不思議な男の子

 ここ何年も桜の開花かいかが早く、今年も新学期が始まる前にとっくに散ってしまった。


 ミツバチ農園は小さな草花があちらにもこちらにもたくさん咲いていて色んな色があふれている。

 ミツバチたちが忙しそうに、花から花へと飛び回っている。


 いぶきは小走りで遊歩道ゆうほどうを進んでいる。その後ろを追う父親は、いぶきが少し右足を引きずっているのが気になっていた。


 いぶきがケガをしてから、もう9ヶ月になる。リハビリもトレーニングも毎日一生懸命にやってきた。この後遺症こういしょうはもうどうにもならないのかもしれない。

 普通に生活をしていく上では、さほど支障ししょうがないかもしれないが、選手として大きな事はのぞめないのかもしれないなと、その姿を痛々いたいたしく思う。



 いぶきは、花やミツバチに囲まれてご機嫌きげんだ。

 小学校低学年くらいの男の子が巣箱の所で手伝っているのが目に入った。


 おじさんの子供かな? 小さいのにお手伝いなんてえらいなと思っていると、その子は置いてあったスケボーを拾い上げて地面に置くと、ヒョイと飛び乗った。


 その子はそのまま別の巣箱のところまでカッコよくスケボーに乗っていって、巣の中を見て何かを始めた。

 おじさんはその後をゆっくりと草花を見て歩き、後からその子に合流した。


 いぶきのそばにある巣箱にその子がやってきて、巣の中をのぞきこんだ時に声をかけてみた。

「スケボ、じょうずたね」


 反応がない。

「もしも〜し。何やってるの〜?」

 いくら声をかけても、返事もせずに巣箱をのぞきこんでいる。


 そこにおじさんがやってきた。

 おじさんはいぶきの事をおぼえていたようで、声をかけてくれた。

「やあ! いぶきちゃん! 足はずいぶん良くなったようだね」


「あ、おじさん、こんにちは」


 あれ? おじさんに名前教えたっけ?

いぶきは何か言おうとしたが、おじさんが先に言った。


「ごめんね。この子は私の息子むすこなんだけど、言葉を持っていないんだ」


「持っていない?」


「聞こえないとか、しゃべれないんじゃなくて、たぶん人間の言葉そのものを持ってないんだ。

 生まれた時に脳に障害があってね。生きてる事さえ奇跡きせきなんだよ」


 おじさんはそういうと、その子の肩をたたいて、いぶきの方に顔を向けさせた。


 いぶきはハッとして目を丸くして固まった。


「ごめんごめん。ちょっとこわかったかな。障害児しょうがいじ独特どくとくの顔をしているからね」


 いぶきはあわてて首を大きく横にふった。


「ちがう。かわいい顔。びっくりしたのは、ほっぺたにあるが私と同じだから。あの人とも」


 おじさんは不思議そうな顔をした。


「ほっぺたにあるアト? いぶきちゃんも?

 そうそう。いぶきちゃんっていうお名前なんだよね。素敵な名前だね」


「ありがとうございます。はい。いぶきです。この男の子は?」


「マヤっていうんだ。ちょっと難しい字なんだけど、魔法まほうっていう字に似ているみがくっていう字と弓矢ゆみや磨矢まやっていう名前。

 マヤは生まれてすぐにほっぺたをミツバチに刺されてね。それで毒が脳に回って障害を持ってしまったって言われた。

 だけど私はそうは思っていない。

 誰も信じてくれないけど、脳に障害を持って生まれ、死にかけていたマヤを、ミツバチが救ってくれたんじゃないかって思ってるんだ」


 いぶきはおじさんに真剣しんけんな目を向けた。


「私は信じます。あの人も私もミツバチに救われたから。きっとハニーだ。2の‥‥‥」


 おじさんはいぶきの顔と父親の顔を交互に見た。

「ちょっと事務所で話を聞かせてもらっていいですか?」


 いぶきはあわてて顔を横にふった。おじさんの願いを聞いてあげられなくて悪いなと思ったけれど。


「それは、誰にも言えなくて。誰かに話たら、色んな事全部が消えちゃうような気がして、心の中にしまってあるんです。

 いつかは話せるのかもしれないけど、今はダメ。だから父さんにも言ってない。

 ただ、私はミツバチに助けてもらって、大切な事を教えてもらったの。だから、マヤくんもきっとそうだと思う」


 おじさんは優しくほほえんだ。

「いぶきちゃん、ありがとう。それだけで充分じゅうぶんだよ。

 マヤはミツバチと話ができるみたいなんだ。ミツバチの事で私が気づけない事も気づいて世話をしてくれている。ミツバチもマヤの事が大好きみたいで、マヤは小さいけれど仕事の大きな戦力せんりょくになってるんだよ。

 マヤには人間の友達がいないんだけど、いぶきちゃんとはいいお友達になれたらいいのにな」


「な、マヤ」

 おじさんがそう言うと、マヤは顔をくちゃくちゃにしてニターっと笑った。

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