第8話 女王蜂
サッカーニャ養蜂場の女主人、名前をエマノエーレ・サッカーニャは女王然として、金色を縁取った扇子で口元を隠し、詰問する使者を冷たく見下ろす。
「……脱走の原因と責任は、当方には一切ございません。おわかりかしら」
「なぜそう言い切れるのですか。施設に不備があったゆえにこのようなことになったのではないですか?」
「あり得ません。ただの不備で、一度にあれだけの蜂が帰化、そして凶化するなど。別の要素があるに決まっています」
「では、調査を……」
「そうは参りません。今だ稼働可能な施設を止めるわけにはいきません。おわかりかしら」
エマノエーレは不快感を隠そうともせず傲岸不遜に言い放つ。百年以上の伝統を誇り、王家御用達の蜂蜜を作る権威ある養蜂場だ。蜂の帰化が事故であり、養蜂場との関連が証明できない以上、踏み込むのは難しい。
「それに、蜂の脱走は一度きりの話。その後の騒動は、帰化と凶化による繁殖力の増大が原因ですわ。なれば、その対策はギルドないし国家の仕事……わたくし共は関与しません」
「……帰化の原因に心当たりは」
「あるはずがないでしょう! もういいわ、お帰り願います。わたくしの巣に、これ以上害物の侵入を許す気はありません」
使者の尻を蹴るようにして追い出すと、蜂蜜入りの紅茶をずずっと啜る。
「甘い。蜜の味、ね」
女王蜂は使用人に合図し、馬車の予約をさせた。口中の残り香を愉しみつつ目を細め、胸中に燈る焦燥を蜜で塗りつぶす。
***
暗い場所にて。
商談がまとまり、金銭の受け渡しが行われる。生半可な金銭ではない。石段上の一等地に屋敷を建てられるくらいの金額だ。
「確かにお受け取りいたしました。こちらが、秘宝でございます」
「おおおおぉぉぉ……!」
暗い場所に、煌々と光が灯る。それは神々しい魄であった。魂が魅惑の海に引きずり込まれ、奇妙な窒息感を覚える。
「錬金ですな……これが、秘宝」
「ギルドに先駆け、秘密のルートで入手した逸品でございます」
「素晴らしい輝きだ。嗚呼、愛しいな」
涎を垂らす老人。輝きに頬ずりしようとして、慌てて離れる。
「別に触れても劣化はいたしません。耐腐食性は金の特徴です。ただ、熱に弱いため、熱源からは距離を置いて保管されますようお願いいたします」
「さ、左様か。しかし触れるのは躊躇われるな……ううむ、女神の体を触るような、罰当たりなような……」
「では、宅に運び込んだあとに愛でてはいかがでしょう」
「うむ。この埃臭い暗所では息が詰まるでな」
「では、暫く不自由をおかけします」
そう前置きし、老人を目隠しする。老人が視界を取り戻した時、暗闇は消え、商談相手も消え去っていた。傍には袋があり、ずっしりと重い感触が。
「金じゃあ……ワシは今、この国で唯一の金塊の持ち主じゃ!」
足取り軽く、いつもならしんどいだけの石段を登り、帰宅する。
そんな悦びに浸る金持ちが、十三人ほど都市内に見受けられる、今日この頃である。
***
近日では比較的涼しい昼のこと。
ミタン兄妹が外出から帰ってきた。石段上の馬車組合の親方に、大量の駆除剤を売りつけてきた帰りだ。取引は代表こそカルンだったものの、その場には貴人が多くいて、もし新薬などを開発したら報せろ、場合によれば独占で買い取ると持ち掛けてくる者までいた。
「もう冒険者やめて、金持ちの御用達の薬屋始めたほうがいいかもね」
「いやあ、一時的な需要ですよ。蜂が消えればなくなりますって」
「妹の言う通り、油断は禁物。間違っても度を越えた無駄遣いなんて、しない方が身のためってね」
メンターフが戒めるが、しかし、この言葉はもう少し早く、朝のチルノとフェルディアがいた場で発するべきものだった。
上機嫌の男二人が宿の部屋に戻ってくる。袋に何か重そうなものをいれ、それをまるで我が子のように大事に抱えている。
「おかえり。何よそれ」
「……くっふふふ。聞いて驚くな、見て驚くな。いやもう腰抜かして驚け」
「どっちよ」
「これを見せたらきっとあの娘も惚れ直すはずさ」
「直すもなにも、フェルディアが女から惚れられたことはないと思うんだけどねえ」
「兄さん、二人は変な粉でも吸ったんでしょうか」
「いつもこんな感じな気もするっすけど」
と、軽口をたたく四人は、袋の中身が露出したことでその口を閉ざす。もしくは開けたまま固まる。
実物を見たことがなくともわかる。それはまごう事なき金塊だ。
「これ、どこで……」
「なんかやけに丁寧口調の商人から手に入れた」
「え、金だよね? いくらしたの」
「まあ、俺とフェルディアの貯金ほぼすべてと、溜まってた組の運営費を半分くらいだな」
「アホっ!」
宿の飾り棚に置いてあった何かよくわからない堅い置物が、チルノの額に見事に決まる。
