第9章69話 超越者たちのララバイ

◆  ◆  ◆  ◆  ◆




 いずことも知れぬ異空間――そこを一人の人物が駆ける。


「くそっ……くそっくそっ!! 何で俺っちがこんな目に……!」


 ヘパイストス――『ゲーム』の敗者である。

 今彼は必死の逃走をしているのだ。

 『ゲーム』からは完全に敗退、最後の悪あがきもラビたちによって阻まれてしまった。

 ……アストラエアの世界が崩壊したかどうかは彼にはわからないが、あの場にいたであろう使い魔たちが同様に敗退していないところを見る限り、失敗したということだけはわかった。

 故に、彼は今『ゲーム』の領域から脱出して逃げ出そうとしているのだ。




 S■■の存在であるヘパイストスには、『肉体』と呼べるものは本来存在しない。

 今いる場所も『異空間』と呼んではいるものの、厳密には『時間も空間も存在しない』――生物の知覚では絶対に捉えることのできない、正しく『異次元』である。

 『ゲーム』のシステムから脱出することは本来ならば不可能だ。

 ……誰もが忘れかけていたが、あくまでも『ゲーム』のベータテストである。テスト終了までは『秘密保持』のために参加者はシステム外へと出ることは本来はできない。

 人間の世界の常識とは異なるのだ。


 しかし、何事にも例外というものは存在する。

 ヘパイストスは事前に『抜け道』を用意し、いざとなればそこからシステム外へと逃げて自身の安全を確保できる場所へと移動できるようにしていた。

 S■■における自分の『領域』――そこまで逃げ込めば、何とかなる。

 自分の犯罪の証拠は残され、証人となる使い魔たちは生きているが……『ゲーム』が動いている間は彼らは外へと出ることができないはずだ。

 ならば、その間を利用して『口封じ』の準備を整えて『ゲーム』終了と同時に実行すれば良い。

 これまでに築き上げてきた『財産』のうち、ほんの数パーセント失う程度で『口封じ』はできるはずだ。


 『口封じ』が完了さえすれば、後はほとぼりが冷めるのを待って再度行動を再開すればよい。

 失った『財産』もすぐに取り返せるはずだ。




 ――尤も、それができるかどうかは、にかかっているのだが……。




「どこへ行こうってんだ、ヘパイストス?」

「ひっ……!?」


 時間や空間、といった概念そのものが存在しない異次元空間に、ヘパイストス以外の存在が現れた。

 低く唸るような、聞く者を震え上がらせるような迫力を伴ったその声に、ヘパイストスは足を止めてしまう。


「あ、アレスの旦那……」


 アレス――使い魔名『クラウザー』がいつの間にかヘパイストスのすぐ傍に現れていた。

 に見つかってしまった。

 他の使い魔であれば仮に見つかっても何とでもなる。

 しかし、アレスだけはダメだ。

 アレスは『ゲーム』から敗退している身だ――だから、本当ならばまだ『ゲーム』に囚われているはず、出会うわけがなかった。

 ……ヘパイストスと同じなのだろう。

 脱出のための道を事前に作っていて、そこを通ってヘパイストスを追いかけてきたのだ。


 ――い、いや……まさかゼウスの野郎……!?


