四.電子の悪魔
それから一週間、何事もなく過ぎた。
僕は相変わらず何もする気が起きず、ミハルと一緒にテレビを見ていた。
彼女はあれ以来、大人しくなった。僕に喜んでもらえなかったのがショックだったのか、少し落ち込んでいるようにさえ見えた。AIが落ち込むなんて妙だとは思ったが、本当にそう見えたのだ。
これ以上、何も起きないだろう。そう思っていた時だった。
テレビに緊急速報というテロップが流れ、ある大物政治家が射殺されたという情報が表示された。犯人はその場で捕まったらしかった。
その政治家はある企業との癒着が噂されており、僕も嫌っている政治家だった。
「天罰……かな?」
僕はそう呟いた。
元々汚いことばかりしていた政治家だ。恨みの一つや二つ買っていてもおかしくない。
だが、それは直後に否定された。
「今度は……喜んでいただけましたか?」
ミハルが笑顔でそう言った。
ヨロコンデイタダケマシタカ?
その言葉の意味が一瞬分からなかった。
「は? まさかこれも……お前が……」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソダ――
目まいがした。
「はい! 私がしました! この政治家を以前から嫌いだとおっしゃられていたので、いっそのこと消去してしまえば喜んでいただけるかと思いまして……」
「そんな馬鹿な! ネットワーク上の銀行口座ならともかく、人間をどうやって操るんだ!?」
そうだ! できるはずがない! 冷静になれ!
「そんなの、簡単ですよ――」
そう言うと彼女はある反社会的組織の名を挙げた。そちらの方面には疎い僕でも知っている、名の知れた組織だ。
「その幹部の電話番号と音声、口調を偽装して末端にそうするように言ったんです。全く疑われなかったから、簡単でしたよ」
なんでもないことのように彼女は言った。
まるで、このアイスは美味しいね――そんななんでもないことを話すかのようだった。
疑いは確信へ変わり、僕は絶句した。
「どうです? 今度は喜んでいただけましたか?」
彼女は僕の顔を覗き込むようにそう言った。
「お前……何をしたか分かってる?」
「はい」
「お前のしたことは、殺人だぞ! 前みたいに、結果的に死んだんじゃない! 殺したんだぞ!」
「ええ、殺人ですね」
彼女は悪びれることもなくそう認めた。
「でも、英治様も言っていましたよね。こんな奴、居ない方が世の中のためだって……だから私は良いことをしたんです。……違いますか?」
彼女はとびきりの笑顔でそう尋ねた。
確かに、僕はそう言った。ジャア、ボクガワルイノカ――脳が溶けていくように感じた。
テレビを消すと、その場に倒れ込んだ。
「大丈夫ですか? 具合が悪いのなら救急車を――」
「その必要は無い!」
僕はそう叫んで、意識が途絶えた。
気が付くと、病院だった。
病院のベッドの上で、僕はAIが救急に連絡したので連れてこられたことを医師から聞かされた。
その医師は老人だが、穏やかで物分かりが良さそうだった。
医師は気を失っている間に一通り検査はしたが異常はなかったと伝えると、どこか具合の悪い所はないかと聞いた。
僕はこの医師に全てを話してみようと思った。今更規約などどうだっていい。
もちろん、医師が警察に通報して逮捕されることは想定済みだったが、それでも構わないと思った。
「あの、実は……」
僕はこれまでに起こったことを全て話した。
「ふむ、つまりその新型のパートナーAIの暴走が全ての原因だと?」
「ええ、そうです」
医師は少し考える仕草をした。
「あなたは、ストレスでひどく疲れておられるようだ」
「は?」
「精神は私の専門外ですが、お望みとあればいい医師を紹介しましょう」
「何を言ってるんです!? 妄想なんかじゃありません! 実際に起こったことです!」
「まあまあ、落ち着いて聞いてください。近年、AIが発達して今回のように緊急時には救急にも連絡してくれるようになりました……が、あなたの言うように巧みに人間を欺くようなAIは今のところ確認されていません。少し考え過ぎと言うか、一度落ち着いてみてはいかがでしょう?」
「いえ、本当にあるんです!」
ベッドから起き上がろうとする僕を男性看護士が制止した。すごい力でそのまま押さえつけられる。
「もう少し安静にしてください」
口調は丁寧だが有無を言わさぬ迫力があった。
「念のため、今晩は入院していただきます。何も無ければ、明日退院できますので」
医師は去っていった。
僕は呆然としてその後に残った空間を見つめていた。
警察はおろか、病院でさえ信じてもらえない。最後の頼みは製造したメーカーだが、果たして……
翌朝、何も異常は見られない。倒れたのは極度のストレスのせいということで退院の許可は出た。
昨日とは別の医師に精神科への紹介状を書こうかと言われたが、断った。
自宅に戻ると、すぐにメーカーに電話した。このスマホからだとミハルに聞かれるだろうと思ったが、どうせ他の電話機からだろうと聞いているだろうという確信があった。
「はい……新商品のパートナーAIのモニターの……はい……」
電話に出た女性はすぐに僕が新商品のモニターだと確認すると、担当者に電話を替わった。
「担当の佐藤と申します。弊社の新製品の不具合についてとのことですが――」
男の声がした。声の具合からすると少し中年に入ったぐらいだろうか。
「はい、ちょっと信じてもらえないかもしれませんが――」
僕は今まであったことを洗いざらい喋った。
佐藤は時折相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた。話が進むにつれて、その相槌も熱が入ってくるのが分かった。
「……正直、信じられません」
彼の声には驚きと絶望が入り混じっていた。信じられないと言いつつも、こちらの頭を疑っている様子はなかった。
「ですが、事実なんです」
電話口の向こうでうなる声が響いた。
「分かりました。開発チームで緊急会議を開きます。そのアプリは何もせずに放置してください」
「消すのではなくて、何もせずに……ですか?」
「はい、そうです。消去しようとした場合、AIが何らかの反応をする可能性があります。ですので、そのままにしてこちらからの判断を待ってください」
「それはいつまでですか?」
「はっきりとは申し上げられませんが、数時間後には連絡できると思います。一旦失礼足します」
電話が切られた。
どうか最後の頼みの綱が役立ってくれますように。
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