「いや、俺にも考えがあるんだっての。ほらこれを原料にメンターフかアンフェーがなんかすごいもん作り出せば、俺たちは王国いちの分限者だろ? な?」
「そんなあやふやな理想で全財産の半分も使わないでよ!」
「そもそも、『なんかすごいもん』ってなんすか」
「そりゃすごいもんだよ。錬金術に詳しいメンターフなら、金から何が作れるか、案くらいあるだろ?」
卓上の金塊にへばりつくようにして精査しているメンターフに期待を込めて聞く。メンターフは虫メガネで観察したり、光を当てたり指で擦ったり鼻をうごめかしたりして調べていたが、しまいにぺろりと黄金の表面を舐める。
「きったないな。そこまでしなくてもいいじゃない」
「フェルディアさんや……まずいんじゃないか」
「へ?」
「いや、味はうまいよ。むしろ甘いよ」
「おい、何言ってんだ? 早く、この金をどうするのか決めてく」
メンターフはチルノが急かすのを遮って、無情な真実を告げる。
「これは、金塊じゃない。蜂蜜の塊だ」
「……はぁ?」
「れろっ。あ、兄さんの言う通り。甘いねこりゃ」
「うわ、まじっす。高いお菓子の味がするっす」
「ほんとほんと。でも高すぎよね」
女性陣は甘い塊をぺろぺろして、きゃっきゃと騒ぐ。輝きを囲むため彼女たちまで輝いているように見える。それに比例するように、チルノとフェルディアは真っ白く灰と化した。
「なあ、蜂蜜って、輝くか……?」
「いやでも、リーダー……甘い金属より、輝く蜂蜜のほうが説得力あるような気がしないでもなくともないんだ」
「お前の『気がする』なんて信じるもんか! 鍛冶屋の娘にもててる『気がする』って向かって砕け散った笑い話は、忘れてねえぞ」
「……『気がする』って当たらないけど、『気がしないでもない』は当たっちゃうもんなんだ。主に悪い意味で」
「く、くそ……財布が重くなったせいで調子に乗っちまった……!」
「万金生むつもりが、女の子たちに超高額のお菓子を買ってきただけなんてね」
二人は不貞腐れて寝転がる。
メンターフがそれに近づいて、真剣な表情で語り掛ける。
「ねえ、二人さ、この間の巨大な蜂の襲撃を覚えてる?」
「ああ」
「あの後、ギルドの書庫へ行って文献を猟ったんだけどさ……」
渉猟家のメンターフはギルドが管理する世界中の地理や文化、魔獣や伝承、秘境や民俗などの文献が供えられた書庫の常連だ。文字を見ると頭痛を起こし、調合技術も指南書の図柄だけで覚えた天才肌の妹とはずいぶん異なる性質だ。
「あの蜂ね、八分方思った通り南方に棲息する『
「疑問……どうして、こんな単純な詐欺に引っかかったんだろうな……調子に乗ったせいか。世間に愧じて塵になりたい」
「
肥料製造所の青年と話した内容を思い出す。とにかく厄介で話が通じない輩だと。
「で、エルフが密林に籠ったから出てきたのはいいとして、どうして王都まで北上してきたのか。まるで誘われるように……」
「何でだってんだ」
ようやく話を聞く気になったチルノが、怠そうに言う。
「魔人の中でも、特に支配層の上に位置する上位魔人がある。まあ普通は竜とか悪魔とかそういうやつだけど、蜂にもそういう存在があるらしい。それも、蜜蜂にね」
「蜜蜂が?」
メンターフが人差し指を立て、得た蘊蓄を披露する。
「『
「……まさか、その黄金もどきの蜂蜜が」
「女王の蜜だろうね。ほぼ固形で、上品な甘さ。どこかの国じゃ王家への献上品になるようなものらしい」
そこで、寝転がっていたチルノは飛び起きる。匙をもって蜂蜜を賞味しようとしているセリカを羽交い絞めにした。
「何するのよアホっ! 変態!」
「アホはそっちだ、それに手を触れるな! 匙も入れるな! 離れろ、これはどこかの国の王様に献上するんだ! そうすればまず儲けが出る!」
「わかったから離しなさいよ!」
「お前が匙を離すまで永遠に、星が砕けても離さない! 絶対に離すもんか!」
匙は、チルノの鼻に突っ込まれた。
血を流しながら、ぜえぜえと息を荒げつつ、しかし血の巡りが戻ってくる。
メンターフがけらけらと笑い、続ける。
「話には続きがあるんだけど、聞かない?」
「頼む」
「
「今も窓の外で女の子が悲鳴を上げてるね」
フェルディアも生き返った。
どうやら市中で猛威を奮う蜜蜂は、女王の選別から漏れ出た失格者らしい。そう聞くと、物騒な羽音がもの悲しく聞こえてくる。
「じゃあ、サッカーニャ養蜂場には、その女王蜂が飼われてるってことか?」
「あそこの運営者の仇名も確か女王蜂っすよ」
「超高級の蜜を売りに出すつもりか……さもなきゃ」
チルノが、特殊な糖質が明るく煌めく金色の塊を睨んで、唾を飲む。
「偽物の金塊を量産するために、女王蜂が悪知恵を巡らせたかだな」
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