第11話「マジカルガールダイアリーの船」
姉さんの部屋なんて何年ぶりだろう。
幾度となく見てきた淡く優しい
「さぁ、
ふわりと俺の周りを浮遊し、ボンコイは冷静なままに催促をしてきた。
「──
「……わかったよ」
鼻で小さく息を吐き、全身は緊張で硬直寸前のまま──ドアノブに乗せた手をそっと回していく。
ゆっくりと押しだしていった扉、その奥には遠く広大な青空が広がっていた。
開けっ放しの窓から何も変わらない町の建物たちが小さく映り、爽やかな空気と夏の香りが頬を撫で抜ける。
しかし、この部屋は光から遠ざけられたかのような暗がりに包まれていて、まるで影の世界のようだった。
部屋に引きこもっていただけかもしれない、と非現実的な淡い期待を抱いていた自分を自嘲してしまう。
脱ぎ捨てられた衣服や下着がベッドに散乱し、机の上には空のビール缶が一缶だけ転がっている。
少し散らかっている程度で殺風景とはしているが、大して妙なところは見受けられない。
姉さんがいないだけの数年前と特に変わらない
するとボンコイは前を飛び出して机の下へ降下すると、突然ピタリと止まりだした。
ボンコイの目の前にあったのは、書類や筆記用具などを入れる三段のキャビネット──その一番下にある大きな引き棚の前でボンコイは微動だにせず、浮き続けていた。
言葉も交わさぬままキャビネットの前に
そこにあったのは何十冊にも及ぶ大量のノートばかり。
一冊だけ取り出してみると名前を書く欄に『日記帳23』とだけ大きく記入してあり、どれを取っても『日記帳』と後ろに番号が書いてある何の変哲もない物だった。
「これが……なんだよ?」
これに何の意味があるのかを問うもボンコイは「『日記帳5』を取り出してください」と簡略的に要求してきた。どうも腑に落ちぬまま、俺は迷うことなく言われた番号のノートを手に取ってみる。
「──『6月12日』と書いてあるページを開いてください」
それだけ言われるとすぐさまページを
「……っ、これって」
そこに書かれていた文章に、俺は思わず
一文字ずつを読む度に、自分の記憶からもその時の思い出が微弱ながら再生されていく。
「俺と姉さんが初めて会った時のやつ……」
──6月12日
『死んだお母さんの代わりになる新しい人と八歳も下の男の子、性格も好みも何も知らない人たちが新しい家族になるなんて、今後どうしたら良いのか私にはわからない。
だけど、素直に新しい弟は可愛いと思った。でも、どう接して良いのかわからない。ゲームなんてあんまりやったことないし、男の子が好きな物も知らない。
でも……少しずつ好きになっていけば良いよね、家族になったばっかりなんだから』
部分的に読んではみたが、何とも言えない気持ちになり頬に火照りを感じてしまう。
「こ、こんなの見せてどうしたいんだよ」
──好き……とかそういう事書かれてるの見たら誰でも恥ずかしいっての、人のプライベートはやっぱり覗くもんじゃない。
されどボンコイは答えぬまま、今度は「7月25日を開いてください」とだけ言った。
俺はその日にちを耳にした瞬間──手が止まりだした。
だって、その日は……。
固まった表情でボンコイを一瞥するも指先は無意識のままページを
だって、あの日は……。
──7月25日
『二人が死んだ、魔法少女に殺された。
ただそれだけの事を新しいママのお友達であるおじさんに教えられた。
実感がない。しかし、テレビでは二人が行った旅行先で魔法少女が暴れ、日本人二名が死亡したとニュースになっている。
現実味がない。夢だとしか思えない。大人たちが何を言っているのかわからない。
明日、明後日、明々後日、二人で今後どうやって生きればいいの』
──胸糞が悪くなる、俺だってあの日の事を何度も思い出したくはない。
これにいったい何の意味がある、これをボンコイは何をさせたいんだ。
「こんなの読ませて……どうしたいてんだよ! お前!」
ぶつけようのない怒りをボンコイに浴びせる、いい加減これを読ませる意図を知りたい。
それでも奴の液晶画面は黒く染まったまま何も浮かび上がらず、遂に痺れを切らした俺は飛んでるボンコイを鷲掴み、声を上げた。
「いい加減
そう叫ぶとボンコイは態度を変えぬまま、特に問題は無いと言いたげに次の指示を告げだした。
「──『日記帳6』の8月13日を見てください」
今度は別のノート、もうボンコイの命令でノートを見るのが嫌になっていた。
否、俺は彼女の過去を覗き見るのが苦しくなってきていたのだ。──自分の片隅にもある嫌な思い出と繋がっていって、読んでいく度に自分すらも傷ついていく。
しかしそれでも。