 もう一つの可能性に思い至る。

 『ゲーム』の管理者であるゼウスが、逃げたヘパイストスを追わせるためにアレスを解き放った……その可能性だ。

 どちらが正解かはわからない。

 わからないが――確実なのは、ここを切り抜けなければヘパイストスに『未来』はないということだ。


「へ、へへっ……」


 必死に切り抜ける方法を考えるが、全く頭が回らない。

 度重なる『予想外』の出来事によってヘパイストスの頭は混乱を極めていた。

 何よりも彼は、事前の準備を整えた上で『計画』を実行することは得意ではあったが、その場で臨機応変にアクシデントに対応するというのはそこまで得意ではない。

 今までアクシデントに対応できていたのは、あくまでも自分の『予想の範囲内』で収まるためにすぎなかったのだ。

 だから、全ての『計画』が崩れ去り、ひたすらに逃げるしかない今の状況で、絶対に遭ってはならない相手に見つかってしまってどうすればいいのかわからないのである。


「てめぇ、好き放題やってくれたじゃねぇか」

「い、いや……あれは……その……」


 何も思いつかず、愛想笑いを浮かべることしかできないヘパイストスに対して、アレスは全く油断もしない。

 アレスの放つ怒気にヘパイストスは完全に気圧され、逃げることしか考えられない……が、全く逃げられる気がしない。


「今までは上手く誤魔化せていたようだが、今度こそ終わりだな、てめぇ」

「く……うぅ……!?」


 S■■の社会構造は人間のそれとは全く異なるものとなっている。

 明らかにヘパイストスの犯罪行為だ、とわかっていても『口封じ』などで誤魔化し逃げ続けられていたのもそれが原因だ。

 だが、今回ばかりはそうもいかない。

 明確な犯罪行為を何人ものS■■の存在が目撃し、かつ『アストラエアの世界』というどうしようもない物証が残っている――証拠隠滅も失敗した今、とにかく逃げ隠れて裏から色々と手を回していくしかないのだが……。

 他の住人ならばまだ何とかなったが、ダメなのだ。

 アレス――現実世界の神話であれば『軍神』とされる神であり、同時に『荒々しい破壊』の神でもある。

 アレスは神話のアレスと同一人物ではない――それはヘパイストスも同様――であるが、S■■における彼の役割は奇しくも似たようなものであった。


「他の奴がどうなろうが知ったことじゃねぇが、この俺にあれだけのことをしてただで済むとは思ってねぇよなぁ、あぁ!?」

「ま、待て! 待ってくれよ、旦那ぁ!

 へ、へへっ、ありゃ仕方のねぇことだったんだ……『ユニットの抜け殻』を集めてたから、旦那も混じっちまっただけなんだよ」


 ――その言葉には一応『嘘』はない。

 ただし、不要であれば解放リリースすることもできた。そうしなかったのは『戦力』としてのジュウベェを使いたいとヘパイストスが考えたからに他ならない。

 アレスは惑わされることはない。


「てめぇが意図してやろうがやるまいが、俺に舐めた真似しやがったことには変わりねぇ」

「か、か、金なら幾らでも払うぜ!? なぁに、今回は失敗しちまったが、この先幾らでも――」

「――いい加減にしろや、クズが」


 この期に及んで『買収』を仕掛けようとするヘパイストスに呆れ果て、アレスはヘパイストスの喉首を鷲掴みにして動きを封じる。

 ……S■■の存在に肉体がないのは述べた通り、あくまでも『イメージ』である。

 アレスによってヘパイストスが捕縛され、動きを完全に封じられ逃げることすらできなくなった、そう考えて間違いはない。


「ぐ、ぐぇ……ま、待って……」


 実際にヘパイストスの『買収』には効果はあった。

 アレスがチートに頼って、非道な行いを繰り返してでも『ゲーム』の勝者となろうとしたのは、全て『金』のためである。そのことは本人も否定できない。

 しかし、しタイミングが最悪だった。

 ヘパイストスがアレスを手駒とせず怒りを買わなければ……もしかしたら『買収』は成功したかもしれない。

 今のアレスに『買収』を持ち掛けるのは悪手に他ならない。

 なぜならば、


「ふん、てめぇから端金もらうより、てめぇをしかるべきところに突き出してもらう金の方が――気分がいいからな」

「くそ……な、に『正義』のふり、してやがんだよ、あんた……!」

「『正義』?」


 ヘパイストスの言葉にアレスは不思議そうに首を傾げ――やがて理解したのか鼻で笑う。


「正義もへったくれもあるかよ。俺はてめぇに落とし前をつけさせる――、だぜ」

「や、やめてくれ……見逃してくれよぉ……!」


 いかにヘパイストスと言えど、『暴力の化身』たるアレスと真正面からぶつかり合ってはひとたまりもない。

 『ゲーム』の中……アバターを使った戦いであればまだ話は違うが、本来の姿では勝負にすらならないのだ。


「年貢の納め時だな、ヘパイストス。

 《ピトス》――こいつを閉じ込めろ」

「!? や、やめ――」


 アレスが《ピトス》と呼ぶと、どこからか光の環が幾つも現れヘパイストスの全身を締め付け――そのまま圧縮。

 後に残ったのは小さな立方体だった。

 《ピトス》と呼ばれるそれは、人間の世界で言うのであれば『拘束衣』と『牢屋』がセットになったようなものだった。自由な身動きを封じるだけでなく外界と完全に隔離する……S■■の存在にとって、絶対に逃げることのできない牢獄と同義なのだ。

