シュークリームの複数形

無為憂

 

 夕闇が世界を切り替える。交わらない線と線を、隔たれていた壁を繋ぐ。

 アンドロイドのセナは、風俗街の一角にある電気屋を目指していた。

 冬の予感がすぐそこに迫り、コートを着込んでいる人もちらほらといる。

 この街の大半はアンドロイドだ。今や日本の人口の三分の一ほどはアンドロイドで、この国の労働力を賄っている。

 夜の訪れに伴って、電気看板が照らされる。陽が朱く差し込み、空を染める。看板の多くは、胸をはだけたドレス姿の女性がモデルになっている。

 タバコの匂いがする。路端で男が周りを気にせずに喫煙をしていた。セナの鼻をつく匂いだった。しかし、それももう慣れている。

 電気屋での用は、以前頼んでいたクロス社製の右腕だった。今回の目的は、右肘から右手のパーツを換装することにある。故障とか整備不良の問題ではない。体をいじることは、セナの趣味であり、ライフワークだった。もっとも、アンドロイドにとって、自身の体をいじることは人間よりも軽い意味を持つ。

〈シュークリームを買ってきて欲しい〉

 テキストメッセージで通知が入る。

 セナのマスター(主人)からの連絡だった。

「うっ」

 ここ最近、定期的に頭が痛む。セナは頭を押さえた。

 何かを訴えかけるように、ノイズがする。頭痛は朝から続いていた。

 半年前から定期的にするようになったバグは、セナの精神をちくちくと蝕んだ。

「近々、診てもらわないと」

 弱い痛みと戦いながら、セナは返信をする。

〈承知しました〉

 マスターからのスイーツのお願いは、決まった様にセナが電気屋に行く時だった。家での仕事が早く終わった時に、それを見計らった様にお願いが発動する。有難くも見逃している、という意味があるとセナは思っていた。

 セナが好き勝手に自分をいじるのもマスターの容認があってこそのものだった。

 右目で出力した空間モニターのメッセージアプリを閉じると、街の雰囲気はガラッと変わる。

 風俗街の入り口を抜けて、中心部に入った証拠だった。

 往来で客に抱きつく人間の風俗嬢が増え、ホテルに入っていく人影も多くなる。

 ここまで来ると、アンドロイドの姿も減る。ここにアンドロイドの風俗はない為、いる意味がないからだ。

 だから、

「あ、セナじゃん。久しぶり。元気だった?」

 電気屋に通う道すがら、何度か鉢合わせたこともあり、顔馴染みとなった人がいる。

「私はアンドロイドなので、元気というよりは調子が良い、の方があっています。メイ嬢」

「じゃあ、調子はどうだい?」

「まずまずです。これから楽しい予定もあるので。メイ嬢の方は?」

「嬢はやめてってば。メイでいいのに。あなたの楽しみな予定って一つしかないわよね。で、今度はどこを変えるの?」

「右腕です」

「あら、結構大胆ね、右腕と左腕の互換性はどうするの?」

「そこは、大丈夫です。考慮してあります。もともと、気にする要素でもないですが」

「さすが28型」

 セナは、ライン社の標準モデル28型のアンドロイドだった。

 現代のアンドロイドには個性がない。人間のように一人一人容姿が違うわけでも、能力が違うわけでもない。それこそ、特注のデザインモデルでない限り、一体一体にかけるコストはない。

 反対に、メイの方は──人間は、コスパ最悪の存在だ。メイはいつもと違って、今日は薄化粧で彼女の気品を感じられるナチュラルなメイクをしていた。今日は休みの日なのだろう、とセナは考えた。

「もう数年前のモデルですけど、“売り”が私の嗜好と合っていてよかったです。ハードウェアが他機器との互換性に強いことなんて今のアンドロイドにとっては、なんの長所でもないですけどね」

「これからはそれが大事になるのよ、きっと」

「そうであると助かります」

 セナがそう言うと、メイは微笑んで、

「ごめんね。これからちょっと予定あるから」

 右耳にかけていたメガネ型のディスプレイをいじって言った。対峙しているセナの胸元あたりに出力されている空間モニターを一瞥して、なにやら少し険しい表情に一変させたが、それを取り繕う様に「じゃあ」と言って手を振った。

 セナも手を振りかえす。

 風俗街の奥へ抜けていくメイを見送っていると、入れ替わる様に店の中から嬢が出てくる。その子は、メイを見るなりお辞儀をする。メイはにこやかに手を挙げた。

 一連の流れを見ていたセナの視線に、嬢は気づく。気まずくなり、セナは会釈して逃げようと思った。

 しかし、それを防ぐかの様に、その嬢は歩み寄ってきた。仕事終わりなのか、メイの服装よりも緩い私服で、それが更にセナを混乱させた。営業でないのなら、話かける理由なんてないはずなのに。

「あ、初めまして、セナさんですか? 私、ミオって言います」

「初めまして……」

 ショルダーバッグからメガネデバイスを取り出して、耳にかけた。

「メイさんからお話聞いてたんです。この街に出没するアンドロイドがいるって」

「なるほど……」

 セナは物珍しさから自分が話しかけられていることに気づいた。「自分」を通すことは、セナの中でなによりも大事なことだが、それを好奇な目で見られるのはあまり好きではなかった。

「思ってたより、全然変なアンディじゃなくてびっくりしました」

 アンディとは、アンドロイドの略称・愛称のようなもので、人間を人、というようなものだ。

「人を見かけで判断するのは……」

「あっそうですよね、すみませんでしたっ!」

 こうも素直だと、セナも調子が狂う。

「それに、着ているジャケットも素敵です」

「ありがとう……」

 それで要件は、と言おうとしたところで、

「それは制服なんですか?」

「え、ああ、一応マスターの指示で着ていますが」

「へえ〜〜、指定のものがあるなんて、流石ですね! 良いところなんですね」

「良くしていただいてますよ」

 他と比べて良いところかどうかは、家が優れているか劣っているかどうかは、他人が判断するべきものだとセナは思った。ただし、そこが良い場所かどうかは自分が決める。セナはそう思う。

