第3章3話 ありすが風邪をひいた日(前編)

 ヴィヴィアンの能力について色々と検証した日の夕方、ありすが風邪をひいていることがわかった。

 熱を測ってみたところ37度台後半――インフルエンザではないが、子供が無視して行動するにはちょっと高い熱だ。大人なら、まぁ仕事の都合とかでちょっと無理しても……と考えたくなる熱だが、寝ているのが一番だろう。

 ということで、その日はすぐに就寝。

 翌月曜の朝にまだ熱が下がっていなかったので学校はお休みだ。

 午前中に病院へと行って薬を貰って、一日寝るだけである。


”――というわけで、今日はクエストはお休みね”

『はい、わかりましたわ。

 ありすさんは大丈夫ですの?』


 昼休みにありすのことを心配して遠隔通話してきた桃香と会話する。

 ありすは桃香――ヴィヴィアンのことを『みっちりと鍛える』と息巻いていたのだが、当のありす自身が風邪でダウンしているのではそれも出来ない。

 桃香も私たちと本格的にクエストに挑めるということで楽しみにしていたようだが……今日のところは仕方ない。


”うん。ただの風邪だって。薬飲んで大人しくしてれば一日か二日で治るんじゃないかな”


 私は流石に病院にまでは行かなかったが、美奈子さんがそう言っていた。

 看病のために仕事を休むという選択肢もあったものの、大した風邪ではないしありすも私がいれば大丈夫だと美奈子さんを送り出している。

 もちろん私もできるだけのことはするつもりだ。……とは言っても、昼ご飯は美奈子さんが用意していたし、夜ご飯の時間までには帰ってくる予定なので、そんなにすることはないのだけど。せいぜいが着替えた服を洗濯籠に放り込んでいくのと、氷枕を取り換えてあげるくらいだ。


『そうですか……。

 どうぞお大事になさってください』

”ああ、伝えておくよ。桃香も風邪には気を付けてね”

『はい。それでは、失礼いたしますわ』


 ちょうど季節の変わり目だし、それに先週末からは美鈴のことや桃香のことで色々と精神的にも来るものがあったのだろう。

 ずっと『ゲーム』にかかりっきりだったし、ここらでありすにはゆっくりと休んでもらいたい。

 桃香と話終わり、その後は特に何もなく時間は過ぎ去り……現在は15:00。そろそろ学校が終わるころかな。


「んー……ラビさん……」


 と、ありすが起き上がり私を呼ぶ。

 いつも以上にぼんやりとした表情だ。顔もまだ赤い。


”なに、ありす?”

「ん……のど乾いた……」

”はいはい、お水ね”


 あまり冷たい水だと飲みづらいだろう、と部屋にミネラルウォーターのペットボトルを置いてある。

 コップに注いで渡してあげる。


「んっ……もういっぱい……」

”はいはい”


 おかわりを注いであげると、それも飲み干す。

 見ると結構汗をかいているようだ。


”ちょっと着替えようか。大分汗かいちゃってるみたいだし”

「ん……」


 用意してある着替えを持ってきて着替えさせる。タオルもあるので汗を拭きとるのも忘れない。

 やはり汗をかいてた服を着ているのは気分が良くなかったのだろう、着替え終わり心なしか少しすっきりした表情となった。


「……寝るね……」

”うん、おやすみ、ありす”


 着替え終わり、そのまままたすやすやと眠ってしまう。

 ……風邪をひいてしまったことは心配だが、この調子なら大丈夫かな、とも思う。

 それにしても――

 と、ありすの寝顔を見て思う。

 こうして見てると、本当に普通の――むしろ普通よりか弱いくらいの――女の子なんだけどなぁ……。いや、まぁ起きててもそうだと言えばそうなんだけど。

 『ゲーム』中でのあのアリスとこの女の子が本当に同一人物なのか、いまだに時々疑わしく思えてしまうことがある。

 アウトプットを変えているだけ、とマニュアルには書いてはあるもののどこまで本当かはわからない――久しく言ってなかった気がするが、この『ゲーム』はまごうことなきクソゲーなのだ。油断は今もすることはできない。