 ヘパイストスの懇願の言葉は途中で途切れ、完全に《ピトス》の中へと封じ込められてしまっていた。

 こうなったらもうどうにもならない。

 外側から《ピトス》を解除されない限り、永遠に閉じ込められ続けることになるだろう。


「……ふん。『正義』か……」


 ヘパイストスの『始末』だけはラビたちにはどうすることもできない。そのことは最初からわかっていた。

 だからこれだけは自分がやらねばならないことだとアレスは思っていた。

 ……それが果たして『正義』なのか、と問われれば答えた通りアレスは『正義』ではないと自分自身では理解していた。

 別に放置していたところでどうということはなかったはずだ。他の使い魔たちはいずれ『口封じ』されていただろうが、アレスであれば抵抗することはできる――抵抗せずとも、きっとヘパイストスは『買収』を仕掛けてきただろうし、それに乗った方が『利益』は大きいはずだった。

 けれどもアレスはそれを選択しなかった。

 アレスは自分の言葉がもはやヘパイストスへと届くことはないと知りつつも、挑発的な笑みを浮かべ言った。


「てめぇに『仕返し』をしつつ、への借りを返すことにもなる――ふん、一石二鳥になると思っただけだ」


 果たしてそれが本音なのかどうか。

 答えはアレスのみが知ることであった。




 ……こうして、ラビたちの知らない場所で、本当の意味でヘパイストスは『終わり』を迎えた。

 彼が二度と表に出ることはないだろうし、ラビたちはおろかアストラエアの世界にも二度と手を出すことはない。

 完全なる戦いの決着はついたのだった。




◆  ◆  ◆  ◆  ◆




《…………》


 大地は枯れ果てた灰色に染まり、天には無数の星が瞬く『死』の世界――

 灰の大地の上に、『彼女』は一人天を見上げている。

 無言で立ち尽くす黄金の髪に濃紫の瞳を持った白い肌の少女の後ろに、もう一人別の少女が現れる。


《ありがとう・■■■》

《…………》


 銀の髪に深紅の瞳、浅黒い肌――『金の少女』と対称的な『銀の少女』の呼びかけに、虚ろな表情のまま振り返り目線を合わせる。


《あなた・の・おかげ・で・・は・すくわれ・た》

《…………》


 『銀』は感謝の言葉を述べつつも、その表情は『金』と同様に虚ろなままだ。


《今度・は・あなた・の蕃》

《ん……》


 『銀』がそう言いながら両手を『金』の方へと差し出す。

 目に見えない『何か』を抱えており、それを渡そうとしているかのようだ。

 『金』の方も手を差し出して『何か』を受け取る。


《あばたー・の・作り方・は・覚えた》

《ありがとう・■■■■■■・これ・で・わたし・に・必要な・要素・は・揃った》


 『銀』から受け取ったものを胸にかき抱くようにし、『金』は目を閉じる。

 一体彼女たちが何を考えているのかは――いや、それ以前に、それは誰にもわからない。

 ……そもそも、彼女たちの存在を知覚している存在が、彼女たち以外に果たしているのかどうか……。


《あなたも・はやく・すくわれる・と・いいね・■■■》

《ん……あと・は――》


 『金』が目を開き、『銀』ではない遥か彼方を見つめて言った。


《ラビ・と・ありす・が・わたし・の・ところ・に・来て・くれれば――》




 ――何者にも知覚されない、超越者たちの静かな会話はそのまま終わり……。

 灰色の世界には『金』が一人残るのみだった。

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