全日本の大会 その③

 こんな所でどく事なんてできない。ここで迂回路に入れば、みすみす勝利をゆずるようなものだ。

 前にいる者はまっすぐ進む権利けんりがある。


 鈴香がジャンプセクションに入ろうとした時、信じられない事が起こった。


 いぶきがすごいスピードでとなりに並んできた。

 いぶきは抜けると思ったのだろうか。それとも鈴香がどくと思ったのだろうか。


 肩と肩がぶつかり、鈴香はジャンプにかかる手前ではじかれて横倒よこだおしになった。


 ヌルっとしたドロの冷たい感触かんしょくと共に、顔にイヤな衝撃しょうげきがあった。

 一瞬いっしゅん、頭がまっ白になりかけたが、と思う。

 すぐに自転車にまたがって迂回路を行く。うん良く自転車もこわれていないようだ。


 いぶきはどこ? 前? 後ろ?

 えっ!


 いぶきの自転車がころがっている。

 少しはなれた所にいぶきが倒れていた。何だか普通じゃない。

 周りの人たちがさわいでいる。ただならぬ空気を感じる。

 どうしよう?

 だけど、私は

 鈴香は懸命けんめいに走った。



 ゴール地点では大勢の観客たちが2人のゴールを今か今かと待ちかまえている。先に現れるのはどっちだろう?


 来た!

 ウエアも自転車もドロだらけで遠くからだと見分けがつきにくいが、あのシルエットは鈴香だ!

 1人? 後ろは離れているようだ。


「ユースのゴール! 鈴香選手がいぶき選手を引き離して1人でゴールにやってきた〜」

 会場のアナウンスがり上げる。

 拍手はくしゅがわきおこる。


 しかし鈴香の様子が何かおかしい。どうしたんだろう? 観客の拍手がまばらになる。

 鈴香はこみあげてくるものを必死に押さえて、手をあげる事もなく下を向いたままゴールラインを越えた。


 ゴール地点にいた父親がその不自然なゴールを不思議に思いながら鈴香を迎えると、鈴香は泣きじゃくった。

「いぶきが……。いぶきが大変なケガをしたかもしれない」


 鈴香は顔も体もドロだらけで、顔にはうっすらと血がにじんでいた。



 一方、鈴香とぶつかって体勢たいせいをくずしたままジャンプにつっこんだいぶきは、そのまま自転車ごとふっ飛んでいた。


 ぬれた地面に体をはげしくたたきつけられて、うまく息ができずにうめき声を上げた。

 今まで感じた事のない痛みにおそわれ、気分が悪くなり動く事ができない。

 周りに人が集まってきた。

 え? 私、大丈夫? もしかしてこのまま死んじゃうのかな。


 そう思った時に顔にチクッと痛みが走った。

「いてっ!」

 いっぴきのミツバチが飛び去った。そのままいぶきは意識を失った。



 担架たんかで運ばれて、救急車に乗せられる時に目がさめた。

 激痛げきつうでぼやけた世界の中にドロだらけの鈴香が立っていた。

「ごめんね。こんな事になるなんて」

 消え入りそうな声が聞こえてきた。


 いぶきは鈴香があやまるなんて、ふしぎに思った。鈴香は何も悪い事をしてないはず。

 もうろうとする頭の中で何かを思う。

 鈴香のドロだらけの顔にうっすらと血がにじんている事だけがなぜか鮮明せんめいに見える。鈴香の顔、傷つけてしまったみたい。

 でもあやまっているんだから、きっと鈴香が悪かったんだと無理やり思いなおした。


「私が勝ってたはず……。きたないよ」

 いぶきの口が勝手かってに動き、そんな言葉をてた。

 それと同時に、いぶきは再び眠りに落ちた。



 救急病院きゅうきゅうびょういんにかつぎこまれたいぶきは、足の中で1番大きな大腿骨だいたいこつむね肋骨ろっこつが折れていた。

 ほっぺたはハチにされていた。


 肋骨はそのまま自然にくっつくのを待つしかないけれど、大腿骨は次の日に手術をする事になった。

 手術がうまくいったとしても、少なくとも3ヶ月は自転車に乗る事ができない。

 骨の折れ方があまりよくないので、もしかしたら一生自転車に乗れなくなるかもしれないし、ちゃんと歩けるようになるかどうかも分からない。


 いぶきが不安になりすぎないように、お医者さんは「がんばれば、きっと3ヶ月でまた自転車に乗れるようになるからね」と言った。

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