彼女を知りたいと思う自分がいるからこそ、言われたノートをその手に取ってしまうのだ。
そんな自分に嫌悪感を抱きながらも指定されたページを開き、俺は目を見張りだした。
──8月13日
『落ち込んでいた私にシンちゃんが絵をプレゼントしてくれました。
書いてあったのはシンちゃんが好きなテレビのヒーローとピンク色の女性ヒーロー。
聞いてみると、ピンクのヒーローはどうやら私の様です。
ヒラヒラとした可愛いスカートを履いて、髪をツインテールに纏めた全身ピンク色の正義の味方。
二人で勇気を出して生きて行こう、そんな彼の幼稚ながらも強い意志に私はこの子だけは守らなきゃと思い、その場で抱きしめてあげました。
四歳の頃にお母さんが病死して、新しいお母さんとお父さんも殺されてしまいました。
神様、もう家族がいなくなるのは嫌です。どうかこれ以上奪わないでください。シンちゃんだけはやめてください。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします。おねがいします』
そのページの端っこには『シンちゃんを守る力が欲しい』とだけ小さく、大きな祈りとしてその日は書き終わっていた。
すると、日記帳の一番後ろに挟まっていた一枚の古い画用紙を落としてしまい、広げてみるとそれは俺が過去に描いた古い絵そのものだった。
何でこんな物を……。
「──次の日にちもお読みください」
余韻に浸る時間すら与えず、機械的に次のページが告げられる。
もはやボンコイに対する怒りすら湧くこともなく、俺は次のページへ目を通しだした。
──8月14日
『夕飯を食べて自分の部屋の机で突っ伏していると、窓から机の上に突然小さな石ころが落ちてきた。
石を拾い上げると角度によって色が変わり、それがネットで見た魔法少女になる石だと気づきました。
私たちの両親を殺した魔法少女の事や警察に届けよう、など色々な事が頭を過ぎりましたが……私はそれを飲んでしまいました。
神様が願いを叶えてくれたんだ、私の話を聞いてくれたんだって思いながら。
全身が焼かれているように熱くなってきたので、今日はこのまま寝ます。苦しくて寝れるかわからないけど、おやすみなさい』
──8月15日
『朝起きたら、体は元に戻ってましたが私のスマホが部屋の中を浮いていました。
英語で何か喋ってきますが英語のテストは赤点ギリギリなのでわかりません。
どうやら言語や音声設定が出来るようで、ついでに声も渋い感じにして『ボンコイ』とかっこいい名前を付けてあげました。
どうやらボンコイは私が魔法少女として戦うのをサポートしてくれるようです。
これから私はこの子と一緒に彼を守る為、頑張りたいと思います』
姉さんはこの日、魔法少女となってしまった。
ここから十三年もの間、彼女は俺に黙って戦い続けていたのだ。
──8月20日
『天使と遭遇し、魔法少女として初めての戦い。
私はシンちゃんが描いてくれたピンク色のヒーローそっくりの姿に変身しました、可愛くてとても強そうです。
でも戦いは大変でした。
ボロボロになりながらも、自分の体よりも大きな天使になんとか勝つことができました。
痛かったけど、苦しかったけど、シンちゃんを思い出して何とか立ち向かって行きました。
ボンコイ
──4月26日
『国を滅ぼして回っていたという巨大な天使と戦った。
本当は私の出る幕じゃなかったんだろうけど、このままじゃシンちゃんの好きなお菓子の資源があるという国が滅んでしまう、とニュースが言ってたのでそれはいけないと発進。外国は初めてです。
急いで片づけられましたがお腹に何かを刺されました。
黒いのが残っていますけど、気にしません。シンちゃんを守るため耐えて見せます。
魔法少女三年生エネシア、今後とも頑張ります』
──3月10日
『大学受験落ちた、今年から浪人生です。辛い。病みそう。死にたい。
心がブルーのまま、一秒で天使を殺して帰ってくるとシンちゃんがご飯を作って待っていてくれました。
嬉しい、ありがとうね、ダメなお姉ちゃんでごめんね』
──3月11日
『三回目の浪人、もうここ最近シンちゃんと話せていない気がする。
私が空気を悪くしちゃっています。ごめんなさい。また一緒にお話しがしたい』
──10月4日
『浪人中にせめてと一カ月前始めたバイトをやめてきた。
店長が私の事をエロい目で見て「安産型だね」「良い母乳が出そう」と笑顔で言ってきて、お尻を触るフリをしてきます。
ハッキリ言って死んで欲しい。
シンちゃんに「バイトやめてきた」って話したら「そっか」とだけ言って、好きな料理を作ってくれた。
