第10話 守り手
口の中に漂う、血の味の気持ち悪さを堪えながら、腹部の激しい痛みに耐えながら、ローラは真っ直ぐと前を向き、表情も変えず、微動せずに、演技を続けた。
「キ、モい、、」そう発するだけで、僅かに生じた忍耐への隙。疎かになったその隙によって、意識があらゆる感覚に引っ張られた。
痛い、怖い、熱い、気持ち悪い、怖い、ヤダ、苦しい、演技、痛い。
ローラは限界を迎えた。痛みと、恐怖で意識が保てなくなっていた。表情は酷く歪んだ。声が出せない口は自然と空いて、血の唾液が口から垂れる。
地底人は、他のグネグネローラとは違う、そのローラの反応を見て、興味が湧いた。
漸く、地底人の爪が、ゆっくり、ゆっくりとローラの体から抜かれた。
堪らず、傷口を押さえ、蹲るローラ。息も荒く整わない。体をこわばらせ、痛みの波の高まりの度に、僅かな悲鳴が漏れた。きつく閉じられた瞼、苦悶の表情の上を汗が伝う。ローラの体力が凄まじい早さで消耗されていく。
これまで、何度も死を迎えたローラだが、それはあくまで、信頼する作者のストーリー上の出来事であり、気概も異なれば、感じる内容も異なる。そして、作者の拙い表現のおかげもあって、苦しむ事はそうそう無かった。よって、ローラは今、初めての体験となった。苦しみと恐怖の、辛い死への道のりを、初めて味わうローラ。
「そうだ、俺はある奴を探さなきゃいけないんだがよ。お前ら教えてくんねえか?」地底人は、引き抜いた爪に付いた血を舌で舐めながら、呑気にローラと神野に話しかける。
神野は変わらずのまま。蝋人形の様に何も動じず、動かない。
ローラは、何とか演技に戻ろうと必死に、口で精一杯の呼吸をしながら、気力が痛みを越せるまで、ひたすら自分に言い聞かせていた。
(作者様のストーリーで、もう何十回と死んでるでしょ、あたし!
こんな痛み位で、休む様なやわじゃ無いでしょ!
早く立って!演技しないと!
作者様との、せっかくの時間なのよ!一秒でも無駄にしない!
いざとなったら、奥義で地底人を消せば良いのよ!さあ、早く立って!)
ローラは、傷口を押さえるのを辞めると、無表情で立ち上がった。
(いざとなったら!)その覚悟を大きな支えとして。痛みの波が襲って来たが、何とか堪えていた。
「何でお前ら、何も言わんの?」
地底人はそう言うと、足踏みをして床に穴を開けてみせた。
足元から伝うその振動にも、破壊音にも、ローラは動じなくなっていた。
(絶対、負けない!)両手の拳を強く握りしめた。
「なあ!俺は探して、倒して、その骸を持って帰らなきゃなんねんだよ!
なあ!
神野って知ってるか?」
作者は記した。
『神野は言い放った。
「俺の名前をまだ教えてなかったな!
俺の名前は神野だ!良く覚えておけ!」』
(なんてタイミングなの、、作者様、、)
ローラはすぐさま胸に左手を当て、目を瞑り奥義の名を心の中で唱えた。
(作者様、どうか気づかないで!奥義!書止誤消!)
心身のコンディションが悪い為、ローラは目を閉じて精神を研ぎ澄ませると、より具体的な所作に取り掛かる。
ローラは真っ暗な精神世界をイメージの中で作り出すと、作者の紡いだ文章の帯を想像し、具現化した。その帯をイメージした手で自分の方へと手繰り寄せる。急いで「地底人」の文字を帯から探し出し、帯から地底人の箇所を引きちぎり、また帯を紡ぎ合わせた。
地底人の文字が消えた、作者の紡いだ文章の帯が完成した。
だが、失敗だった。
少しずつ開くローラの目には、乱雑な家の中に佇む、地底人の足が早々に映っていた。
文字は確かに消えた。だが、地底人は、消え無かった。
(まずい、このままじゃ、!)神野の方を向くローラ。
「俺の名前をまだ、」
そう叫ぶ神野の口を、ローラは自分の血で赤く染まった両手を必死に伸ばして押さえた。力を入れると、腹の傷口に激しい痛みが走る。神野の口に、背伸びしたローラの手の平が被さる。
「うっ、、」演技も結局中断せざるを得なくなったローラは、意気が尽きるのは早かった。背伸びで、傷口はやはり開いたのだろう、血が衣服に新たに滲む。
「お前らは、一体さっきから何をやっとるんだ?
お前ら!俺を馬鹿にしとるんか?!」
地底人は声のトーンを上げ、叫んだ。
「ち、違う。」ローラは答えた。一度中断してしまった演技の事は最早捨て置いていた。
(今は、作者様を守らないと!)
「こっち向きいや!」地底人は、背を向けているローラの背をわざわざ、一本の爪で引っ掻いた。
「あっ!」悲鳴を小さく上げるローラ。背中は服が横に一文字で裂かれ、また新たな血の滲みが、衣服に出来る。
ローラの手が力無く、ゆっくりと、神野の口からずり下がる。
意識とは裏腹に、力を失っていく体を感じながら、それでも、ローラは神野の服の襟口をなんとか掴み、堪えていた。耳も聞こえ辛く、目の焦点も合わなくなった。
「エケケケ!楽しいやん!」地底人は、ローラを痛めつける事に楽しくなった。
全く、見た目通りの醜い所作と精神である、とフローラは思った。
背後に気配を感じ、素早く後ろに向き直る地底人。
家の入り口には、眉間に隆々なる程に皺を寄せ、目尻を吊り上げ、歯をしっかりと見せながら口角を上げて笑うフローラが、ドア枠に寄りかかりながら立っていた。
「化け物さん、遊ぶ相手、間違えてんよ。」表情を変えずに、フローラは地底人に話しかけた。
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