この瞬間を待っていた!


 俺は赤い顔でフラフラになったフレアに話しかける。


「まま、フレア、もう一杯いっとけよ」

「もうだめよ、ウップ。これ以上飲んだらもうだめよ、ヒック」


 フレアはトドメの酒を拒絶しようとする。

 だが俺には最後の取って置きがあるのだ。


「まあそう言うなって。つか、今から『ふぐのヒレ酒』を作ってやるからよ」

「……ふぐのヒレ酒? ヒック」

「ああ、最高に旨いぞ?」


 俺は準備しておいた七輪の上にふぐのヒレを置く。

 焦さないようにこんがりと炙る。

 そうして出来上がったふぐのヒレをグラスに入れて、その上からホカホカと湯気を立てる熱燗を注いだ。


 グラスの酒が無色から透き通った琥珀色に変化する。

 温められた日本酒の甘い香りと、こんがり焼き上がったヒレの香ばしい香りが渾然一体となって周囲に漂う。


「またせたな。トドメの、……最後の一杯、ふぐのヒレ酒だ」


 俺は勝利を確信してフレアにヒレ酒を差し出した。


「あ、もう無理。ヒック、ヒレ酒はまた今度で」

「……なに?」


 フレアが筋の通らない事を言い出した。


「フレア、もう一度だけいうぞ? ヒレ酒だ」

「ヒック、いらない。もう無理」

「……はあ? つか、ヒレ酒だぞ? 普通飲むところだろ、ここは!」

「知らないわよ、ウップ、そんなこと! もう無理ったら無理なのよ!」

「何だそれ!? わけがわからないよ!」


 俺は魔法少女を騙すマスコットの様に声を上げた。

しかし魔法使いの女を騙す事は出来なかった。

 他のみんなも俺に同調して声をだす。


「いいから黙って飲むのじゃ!」

「お前、飲まないのなら私が飲んでも文句はあるまいな!」

「フレアさん、ここまで飲んだんだから最後に一杯飲んじゃいましょうよー」


 しかしフレアは「イヤよッ!」と口を閉じて頑なに最後の一杯を拒絶した。


「何てヤツだ、信じらんねえ! ハイジアなんか、これでコロッとだまくらかせたんだぞ! やっぱり、フレアはハイジアほど、チョロくないってことか!」

「そうじゃ、そうじゃ! 貴様は妾ほどチョロくないのかえ!」

「いいのか? 私が呑むぞ! いいのか?」

「ほらー、フレアさんの、ちょっといいとこ見てみたいー!」


 俺たちがギャースカ騒ぐほどフレアは頑なになる。


「ええい、埒が明かんのじゃ!」


 ハイジアが黒い霧となったかと思うと、次の瞬間にはフレアの背後に出現し、フレアを羽交い締めに拘束した。


「いまじゃ! マリベル! 妾もろともヒレ酒を呑ませい!」

「なっ! お前卑怯だぞ、ハイジア! 私にも呑ませろ!」

「ハイジアさん! 力づくは駄目ですよー!」

「ちょ、おま! 無理やりはやめとけー!」

「んーッ! んーッ! んーッ!」


 フレアは拘束を逃れようと必死にもがく。

 しかし魔法使いが真祖吸血鬼トゥルーヴァンパイアに腕力で敵う道理などない。


「くっ! 後で必ず私にも呑ませろよ!」


 そう叫んでマリベルはフレアに無理やりヒレ酒を呑ませた。


「んーッ! んーッ! んーッ! ぷはぁ!」


 ゴクゴクとヒレ酒がフレアの喉へと吸い込まれる。


「……つ、つか、無茶苦茶だ、こいつら」


 フレアは抵抗虚しく女騎士と女吸血鬼の前に敗れ去った。




「うへへへへー! ハイジアちゃんは可愛いなぁ、もう!」


 フレアはハイジアの頰に自分の頰を思い切り擦り付ける。


「や、やめよ! おのれ貴様! コタローもボーッとしておらんで妾を助けるのじゃ!」

「……つか、無理強いしたアンタが悪い。自業自得だ。甘んじて責め苦を受けろ」

「ハイジアちゃーん、頬っぺたスベスベー、うへへへへー!」


 酔ったフレアは相当たちが悪かった。

 まるでセクハラオヤジだ。


「お、おい、フレア。そのくらいにしておいてやれ。な? ハ、ハイジアも嫌がっているだろう?」


 マリベルが恐る恐るフレアに近づく。

 するとフレアはハイジアを捕まえたまま、素早く蛇の様にマリベルに絡みついた。


「……んあ! 離せフレア! どこを触っている! んあ!」

「うへへへへー! マリベルちゃーん! ここがええのんかー?」

「貴様! 妾を夜魔の森の女王と知っての狼藉、……あん! やめよ! あん!」


 俺と杏子の間に気まずい空気が流れる。

 俺は意を決して口を開いた。


「……おう、杏子ちゃん、帰るとするか?」

「え、えっとー、はい! そうですねー! さすが兄ぃ様です!」


 俺たちは飲み会の後片付けを開始する。


「ちょ! 貴様ら! 妾を見捨てる気かえ? あん!」

「後生だコタロー! フレアを何とかしてくれ! んあ!」

「知らん、知らん! 力づくで呑ませたアンタらが悪い! 潔く腹をくくれ!」

「うへへへへー! ハイジアちゃーん! マリベルちゃーん! ここがええのんかー?」

「あん!」

「んあ!」


 コタツ部屋を出る俺と杏子の背中に「コタロー! アンズ! 行かないでくれー!」と言葉が投げかけられる。


 俺たちはその言葉をスルーして、コタツ部屋のドアを閉めた。


 俺は杏子に向かって口を開く。


「なあ、杏子ちゃん」

「はい、なんですか?」

「……フレアを酔わすのは、もう止めような」

「……そうですね」


 俺たちはそう頷きあって、お隣さん家を後にした。

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