 やむを得ずとは言え巻き込んでしまったのは私の方だ。罪悪感はまだある。例えありす本人が『このゲームに参加したことを微塵も後悔していない』と思っていたとしても、やはり本当ならもっと穏やかな日常を彼女は送っていたはずなのだから。

 ……そう思う反面、彼女が望むようにこの『ゲーム』のクリアを目指すために私の出来ることをしよう、そして私自身も『ゲーム』の終わりが見たいという思いもある。

 それは単にこのはた迷惑なクソゲーが終わらされるのを見たいだけでは決してない。ありすアリスが見せてくれる――そして私たちと見ることになるであろう、今までにない世界の光景がこれからもあるという期待からのものだ。

 正直に告白しよう。前世では決してみることの叶わなかった景色――それが見れるであろうことに、私はわくわくしている。

 日常が嫌だったわけではない。平穏が退屈だったわけでもない。

 でも、今の暮らしは『楽しい』。

 私はそう思ってしまうのだ。


”……私もありすのこと、言えないなぁ……”


 私自身も『ゲーム』を楽しんでしまっているのだろう。だから、巻き込んでしまったと思いながらの罪悪感だ。

 まぁ何にしても、私たちの目的である『ゲーム』のクリアの目途は全くついていないし、クラウザーとの決着も付けなければならない。他にもどんなプレイヤーがいるのかもわからない――クラウザーのように敵対関係となるものもきっと出てくるだろう。それに何より、この先に出てくるモンスターがどんな理不尽で凶悪なものになるのかも未知数だ。

 これからもありす、それに新たに加わった桃香の助けとなるように精一杯努力しよう、私は改めてそう思った。


『……ラビ様? 聞こえますか?』

”……ん? 桃香?”


 とその時、桃香から遠隔通話が届く。


”どうしたの?”


 何か問題でもあったかな、と心配になるが、


『今日学校で配布されたプリントを届けようと思うのですが……それと、ありすさんのご様子を窺いに、と』


 お見舞いのお伺いであったようだ。


”うん、大丈夫。今ありすは寝ちゃってるけど……”

『あら、そうでしたか。では、プリントだけお届けに伺いますね』


 こういう時に遠隔通話が出来るのは便利だ。美奈子さんがいなくても私がプリントを受け取れる。

 ……ああ、そうか。それを見越してありす……というか私の事情を知ってる桃香がわざわざ来てくれるのか。学校から桃香の家に帰ろうとする場合、恋墨家に寄ろうとするとちょっと遠回りになってしまう。


”ありがとう、桃香”

『そ、その……ありすさんのためですから……』


 ……んん? 何か微妙におかしなことを言いだしているような気がするぞぅ?




 桃香は宣言通りプリントを届けに来てくれたが、残念ながらありすは眠ったままだ。

 無理やり起こす必要もない、と桃香は玄関先で私にプリントを渡すと『お大事になさってください』と一礼してそのまま去って行った。

 ……本当に残念そうな顔だったけど、他意はない……よね、うん。

 その後は特に何事もなく、時間が過ぎ去っていく。

 美奈子さんが夕方帰宅してきた後もありすは眠り続け、大体いつもの夕ご飯の時間より少し遅いくらいに目が覚める。

 熱を測ってみると36度台の後半。起きたばかりだから体温が少し下がっているだけだろうが、昨夜や朝に比べたら熱は下がってきているようだ。これなら明日も大人しく寝ていれば明後日には学校に行くことが出来るだろう。もしかしたら、明日の朝には完全に熱が下がっているかもしれない――まぁ美奈子さんは明日は学校を休ませるみたいだけど。私も同意見だ。

