隣の部屋の女騎士は、異世界人で飲み友達

猫正宗

第1話 お隣さんは女騎士

「あーッ、もう! うるせーッ!!」


 今日もマンションの隣室からドタン、バタンとやかましい騒音が聞こえてくる。

 もうこの三日間、昼の間ずっとだ。


「……おのれ、もう我慢ならん。今日こそは絶対に文句を言ってやる!」


 俺は30過ぎで独り身のオッさんだ。

 ご近所さんと少々揉めたって、何の問題もない。


 俺は鼻息を荒くし、肩を怒らせつつ部屋から廊下にでる。

 途端に冬の厳しい寒さが、俺の頰を冷たく冷やした。

 しかし今の俺はそんな寒さも気にならないほど、気が立っている。

 俺は額に青筋を立てたまま、お隣さん家のピンポンを連打した。


「あのーッ! まじで五月蝿いんすっけどー!!」


 俺はデッカい声を出しながら、隣の部屋のドアをガンガンと叩く。

 だが、部屋の中からは何の反応も返ってこない。


 この間も、相変わらずクッソやかましい物音がドガン、ドゴンと鳴り響いている。

 つか、どうすりゃこんなデカい音で騒げんだよ。


「おい、こら、出て来いや! 部屋ん中で暴れてんのは、分かりきってんだぞ、ゴルァッ!!」

 

 俺はドアをガシガシと思いっ切り殴り、ドアをガツンと全力で蹴飛ばした。

 だが、やはり部屋からは誰の反応もない。


「ふざけんな、ボケッ! 居留守使ってんじゃねーよ!」


 俺はそう喚きながら、ドアのノブをガチャガチャ揺らす。

 するとお隣さん家の玄関扉には鍵が掛かっていなかった。


「……開いてんのかよ」


 俺は鍵の掛かっていないドアを開けて、部屋へと押し入る。


 不法浸入?

 そんなもんは知らん。

 絶対に一言文句を言ってやる!


 俺は新たにした決意を胸に、お隣さん家をリビングに向かって歩く。


「……しかし、生活感のないウチだな」


 俺はお隣さん家を見渡してそう思う。

 なんというか、家具が全然ないのだ。

 引っ越してきたばかりなのか?

 いやでも、騒音は三日前から始まってるしなぁ。


 俺は首を捻りながら歩く。

 そして、お隣さん家のリビングの扉の前に着いた。


 リビングからは相変わらず、ドッタンバッタンと大騒ぎする音や、「グルゥオオオーーーッ!!」と叫ぶ雄叫びが聞こえてくる。


 ……ん? 雄叫び?