人の優しさが辛い』
──5月29日
『今日も私が作った弁当をシンちゃんが残さず食べてくれました。
私の作った料理が今日も明日も明後日もシンちゃんの血肉となって、生き永らえらせていると考えると心に来るものがあります。
そう考えた瞬間、体が熱くなって今日は二時間もお風呂に入ってしまいました』
数冊ほど流し読んでいく。普通の何気ない日々や、少し過激な
人間とは、見せないだけであって本来こういう生き物なのだろう。
そして、俺は眉を顰めた。
──7月2日
『シンちゃんにバレた。エネシアであることがバレた。
風邪で怠い体を起こして急いでシンちゃんを助けに行った帰りに途中で寝てしまったのか、私はシンちゃんの部屋で起きた。
ボンコイに説明して貰ったけど、嫌われる。嫌われたかもしれない。
どうしよう、どうしよう』
──7月3日
『シンちゃんに言われて、数年ぶりに喧嘩した。
そうしたら、シンちゃんと同じ高校の魔法少女が初対面の癖に『先輩』なんて呼んできて、ファミレスで一緒にご飯を食べる事になった。
私の苦手なタイプなのもあって、つい怒ってしまった。
相手は政府公認の馬鹿真面目だ、これからどうしよう』
そこからはバレる前と対して変わらない日々の内容で──三日前から何も書かれていない最後の日記帳を読み終えてしまった。
すでに帰宅してから一時間半ほどが経過していたようで、時間は昼過ぎ。
腹が減っていた事さえも忘れてしまう程、十三年にも及ぶ一人の魔法少女の人生に引き込まれてしまっていたのだ。
沈黙としたまま日記帳を戻すと──俺の情けない背中にボンコイが語りかけてきた。
「二年ほど前に、もしシンジに正体がバレたら“私を殺して欲しい”と
俺はその言葉に消沈としたまま、そっと振り返る。
「──しかし、断りました。私に殺人機能は備わっていないので」
「もしあったら、殺してたか?」
機械音声からでも違和感を覚えた口調に、何気ない質問を返す。
「それが
言葉に迷いはない。
残酷残忍とは違う、たとえどんな理由であろうとも主の
徐々に心の奥底から悔しさと切なさが込み上げ、その場に蹲ってしまう。
脳裏には、
「一人で傷ついてきたんだな……一人で痛いのを我慢してきたんだな……俺なんかの為に……」
今まで守られてばっかの俺。
弱くて無力な俺。
何もできないくせにふんぞり返っていた俺。
そんなんだから、姉さんは一人で傷ついてきたんじゃないか。
「シンジ、私の言った言葉を忘れないでいただきたい」
丸まった俺に、ボンコイは真実を言葉に含みながら話しかけてきた。
「
それを苦だと、彼女は一度も口にはしてませんでした」
病院で言ったあの言葉が再生されていく、俺の為に全てして来たのだと。
「貴方の
……そう、そうだ、姉さんは最初からずっと一途に頑張ってきてたんだ。
血が繋がっていない俺なんかの為に、それだけを望んで。
じゃあ俺はどうする……やれることは限られているかもしれないけど。
心に一つの決心が浮かび、俺は丸まった背中を叩き起こした。
「俺……姉さんを助けに行く!」
生きてるのか死んでるのかすらもわからない。
だけど、それでも会いに行きたい。
もし力が及ばなくても、一矢報いてやりたい。最強の天使なんて知ったことか。
何も持たない無力さが心を支え、行動へと移させようとした瞬間──
「その
ボンコイはまるで嬉々として俺の目の前へと回りだした。
「──ここで
「……なに?」
あまりにも唐突に知らされた言葉に俺の脳内は一気に白くなり、間抜けな声を上げてしまう。
「──私が存命しているという事は、
我々の命は
「……それを早く言え!」
「貴方の心情を整わせる方が先決でしたので」
心無い冷徹な返しに、俺は納得するしかないと静かに心を落ち着かせた。
なんて野郎だ……胡散臭い奴とは思っていたが。
「あの天使……仮ですが『ブラックエネシア』と呼称しましょう。
アレは
黒い色など一切ない優しい色ばかりだが、やっている事がブラック過ぎるのでそのネーミングは間違っていない。
ボンコイの考えに息を呑むが、『それでもやるしかない』と心の震えを止めさせる。
「そこで、貴方に問います」
ここからが本題だと言いたげに突如、ボンコイは真剣な音声で話しかけてきた。
彼の言葉に俺は一瞬、空気を吸う事を忘れかけてしまった。
切迫とした緊張感が部屋中に充満し──差し込んでくる蒼い空色を受け、黒い液晶画面に鮮やかな色合いが美麗に纏われだしていく。
「──シンジ。
私の“
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