 幸い食欲はそれなりに出てきたようで、消化のいいうどんを普通に食べていた。

 食後に薬を飲んで歯磨きをしたら後は寝るだけなのだけど……。


「んー、おふろー」


 着替え終わってさぁ寝ようという時になってそんなことを宣う。


”今日はお風呂は入らないでいいよ。風邪が治ってからね”


 風邪の時に風呂に入る入らないというのは人によって異なる、と聞いたことがある。私は無理して翌日にも仕事に行かなければいけない場合を除いては入らない。美奈子さんも風邪の時は風呂はNG派だ。

 だというのに、ありすはごねる。


「ラビさんおふろにいれるー」


 しかも自分の体を洗いたいからではなく、私を風呂に入れるのが目的と来た!


”……いや、私は別に入らなくてもいいよ……”

「ダメー! 入るのー!」


 一体その情熱はどこからくるのやら。

 しかも、何か心なしかいつも以上に幼い感じになってるし……。


”わかったわかった。ありすが寝たらちゃんと入るから、ね?”

「んー、ダメ―……わたしと入るのー……!」


 わがままだなーもー。


”ダメだよ、ありす。また熱上がっちゃうでしょ”

「んー! ラビさん嫌いー!」


 半分眠そうになりながらもわがまま放題だ。

 こんなありす初めて見た。


”はいはい。じゃあもう一緒にお風呂入らなくてもいいね”


 と適当に受け流して寝付かせようとすれば……。


「ん! うそ、好き! ラビさん大好き!」


 ……と元気になる始末。言葉の選択を誤ったか――いや、ここでついでに言質を取ってしまおうという思いもなきにしもあらずだったんだけど……下心を見抜かれたか。


”……もー、わかったから寝なさい。風邪治らなかったら、クエスト行かないからね?”

「んー……んー……!

 …………はぁい……」


 なおもじたばたとしていたようだが、ようやくわかってくれたようだ。


「……じゃあ、ラビさん……一緒に寝よ?」

”えー……?”


 そうきたかぁ……。

 今までお風呂に関しては強硬に一緒に入りたがってたけど、添い寝は言ってきたことなかったんだよなぁ……。

 うーん……。


”しょうがないなぁ……今日だけだよ?”

「ん、やった……」


 仕方ない。今日はありすのわがままに付き合ってあげよう。

 私の了承を得て笑顔を浮かべ、布団をまくって私を誘う。

 ……お風呂に一緒に入るのも大概だが、女子小学生と同衾というのも……いや、今更じたばたすまい。ありすが寝入ってからベッドから抜け出せばいいか。


「んー……!」


 布団に入った私を嬉しそうに抱きしめるありす。

 ……ついに私も抱き枕になってしまったかー。と観念し心を無にする私。

 まぁ、こうも嬉しそうにされると悪い気はしないけど。

 しばらく起きていたのでまたちょっと熱が上がったのか、ありすの体から伝わる熱がいつもより――アリスの背中にいる時に感じる熱よりも高い。


”それじゃ、おやすみ、ありす”

「ん……おやすみ、ラビさん……」


 それからしばらくしてありすはようやく深い眠りについた。

 全く……わがままだなぁ。と思いながらもそれほど嫌な感じはしない。

 たまにはまぁ、こんな子供らしいわがままなありすもいいだろう。




 ――尚、その後隙を見て抜け出そうとしたものの、結構がっちりとホールドされていたため脱出は長い時間叶わなかったのであった。

 夜は長いなぁ……他のプレイヤーとかどうしているんだろう、とふと疑問に思う秋の夜長である……。

 まぁ考え事でもして時間を潰すかな……と思っていると、外が騒がしい。

 誰かが騒いでいるというわけではない。これは……風の音だな。

 そういえばちらっとだけニュースを見たが、台風が接近しているって言ってたっけ。

 私たちの住む桃園台は関東圏だし、そこまで酷いことにはならないとは思うけど……。

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