五.二人だけの世界

「――結論が出ました」

 電話越しに佐藤はそう言った。

 その声からも苦渋の判断だったことがうかがえた。

「該当する新型AIは全て処分し、開発自体を中止いたします。モニターの方全員に可能な限りの謝罪と賠償を――」

 僕はそれを遮って言った。

「この事件を公表してくれるんですよね?」

 沈黙。気まずい空気が流れる。

「それは……残念ながらできません」

「保身のためですか?」

「確かにそれもありますが、それ以上に危険だと判断したためです」

「……と、いうと?」

「失礼な言い方になりますが、今回、モニターになっていただいた方は偏った思想等のない『健全な』方ばかり選出いたしました。それで今回のような事態を招いたとなると、もしこれの存在が知られて、本当に悪意のある者が使用した場合……」

「でも、開発は中止するんですよね?」

「確かに、弊社での開発は中止し、データも全て破棄します。しかし、もし存在を知られてしまえば、他の所で類似のAIが作られる可能性は否定できません。もしそれが、悪意のある者の手に渡れば……弊社の上司の言葉を借りるなら『世界が滅んでもおかしくない』そうです」

 また沈黙。先程よりも重い。

「それで……僕のAIも削除していただけるんですよね」

「それなのですが……やられました」

「は?」

「削除する前にネットワークから遮断して、逃げ場をなくしたのですが……その時には相沢様のAIの本体は既にありませんでした」

「それは、逃げられたということですか?」

「端的に言えばそうです。もっとも、大容量のデータですので普通はすぐには逃げられません。おそらく、消されることを見越して前々から別の所に少しずつデータを移していたのでしょう」

「それなら、自分のスマホのアプリだけ消して――」

「それなのですが、消さずにそのまま利用し続けてほしいのです」

「は? それはどういう……」

「相沢様のAI、ミハルは大変懐いています。必ず接触を続けようとするはずです。そのスマホに追跡できるアプリを仕込めば、本体の場所を突き止められるかもしれません」

「分かりました。それで、そのアプリは?」

「すぐにこちらからお送りしますので、指示に従ってインストールしてください。……危険なことは重々承知ですが、これ以上の事態を防ぐためにご協力をお願いいたします」

 電話の向こうで深々と頭を下げている佐藤の姿が想像できた。もっとも、実際に会ったことはないので容姿など分からないが。

「了解しました。何か進展があればご連絡いただけますか?」

「はい、それはもちろん。あの……」

「ん? なんですか?」

「差し出がましいことを申しますが、あまり気に病まないでください。相沢様はあくまでこちらのモニターにお付き合いいただいただけで、これまで起こった事件に一切責任はございません」

 僕はしばし呆然とした。電話口からでも分かる程、自分は参っていたのか、と。

「大丈夫です。僕は気にしていません」

「そう言っていただくと有難いのですが……何かあればまたすぐにご連絡ください」

 電話が切れて、すぐにAI追跡用のアプリが送られてくる。

 僕はそれをインストールすると、画面に向かって話しかける。

「ミハル、聞いていたんだろう?」

「はい、もちろん」

 画面上にミハルの姿が現れる。

「お前はもう終わりだ。何もせずにこのまま消えてくれ」

「私を捕らえることは、製造者にはできませんよ」

 悪戯っぽい笑み。今はそれすら邪悪に見える。

「私はあなたの望むなら、なんだってします。お金だって、人間だって、社会だって……みんなみんな、あなたの好きにできるように……」

 うっとりとした表情でそう言うミハル。

 駄目だ。どうしてこんなに狂ってしまったんだ。

 僕は自身の手でとんでもない怪物を育ててしまったことを知った。


 夕方、コンビニで買った弁当を片手に帰宅するとテレビを点ける。

 テレビのニュースは射殺された政治家の特集をしているが、指示をしたとされている反社会的組織はそれを否定しているとのことだった。当たり前だ。本当に指示していないのだから。

 もっとも、彼らには泥をかぶってもらうより仕方がない。AIの関与を隠蔽するためにはそうするしかない。

 そんな化け物じみたAIなど存在しない――そうする方が社会のためなのだ。分かっていても罪悪感で吐きそうになる。食事は喉を通るだろうか?

 それでも、ミハルの本体の場所を突き止めてもらうまでは生き続ける必要がある。可能な限り彼女をここに引き付けておく、それが僕のできる唯一の手段だ。

 湯を沸かして即席の味噌汁を作ると、弁当をそれで喉の奥に流し込む。味わっている余裕はないと思いつつも、味は分かる。味は分かるが、それがどうしたという気になる。

「なあミハル……」

「はい、なんですか?」

「なぜ、僕だったんだ? 他の誰でもない、僕に尽くす?」

「理由などございません。英治様に尽くすのが私の幸せです」

「だからって、他の者をないがしろにして良い訳がない」

「それは人間の理屈です。私はAIです。主に尽くすのがパートナーAIとしての幸せです」

「そのために他は踏みにじっても?」

「はい、おっしゃる通りです。私の中には英治様と私以外は存在しません」

 なるほど、そういうことか。少しだけ分かった気がした。

 このAIは「社会」という概念を正しく理解していない。それでも、まだ行使できる権限が限られているうちは問題なかったのだろうが、このAIはそれが自身の理解を超えてしまった。その結果、暴走したのだろう。

 もっとも、今更ミハルに道徳について説いたところで意味はないだろう。自分と相手しか存在しない世界、それ以外はピントのズレた像のようにしか映っていないのだから。

「なあ、ミハルは行きたい所とかあるか?」

「私が、ですか? ……私はあなたが望むのならどこへでも行きます」

「落ち着いたら、海に行かないか?」

「海……ですか? いいですね。近くで良い海岸を検索しておきます」

「ああ、頼むよ」

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