いぶきの事

 若葉わかばいぶきは中学1年生の女の子。自転車のマウンテンバイクの選手だ。


 マウンテンバイクバイクって知ってる? 

 オフロードって呼ばれる舗装ほそうされていない凹凸デコボコの激しい道を走ったり、きつい山道を上ったり下ったりする事が得意な自転車で、その自転車に乗って競争する競技はオリンピック種目にもなっている。


 小学1年生の時にマウンテンバイクに初めて乗って、レースに出場し始めたいぶきはすぐに注目を集めた。それからずっと天才少女と言われ続けている。

 同じ歳の子には男の子にだって負けた事がない。


 自転車競技はヨーロッパの選手が圧倒的あっとうてきに強くて、これまでマウンテンバイク競技で日本選手がオリンピックで10位以内に入った事はない。

 だけど、ようやく光が見えたって多くの人が言っている。

 いぶきは将来オリンピックで金メダルを取れるかもしれない期待の星だ。


 いぶきは女の子なのだけど、髪も短くてボーイッシュで、可愛い男の子にしか見えない。

 小柄こがらだけれど、走りはキレキレで男の子たちを蹴散けちらしサラッと優勝してしまう。

 少しだけ他の男の子と違うのは、その走りのしなやかさだ。身のこなし方がやわらかくて、特にすべりやすい木の根や岩などむずかしい所は、飛び抜けたテクニックで皆を置き去りにしてしまう。まるですばしっこい猫が走っているように見える。


 以前はひっそりとしている事も多かったレース会場は、いぶきの走りを見たくて足を運ぶ人達がぐっと多くなった。

 メインイベントになっている大人達の一番上のクラスのレースよりも、いぶきの出るレースに多くの観客が集まった。

 そしてみんながいぶきの走りを見て歓声かんせいをあげた。


 いぶきは「私は将来、オリンピックで金メダルを取るの」といつも言っているけれど、それほど真剣しんけんにトレーニングをしているわけではなく、まだまだ遊びの延長えんちょうといった感じだ。

 調子に乗るとすごい集中力を発揮はっきして、信じられないような走りをするけれど、気の乗らない練習ではその能力のかけらも感じられない。


 いぶきが競技を嫌いになる事なく成長していけるように、周りの大人達は彼女に強制きょうせいする事なくびと育てようとしている。

 そのせいだろうか。いつの頃からか、いぶきは少しワガママに、自分がやりたいように行動するようになっていった。

 それでも大人達はできるだけいぶきを自由にさせた。「あの子は特別」と大目おおめに見る事が多かった。



 いぶきはまだ子供だからオリンピックには出場できないけれど、同じ位の歳の子と競争する大会が色々とある。

 日本一を決める大会が1年に1回あって、そこで優勝すると日の丸をつけたジャージを着て1年間走る事ができるのだ。


「ユース」っていうクラスは13歳〜16歳までのクラス。

 13歳になったいぶきはようやくこのクラスに出場できるようになった。



 昨日がその大会だった。

 ようやくその年齢になって、待ちに待った全日本に出場する事ができたのだ。


 このクラスにはこれまで圧倒的あっとうてきな力で3連覇れんぱしてきた少女がいる。

 瀬戸鈴香せとすずかという名前で、いぶきより3つ歳上だ。

 来年はジュニアカテゴリーになるので鈴香にとってはこれが最後のユースでのレースとなる。


 鈴香もいぶきにけずおとらず将来を期待され続けている選手だ。

 歳がはなれているのでこれまで直接対決ちょくせつたいけつはかなわなかったのだけど、ここでようやく2人の対決が実現じつげんする事になった。


 2人の対決は大きな注目を集めていた。



 その大会の前日、いぶきは会場近くのペンションに泊まっていた。

 いぶきは中高生を集めた強いチームに所属しょぞくしていて、今回も監督かんとくを入れて5人で遠征えんせいしている。女子はいぶき一人だけだけど、男子の中で行動している方が楽だと感じているようだ。


 夜のミーティングで明日の目標をみんなの前で一人一人が宣言せんげんした。最年少のいぶきが最後に話した。


「私は明日、勝つために走る。勝てると思う。上りが長くてあまりテクニカルじゃない明日のコースはちょっと苦手だけど、明日は雨予報だし。雨がふれば私に有利ゆうり。上りではなされても下りを思い切りめて、鈴香の4連覇は私が阻止そしする。そしてユース4連覇は鈴香じゃなくて私がやってのけるの。みんな、ちゃんと見ててね」

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