第7話 雷撃の大蜂

 馬車組合の狼藉は増す一方だが、被害を訴える声はどこにも届かない。なぜなら、より大きい悲鳴があちらこちらであがっているからだ。


「ダックハーゲン二番地の職人一家から、凶暴化した蜜蜂コーンを駆除せよとの依頼です」

「受けた。報酬は」

「半額がこちらに」

「了解。ところでお嬢ちゃん、今晩の予定、空いて」

「蜂さん関連だけであと三十は捌くべき依頼があるんです。次の冒険者さま~」


 町も、ギルドも、蜂、蜂、蜂。明らかに異常現象である。冒険者組の中でも、蜂を専門に狩る三人組があって、野生の繁殖期には彼らが焼き払うのだが……とても間に合わない。

 ある町中で、こんな出来事があった。

 野菜売り場で人参の品定めをしていた若妻に、くだんのごとく馬車組合の若い衆がちょっかいをかけようとした。これがまた、見事に日焼けした真っ黒な男で、唇だけが人参と同じ色をしている。


「奥さん……その人参を、何に使おうとしてたんでげそ?」

「そ、そんな……何を、言わせる気ですかぁ」


 げそげそと軟体生物がぬめり狂うような嗤い声で迫る男は、やはり黒く、丁度野菜売り場の前を通りがかった十数匹の蜂を刺激した。実は蜜蜂は蜂の中でも色の識別に優れ、白黒、赤と青、黄色、緑と原色ならば分けて感知できると言われている。花の色を知るために発達した機能だと思われるが、黒色は敵だと認定してしまう。


「へっへへ、俺っちの人参も吟味してくれなんせぇ……奥さぁん、鼻の前に人参ぶら下げられた馬みたいなかおでげそ……げそげそげそげそげそぉぉぉぉぉぉ!」


 と、好き勝手言い放題のゲス……ないしげそ男に、容赦ない針の雨。若奥様、唖然。

 大量に沸いた蜂の群れは、異様な繁殖力をもって、無辜の民と下劣な小悪党を平等にチクチクしているのである。

 そんな中、『劫火谷の火薬庫』はというと、絶賛拠点の改修工事中なのである。

 

「屋根の板材はお任せでいいんだろ?」

「ああ、棟梁の采配に任せる。出来れば、水と虫に強いやつを頼む」


 人のいい棟梁が、なつっこい笑顔で聞いてくるのを、強めの日差しに流れる汗をぬぐいつつチルノが答える。

 

「あいよ。しかしなんだな、貧乏冒険者組がよくまあ奮発したなあ」

「まあな!」

「なんかどでけえ仕事でも終わらせたのかい? ギルドの方じゃ蜂退治百匹ごとにいくらかの報酬を出してるらしいが、それかい」

「いいや、でも蜂には違いないな!」


 チルノはほくほく顔である。組の財布は、今までにないほど暖かい。

 きっかけは、ランバート爺さんである。アンフェーが調合した『スパイシーハニー』を、同じく蜂害に悩む近所に分けて配った。すると、蜂を小さな蛍にして焼殺するこの劇薬を求めて、カンテールフロアの住民がこぞって買い求めに来たのである。

 アンフェーが調合し、メンターフも手伝い、出来上がった物を渡して、置かれて行った代金を見た六人は、神妙に頷き合った。

 ”商売になる”と。

 『スパイシーハニー』は飛ぶように売れた。もう冒険者なんてやめようかと思うくらい売れた。旅費が溜まれば金のおこぼれで一攫千金だ、という話はどこかへ流れ去り、ただただ量産と販売、原料の仕入れで忙しかった。

 そして、溜まった金の一部で、拠点を改修しているというわけだ。世間が困っているのを商機とする、材木商の焼け太りというやつだ。


「貧乏生活とはおさらばだな。いやあ、素晴らしきかな改修!」

「ああ、もう金なんていらない……だって、お金があるんだから!」

「アンフェーさまさまっすね。このアストラ様も負けてられねっす。材料、野原から集めてきたっすよ」


 改修の間、宿泊まりの六人は満面の笑みで朗らかな会話を交わす。朝食付き、水は飲み放題、夜に一人一瓶酒がついてくる宿だ。


「くっふふふ……ねえ、リーダー、笑っちゃう話、していい?」

「おお、俺たちの女神のお兄様、勝手に話せよ聞いてやる」


 少ない酒で、既に呂律が怪しいチルノが受ける。時々の贅沢に晩酌の機会があっても、水の中に酒が数滴混じったような飲み物だった。強い酒が棚に並んだと思えば、アンフェーがヤギの糞からなぜか調合してしまった消毒液だった。まともに酔える酒など、初めての経験なのである。


「この度ね、馬車組合からさ、大量受注が入りました」

「おぉー! あれか、シンドラーのとこか」

「いや、カルン・リャオデッガーだ。石段の上の方が縄張り」

「へぇ、いい客層がひしめいてるとこじゃん」


 王都は、俯瞰すると、南西部が小高い丘になっている。その更に南西、丘の頂点には監視塔があり、魔獣の動向や、万が一の戦争にも役立つよう、周囲には軍事施設がいくつもある。グレッツェン大通りから石段を登った南西部にはほかにも、高級住宅地や王宮に勤める役人の役宅街、王府施設である街道県かいどうけん国衙諸支配こくがしょしはいなど、ハイソサエティで権威ある一帯なのだ。

