第六十一話 《憑怪の石》
「大丈夫だった?」
「ええ、なんとか」
エナは、近づいてきた僕の方を振り返ると、はにかみつつ答えた。
背中に背負っているクレアは、意識があるのだろうか?
ほんの少しだけ「ぅ……」と
そんなクレアを、とーめちゃんは心配そうに見ている。
「戦っている間、クレアに何か異変はあった?」
「いいえ、特には。さっきまでの発光現象も起きていないし。ただ……」
「ただ?」
「なんだか、嫌な予感がするの。嵐の前の静けさというか……遠くない未来、このダンジョンを……ううん。世界全体すら揺るがしかねないことが起きる予感が」
エナは、心配そうにそう言った。
彼女は昔から、冗談の類いを言うタイプではない。
だとすればおそらく、彼女に触れている内に、何か特別な力が彼女に内包されているのではないかと、違和感を覚えたのだろう。
最も、同じような確信めいた予感が僕にもあったから、ハイド・ウンディーネの討伐を
(いずれにせよ、
心の中で、そう覚悟を決める。
が、あともう一つ。僕にはこのダンジョンでケリを付けておくべきことがあった。
僕は、ゆっくりと身体の向きを変え、倒れている男――ウッズに向き直る。
彼もまた、凍てつくような鋭い視線を僕に向けたまま、無言を貫いていた。
「……」
こちらも無言のまま、ウッズにむかって一歩足を踏み出した。
湿り気を含んだ岩の上を一歩一歩踏みしめ、ウッズの元へ向かう。
彼の元までたどり着くと、僕はウッズを
互いに瞬き一つせず、ただ睨み合うだけの時間がしばらく訪れる。降りしきる雨の音だけが、確かな時間の流れを感じさせた。
「……っ」
僕は、小さく奥歯を噛みしめたあと、ゆっくりと左手を差し出した。
「どういうつもりだ」
その行為に、ウッズは苛立ちを露わにする。
「俺を助けて、ヒーローでも気取るつもりか」
「勘違いするな。もう僕の方が、お前なんかより上の立場なんだってわからせるためだ」
「ちっ。生き恥を曝させたいってことか」
「その通り。必要ないと見限って切り捨てた人間に命を救われるって、すごく惨めな気分でしょ? だからお前には、その不名誉なレッテルを貼ったまま、生き恥を曝して欲しい」
「はっ。少し前まで小心者だったくせに、随分と言うようになったな。立場が人を変えるってのは、ホントのことみてぇだ」
「当たり前だよ。平気で殺そうとしてきた人間に、善意100%で接する人間がいると思う? 少なくとも僕には無理だね、そんなこと」
「だったら、お前も俺と同じ事をするべきだったんじゃないか? この場で見殺しにする。それが、最も報復たり得る行為だろ?」
ウッズは、何を考えているのかわからないが、口の端を吊り上げて笑いながらそう言った。
「それも最初は少し考えたけどね、結局選択しなかった。だって、それをすれば僕はお前と同じレベルの人間ってことになる。そんなの真っ平御免だよ。他人の命の価値を独断と偏見で決めつけ、見殺しにするような人と同じにはなりたくないかな」
「ふん。じゃあお前は一体、俺に何を望んでるんだ? 更正か? それとも謝罪か?」
「どっちも要らないよ。お前があのときの行いにもし後悔していたとしても、あのときのお前は一切の躊躇無く僕を殺そうとしたんだ。謝罪だの更正だので許せるほど、お前の罪は軽くない。だから――」
僕は一呼吸置いて、冷めた目でウッズを見ながら、言葉を続けた。
「僕の前から消えてくれ。二度と会うことのないであろう遠い場所に行ってさえくれれば、それでいい」
「なるほど。許さないから、目の前から消えて欲しいか……クックック、至極真っ当だなお前は」
不意に、ウッズは声を殺して笑った。
その不可解な行為を前に、僕は当然眉をひそめる。
「何がおかしいのさ?」
「いやねぇ、他人の命を助け、自分も生き残る。そんな
そう口にした瞬間、ウッズは右手をバッと俺の方に向けた。
「っ!?」
危険を悟り、飛び下がった僕めがけて《
「くっ!」
安全圏まで下がった僕は、再びウッズを睨みつけた。
「何するのウッズ!」
突然の行動に、エナは声を荒らげる。
が、ウッズは「部外者は黙ってろ!」と一喝し、僕の方を見た。
「なあエラン。俺は、お前のことが気にくわねぇんだよ。お前を追放したあとから、全てが狂ったんだぜ? お前が回復のポーションを全部持ってったせいで戦いに苦戦を強いられるわ、パーティからは追放されるわ。あげくの果てに追放した本人はSランク冒険者になってる始末。なんだこりゃ、おい! なぁっ!?」
知らないよ。
ただの自業自得だろ。
八つ当たりをされても困る。
そう思ったが、ウッズの怒りは留まるところを知らない。
ふとウッズは、懐から小さな石を取り出した。黒紫色のオーラを放つ、禍々しい石だ。
「そ、それは!?」
その石を目の当たりにした瞬間、エナは声を上げた。
「あれが何か知ってるの?」
「ええ。高レアアイテムの《
「その通りだ」
ウッズは、にやりと不敵に笑う。
「コイツを体内に取り込むとどうなるのか、その目にしっかり焼き付けておくんだな!」
ウッズはそう叫ぶと、《憑怪の石》を口に放り込む。
のどがゴクリと音を立てた瞬間、ウッズの身体に異変が起きた。
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