第1章 日輪の御子と蒼き太陽ー⑤
蒼宮殿は、現在、サータム帝国から派遣された総督のための宮殿となっている。しかしユングヴィは今も旧蒼宮殿の敷地内で暮らしている。蒼宮殿から逃げ出すのが難しかったからだ。
あのあと宮殿はすぐに帝国軍に包囲された。他の将軍たちはフェイフュー王子の
ユングヴィは他の将軍たちにぶら下がっていたかった。自分が今抱えている問題を誰かと共有したかった。だが何がどうしてこうなったのかを説明するのが難しくて、悩んでいるうちに時が過ぎてしまった。彼らと離れず、しかしあまり踏み込ませることもせず、無言でそれとなく後ろについていった。問題を隠したままへらへらと他の将軍たちの動きに従い、流れに任せて今の状況に至る。
総督は十神剣を厳しく処罰しなかった。十神剣は生きた神であり最高位の神官だからだ。掌握するほうがアルヤ人を管理しやすいと思っているらしい──と、ユングヴィは他の将軍からそういう説明を受けた。ユングヴィ自身は何がどうなって自分がこういう扱いを受けているのかわからない。ますます自分の愚かさみたいなものを感じさせられて縮こまるばかりだ。
サータム人の神が男女の別を厳格に分けていることにも救われた。
家本体も内部を片づけただけでほとんど変わっていない。
ただ、同居人が一人増えた。
案外見つからないものだ。多くの人間がすぐそばを出入りしているのに、まだ誰にも指摘されたことがない。それほどしっかりと隠しおおせているのか。一歩も家から出していないからか。
旧蒼宮殿の敷地内部の南東方面、
扉を開け、中に入る。
扉が開く音を聞きつけたのか、居間と土間を隔てる壁の戸が開いた。
「おかえりなさい!」
出がけの時と変わらぬ様子に、ユングヴィはほっと息を吐いた。
「ただいま、ソウェイル」
「今日は帰ってくるの早かったな。うれしい」
「ごめんね、ひとりで留守番させて」
「ううん、だいじょうぶ。おれ、ひとりも楽しいし」
三年間ずっとこんな調子だ。
彼は
それでも、ユングヴィは彼を家から出してやれない。これでは監禁しているも同然だ。
ソウェイルの蒼い髪はあまりにも目立ちすぎる。すぐ人の目に留まるだろう。
見つかった後のことが怖い。
相手がアルヤ人であればかばってくれるはずだ。『蒼き太陽』が生きて目の前にあることを喜ぶに違いない。ひざまずいてソウェイルに忠誠を誓うのではないか。
相手がアルヤ人でなかった場合は、いったい、どうなるのだろう。アルヤ人にとっての『蒼き太陽』は自由と独立の象徴だが、サータム人たちはそんな『蒼き太陽』を邪魔だとは思わないだろうか。
目の前に総督府の建物がある。太陽を、この蒼い色を、神聖だとはまったく考えないサータム人たちがいる。
ソウェイルが帝国側に引き渡されてしまった時のことを考えると、ユングヴィは背中が寒くなる。万が一そんなことになってしまったら、自分ひとりでソウェイルを守りきれるとは思えない。
「本当にごめん」
ソウェイルがまた首を横に振り、ユングヴィの頰に髪を擦り寄せてきた。
聖なる蒼い髪を、だ。
いつの日のことだったか、ソウェイル自身が、こんな色の髪でなかったらよかったのにと言って短く切ってしまった髪を、だ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、ユングヴィ。おれ、毎日楽しい」
そんなはずはない。遊びたい盛りのはずなのに毎日ユングヴィの帰宅を待つだけの暮らしを送っている。
いつでも好きな時に自分でこの家の戸を開けて出ていくことができるというのに、ソウェイルは、けしてそうしようとしない。ずっとひとりでユングヴィの帰りを待ち続けている。ソウェイル自身も自分の蒼い髪が何を意味しているのかよくわかっているのだ。
「なんとか……、
すると、ソウェイルは耳元でささやいた。
「むりしないでくれ。おれは今のままでじゅうぶんだ」
ユングヴィは
中央市場で買ってきた食品を土間に備え付けた棚にしまう。ユングヴィももともと整理
二人で居間に上がった。
居間には毛足の長い
この家は二人だけの楽園だ。この空間に閉じこもっている間は社会のつらいことや悲しいことから逃げられる。
「今日は何してた?」
ユングヴィが
「赤の剣としゃべってた」
そして壁に立てかけておいたユングヴィの赤い神剣をつかむ。大人のユングヴィの手でもそこそこの重量のある剣だが、ソウェイルはまるで重みを感じないらしく、軽々と持ち上げた。
「ユングヴィがいなくても、おれ、さみしくない。剣が相手をしてくれるから」
変な話だ。この手の超常現象にはなかなか慣れない。
ソウェイルが言うには、神剣はしゃべるらしい。時々熱心に語りかけてくるというのだ。しかしユングヴィにはソウェイルが一方的に話しかけているように見える。
だが、ユングヴィは彼の言うことを信じていた。というのも、ユングヴィも一回だけ神剣の声を聞いたことがあるからだ。
あれは初めて剣を抜いた時だ。
神剣は自らの
あの時の神剣の声は少年のように聞こえた。ソウェイルはあの少年の声としゃべっているのだろう。
不思議だが、たぶん、そういうこともあるのだ。何せソウェイルは『蒼き太陽』だ。不思議なことのひとつやふたつあるだろう。『蒼き太陽』は、ユングヴィにとってはただの子供だが、本来はアルヤ人の神なのである。
「剣はなんて言ってるの? こんなところで留守番させられて窮屈じゃないか
ソウェイルは首を横に振った。
「ユングヴィを信じておとなしく待ってろ、って。赤の剣はユングヴィのことがだいすきだから、ユングヴィの悪口を言わない」
そう言われると嬉しい。ユングヴィは、神剣の期待に
本当はうすうすわかっている。ソウェイルを他の将軍たちのところに連れていって存在を広く世に知らしめてもらったほうがいい。アルヤ人はみんな『蒼き太陽』を信仰しているし、根拠はないがなんとなく、次の王が必要な気がする。先代の国王夫妻はソウェイルが王になることを望んでいた。王妃にソウェイルを託された自分こそが、ソウェイルを王にすべきなのではないか。
時々、ふと、重荷だ、と思うこともある。いっそすべてを投げ出したい。難しいことを考えたくない。ソウェイルをどこかにやってしまいたい。
楽になりたい。
「ユングヴィ?」
声を掛けられて我に返った。
なんと残酷で無責任なことを考えていたのだろう。ソウェイルがこんなに慕ってくれているというのに、捨てるような真似をするわけにはいかない。王妃にも神剣にも申し訳が立たない。
みんなの期待に応えるために、自分ががんばらないといけない。
「夕飯作ろうか。お腹
ユングヴィがそう言って土間のほうを振り返ると、ソウェイルが「うん」と明るい返事をしてついてきた。
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