 少し引っ掛かるものがあるが、とにかく今は文句を言ってやるのが先だ。

 俺は呼吸を整えてから、大きく息を吸い込み、こめかみに青筋を立てたまま、リビングの扉に手を掛ける。

 そして、勢いよく扉を開きながら、中の人に向かって声を張り上げた。


「ちょっと、お隣さんッ! アンタなぁ、何してんのか知らないけどッ、毎日、毎日、五月蝿い、ん、……です、……………けど」


 俺の怒声は尻すぼみになる。

 扉を開けた先のリビングは、だだっ広い殺風景な空間だった。


 天井は高く高く。

 壁から壁からなんてどれだけ離れているか、ちょっと想像がつかない。


 その非現実的な空間を前にして、俺はポケーっと呆けたように立ち尽くす。

 そんな俺の耳に、騒音の元となった戦いの声が届く。


「――凍てつく氷の刃よ 敵を切り裂け―― 喰らえッ、氷刃アイスエッジ!」

「ギィャオオオーーーッ!!」


 お隣さん家のリビング、そこにはドームより広い空間が広がり、その広い空間では……


 一人の女騎士が、デッカい龍の化け物と戦っていた。




 女騎士と真っ赤な龍は、一進一退の攻防を繰り広げていた。


 女騎士の剣尖が袈裟懸けにキラリと煌めくと、龍の化け物からは悲鳴が上がる。


 だが龍の化け物もやられてばかりではない。

 大きく息を吸い込んだかと思うと、女騎士に向かって灼熱のブレスを吐き出した。


「お? おわっ! 熱い! マジ、あっつい!」


 離れた場所で行なわれるその戦いの余波が、俺の元まで届く。

 俺は慌てて、辺りを焼く赤い龍の炎から逃げ回った。


「これでッ、終わりだ!」

「ギィィィイ、ギャアアアーーーーッ!!」


 ひと際大きな叫び声が辺り一面に響いた。


 灼熱の龍のブレスを突っ切って飛び出した女騎士の剣が、赤く輝きを灯した龍の喉に突き立てられたのだ。


 赤い龍は断末魔の悲鳴を上げながら、ゆっくりとその巨体を地に伏せていく。


 女騎士は龍が絶命し、完全に沈黙した事を確認した後、龍の喉からスッと剣を引き抜く。

 そして一度剣を軽く振るって、剣についた血糊を飛ばす。


 女騎士は剣を鞘に納めてから俺を振り向いた。


「おい、そこの男。怪我はないか?」

「……お、おう」


 俺は引き気味に応える。

 女騎士は俺の返事に安堵の息を吐く。


「そうか、それなら、よかっ……た……」


 そう言いながら女騎士がポテリと倒れた。


「ッて、おいおいおいおい!?」


 俺は倒れた女騎士に駆け寄って、その体を抱きおこす。


「しっかりしろ! 大丈夫か、アンタ!」

「……私は、もう、ダメだ」


 女騎士は苦しげに顔を歪めて、俺に応える。

 何だこれ?

 出会っていきなり死なれたりしたら、堪らんぞ。


「気をしっかりもて!」

「……ダメだ、死にそうだ」

「諦めんな! いま救急車呼んでやるから!」


 俺はポケットから携帯を取り出して操作をする。

 すると、ピポパという電子音に混ざって、ギュルルと腹が鳴る音が聞こえてきた。


 ん?