 そんな高い場所も、蜂の脅威にさらされていると見え、『灰毛はいげのカルン』と仇名される気品ある老人から大量の受注依頼が舞い込んだわけだ。


「いやしかし蜂様さまだな」

「サッカーニャ養蜂場からあふれ出たって話だけど、ほんとのとこどうなのかしら?」

「さあね、近いうちギルドから栄誉級が派遣されて、王府の役人と一緒に内部を調査するらしいけど」

「都市に残った栄誉級……『正義の精鋭ダジエットニスツォクリーヒェ』がか」

「あそこのリーダーが今の代理ギルドマスターなんすよね?」

「まあ、委員会との共同でだけどな」


 稼げるうちに稼いでおかなければ、ということだ。いずれ抜本の対策が打たれれば、需要も終わる。


「せっかくならもう少し稼ぎたいよねー」

「だな」

「いっそ、良いところで大手薬屋にレシピを売ってみちゃどうかな」


 と、メンターフが提案する。今の所、どの同業者にもレシピを盗まれてはいない。さして大した材料でも技術でもないというのに、発想力の違いだろうか。


「悪くないな。アンフェーさえよければ」

「構いやしませんよ。レシピなんて後生大事に抱えるもんじゃありませんし。そういうのは気取った飯屋と魔法使いだけで十分です」


 とことん拘りがない、さっぱりとしたことを言う。


「サッカーニャ養蜂場には目を光らせておくべきだな。その辺は、知り合いの記者に頼んである」


 いつだか樽から助け、穴から助けてもらったルーシーだ。

 酩酊は盃の湖底に達し、心地よく肝臓を痛めたところで、ひとり、またひとり、意識を失うように眠る。

 劈くような悲鳴が聞こえて飛び起きた。もっとも、フェルディアとセリカはまだ寝ている。セリカの寝相が酷すぎて、四十八秒に一回は必ず膝で蹴られたチルノは青痣に顔を顰め、木枠に手をついて外を見る。薄明の中、怪物の姿があった。


「……あれは」

「リーダー、あれって、なんすか」

「大きな蜂、っすよね」


 ただの蜂ではない。明らかに魔獣だ。いや、小さな蜂を従えているから魔人レベルの存在かもしれない。


「しかもなんか、ぱちぱち言ってないっすか」

「あ、針の先から電撃出した」


 とても、人里に存在していい生物ではない。連絡を受けたギルドが早速、冒険者を派遣したのだが、思いの外苦戦している。たまたま、朝方にギルドにいた戦闘系の冒険者が近接タイプばかりだったのだ。小さな蜂は大斧を振り回し、風圧で吹き飛ばすことができる。

 しかし、高い位置から雷撃を飛ばす謎の大蜂は、そうはいかないのである。


「メンターフ、あれ何か知ってる?」

「南方の密林に、雷の力を溜め込む花が咲く地帯があると図鑑で読んだ記憶があります。大方、そこで進化をとげた蜜蜂の女王、といったところじゃないですかね。なんでそれが北上してこんなところにいるのか、わかりませんけど」


 そう言っている間にも、黄色と黒の飛行怪物は薄羽を無限に動かして、雷撃を放つ。


「あの針、調合材料としちゃ貴重かもしれない……粉末にしたら、何かに使えないかと考えると、ちょっとあの騒ぎに首を突っ込みたくなってきたりなんてね」

「でも、どうするんすか」


 戦闘能力では、アストラが短剣を用いる近接派、セリカが弓を遣う遠距離派、ミタン兄妹が搦め手と補助役、一応魔法が使えるチルノとフェルディアは基本役立たずである。


「セリカちゃん、起きて! 弓でどびゅんと撃ち落とせない?」

「う~ん、頭いたーい……」

「だめだ、水に漬けたパンみたいにふにゃふにゃ」

「起き抜けのセリカはどうせ役に立たねえよ」

「だーれが役立たずですって……あんたには、言われたく、ないのよぉ……」

「聞こえててんのかよ」


 蜂の雷撃は激しくなり、地面はところどころ黒焦げ、人的被害もある。屋内に控えていれば安全ではあろうが、悲鳴を聞きながら穏やかにくつろぐというのは、難しい。

 チルノは窓の木枠に、カーテンをかけるためのフックがあるのに気が付く。


「セリカ、髪結んでるゴムバンド貸してくれ。あのバカみたいに伸びるやつ」

「はぁ、何言って……痛い痛いっ! 髪抜けるってば!」

「どうせ半世紀経てば抜け落ちる定めだ気にすんな。てなわけで拝借」

「アホっ!」

「べぶしっ」

 

 季節外れの紅葉が咲いたが、ゴムバンドを入手。フックに両端を固定し、アストラから釘を受け取る。ボロ拠点の柱から抜け落ちたものを、アストラが集めていたものだ。童顔で人懐こく、身長に似合わずそそる身体の彼女は、自衛用に結構物騒なものを忍ばせている。短剣だけではない。

 怪しい物売りから買ったゴムバンドは異様に伸びる。釘は錆びているが金属製品だ。そして仕上げに、先端を魔法で炙って赤熱させる。


「狙いを定めて……」

「もちょい左じゃないっすか」

「いいや、右だよ、右へ右へ」

「それじゃあの煙突に当たりますって」

「左左上右右左上上左ぃ!」

「うるさい鎮まれ!」


 迷走した照準は一点を定め、赤熱の鉄箭󠄀は大蜂の薄羽を貫いた。火花が弾ける音とともに、大蜂は徐々に地面に近づいて、剛腕の冒険者が振う大斧に針を圧し折られた。

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