「……なぁ、今の腹の音、アンタ?」


 俺がそう聞くと、女騎士は少し恥ずかしそうに頰を赤くし、視線を逸らして呟いた。


「し、仕方ないだろう、……腹が減って、死にそうなんだから」


 俺は無言で、抱き起こしていた女騎士の体を離した。

 女騎士は頭を床に強かに打ちつけ、「アイタッ!」と声を上げた。




「ほらよ、出し巻き玉子に塩むすびだ」


 そう言って俺は、作ったばかりの飯を女騎士に渡す。

 あの後、一旦自分の部屋に戻って作ってきた飯だ。


 出し巻き玉子はLサイズの卵を3つ使った大きめサイズ。

 塩むすびもデッカいソフトボールサイズである。


 女騎士は俺から受け取った飯を勢いよくがっつく。

 そして出し巻き玉子を一口食べて、その手を止めた。


「……何だ、これは」


 女騎士はそう呟いてフルフルと震えている。

 俺はそんな女騎士に声を掛ける。


「何だって、出し巻き玉子だよ。……なんか、マズかったか?」

「出し巻き玉子……」


 女騎士はまたそう呟いた後、目を見開いてガツガツと飯を食い始めた。


「うまい! 何という旨さだッ!」


 女騎士は「うおーッ」と喜びの声を上げながら飯を頬張る。

 正直ちょっとやかましい。


「この白いのも旨いなっ! 丁度良い塩梅の塩加減に、噛むほどに引き立つ甘さが絶妙だ!」

「……ったく、大袈裟なヤツだな、アンタ。ほらよ、コレを飲め」


 俺は苦笑しながら、湯を注いだインスタント味噌汁を女騎士に差し出す。

 その間も女騎士の飯を食う手は止まらない。


「出し巻き玉子! 旨すぎるぞ、これはッ! ぷるんぷるんだな! それに、卵の生臭さが全くないじゃないか!」


 女騎士は味噌汁に手をつける。


「あっつ! 熱い! 熱いけど、でも旨いッ。こんな複雑な味のスープは飲んだことがないぞ、私は!」


 女騎士はとにかく逐一驚いて、旨い旨いと連呼しながら、俺の作った飯を食った。




 女騎士はくちくなった腹をさすり、俺に礼を言う。


「ありがとう。助かった」


 俺は手を振って、鷹揚に応える。


「別にいいよ、大したもん食わした訳でもないしな」


 そう言って俺は、プルタブをカコンと開け、缶ビールを一口あおる。

 そんな俺に女騎士が続けて話しかけてきた。


「いや、大層立派な料理であった。あんな旨いもの、私は今まで食べた事がない」

「……アンタ、どれだけ貧しい食事で育ったんだよ」


 俺は思わずそう呟いた。

 だが、女騎士は俺の呟きを気にする風でもなく、続けて話す。


「ついては、食事の礼がしたい。何か望みがあれば言ってくれ」

「望みだぁ?」

「あ、エッチなのはダメだぞ?」


 女騎士は突然そんな事を言い出した。


 望み、望みねぇ……

 俺は少し考えてみる。

 そうして女騎士に応えた。


「うん、望みとか特にないわ」

「……ないのか?」

「ああ、ない」

「それでは私の気がすまん」


 女騎士はしつこく食い下がってくる。


「ふむ、取り敢えずアンタの名前を教えてくれ。俺の名前は虎太朗(コタロウ)だ。『こ』は『虎』な」


 そう言って俺はまず自分から名乗った。


 俺がそう名乗ると、女騎士は慌てたように居住まいを正す。


「わ、私とした事が、名乗るのを忘れていた。私の名はマリベル。聖リルエール教皇国、破邪の三騎士が一人、竜殺しの聖騎士マリベルだ」

「……お、おう」


 マリベルと名乗る目の前の女騎士は、そんな厨二病を拗らせたような自己紹介をした。


 俺はこの厨二病患者になんと応えたものか分からず、取り敢えず缶ビールをもう一口煽った。


「……」


 何だか視線が気になる。


「…………」


 女騎士に目をやると、女騎士は俺がビールを飲む姿をジーっと見つめていた。


「……えっと、アンタ……」

「マリベル」

「アンタ、マリベルさん」

「『さん』は要らぬぞ、コタロー」

「……あっそう、じゃあ、マリベル。アンタ、ビール飲みたいの?」


 俺は手に持った缶ビールを掲げて、女騎士マリベルにそう尋ねてみた。


「……エールは、嫌いではない」

「ふうん。でも聖騎士さまとやらが、酒なんて飲んでもいいものなのか?」

「ああ、問題はない。というか教会や修道院などでもエール作りは盛んだ」


 そう言ってマリベルは、俺の手の缶ビールを凝視した。

 俺は苦笑いをしながら、新しい缶ビールをマリベルに差し出す。


「ほら、缶ビール、一本やるよ」

「おお! これはかたじけないな!」


 そう言ってマリベルは缶ビールを受け取った。


 四苦八苦しながらプルタブを開ける。

 そうしてマリベルは、缶ビールの缶を傾けて、豪快にビールを飲み干した。


「…んく、んく、んく、プハァ! 何だこれは?! 私が知っているエールとは全然違うぞ! 喉越しが最高じゃないか」


 驚きに目を見開くマリベルに、俺は少し笑いながら、もう一本の缶ビールを差し出す。


「ははは、アンタ、飲むの早えよ。ほら、もう一本」


 女騎士マリベルは俺からビールを受け取り、今度はゆっくりと味わいながら飲む。


「……旨い。香りやコクなら、私の知るエールビールも引けは取らないが、この缶ビールとやらは、喉を通る際の切れ味が全く違う」

「随分気に入ったんだな、アンタ」

「マリベルだ」

「……マリベル。気に入ったんなら、もっと飲んでいいぞ。ビールなら、部屋に戻れば冷蔵庫に山ほどあるからな」


 俺がそう言うと、マリベルは嬉しそうに笑った。


 美人が笑うとサマになるよなぁ、などと俺は思う。

 旨そうに飯を食い、酒を呑む様子も俺好みだ。


 そして俺はひとつ思いついた。


「なあ、マリベル。さっきの願い事の事なんだがな」

「うん、決まったか?」

「ああ」

「なら言ってみろ」

「おう、マリベル、アンタさ、俺の飲み友達になってくれない?」


 俺はマリベルに、そう願い事をした。

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