 マスターの家は、良い場所だ。マスターは良い人だし、他に働いているアンドロイドに悪いやつはいない。

「セナさんは、どうしてこの街に? 家も良いところなのに、何が不満なんです?」

 決めつけが過ぎる。しかし、この街にとって、セナは異物だ。好奇な目で見られるのも、直接的に被害がないなら我慢できる。しかし、この嬢がセナに向ける感情は、あまりにも直接的すぎる。この街の感情なのだ。

 抑圧されたものが、偏見が、純粋な眼差しを持ったミオから振りかざされる。

 それは、結局大きな目で見れば、どこでも一緒なのかもしれない。人間と機械は相容れない。労働力として許されているだけ。アンドロイドが日常に溶け込む様になっても、一線がある。セナも生活をしている中で幾度もそう感じた。

「欲しいものがあるんです」

 日常の中で必要なもの。欲望なんてあるはずもないのに。植え付けられたもの。

「欲しいものが、こんなところにあるんですか?」

「ええ、ここから少しいったところにある電気屋に」

 セナはそう言って、電気屋の方向を指差す。それに倣ってミオも振り向く。

 その道を左に曲がれば、風俗街の切れ目とともに店がある。

「そっちはあんまり行ったことないなあ」ミオがつぶやく。

 風俗街は奥の方へ行けば行くほど、黒い。新人の風俗嬢であるミオがそっちの方に行ったことがないのは当然だろう。無論、悪い様に染まってほしくはない。

「やめておいた方がいいですよ」

「私の憧れはメイさんなんです」

 今さっき、風俗街の奥へ消えたメイ。彼女は、またこの子とは別なのだとセナは思う。別だから。彼女は別だ、特別だ、そう諭しても彼女は聞き入れるだろうか。憧れと自分は違うのだと、認めるだろうか。

 その命題が自分に向けられた時、答えを得られるかセナに自信はない。

 そもそも、自分の欲求の行き着く先さえもセナにはわかっていない。

「欲しいものがあれば手に入れたいじゃないですか。何をしても」

 セナはその発言の意味を計りかねた。それは彼女の知らない部分を多く含んでいたし、直接的に聞くことも憚られるような気がした。

 しかし、彼女はメイの歩いた道を眺めていた。陽が落ちきったこの世界には、眩いものなどないはずなのに、眩しく風俗街の建物を見ていた。

 欲しいものがあれば手に入れたい。セナはそれを胸中で反芻した。

 何をしても。

「そのためにあがくのって、悪いことなんですかね? 欲しいものを欲しいと思うこと、それ自体は悪じゃないはずなのに」

 どう思いますか? と軽く訊かれる。「アンドロイドに善悪の区別はつきますか?」

 ミオがその質問をするのは、ただの悪戯半分、アンドロイドなら、セナならどう答えるだろうという探究心からくるものだった。

「善悪は人間が決めるものなので」

 ミオは、ふっと頬を緩ませた。

「マスターから、そのお父様からの教えはあります。それが唯一の基準ですかね。私にとっては」

 優しいという感情も、守りたいという感情も学んだ。しかし、善か悪かは、許せるかどうかは、人間でしか判断ができない。

「基準、ですか。最近、それが揺らぐんです」

「この場所は普通じゃないからですね」

「普通、っていうのもおかしいじゃないですか」

 言葉が悪かった。セナはすぐに悔やんだ。ミオの術中にハマった気がした。

「なにが普通で、なにが普通じゃないのか」

 ミオと目が合う。

「そういうの、得意そうじゃないですか。逆に。アンドロイドは」

 ライン社製標準モデル28型。28は、西暦から来ている。2128年発売、ということから来ているなんの捻りもない商品名。今は2132年。ハードが技術的に成熟して、今はマイナーアップデートの機体しか市場に出てこない、飽和状態の産物。

「私から私の部分を差し引いたら、それが普通になりますかね」

「でも、セナさんは、色々体をいじっているじゃないですか」

 ミオの返答に、セナは思わず笑ってしまった。そうだ、確かに。

 ミオもつられて笑う。

「そっか、私はもう普通じゃないんですね」

 ははは、と自虐のような笑い声が漏れる。

 普通という絶対的な基準があるというのは、もしかしたらありがたいことなのかもしれない。こんなに苦しんでいるのに。

「その見た目で普通はないですよ」とミオは笑う。

 その見た目が、セナの体のことなのかセナの体を包んでいる、この街には馴染みのないジャケットのことなのか判別がつかなかった。もしかしたら両方なのかもしれない。

「だから、私は何をしてでも変えたいんです。私自身を。この場所で」

 唾を飲み込んでミオは、言った。

「価値ってあるじゃないですか。自分につきまとうそういうの」

 ここはそういう視点で見られることが多いから。こぼす様にミオは言う。

 体の価値、人間関係の価値、身につけているものの価値、他人につける価値。

 ここはそういう場所だということをセナも同意する。

「悲しいと同時に嬉しい。自分の価値をつけられる悲しさと、上がっていく嬉しさ。最後には何も気にならなくなるんでしょうか。あの人みたいに」

 セナはメイと付き合いは長いが、確かに、人間関係にしろ彼女自身にしろそういう印象を受けたことはない。同じ様なブランドもののバッグや衣服を身につけて、煌びやかな人たちと一緒に毎日を謳歌している。

 改めてセナはミオの方を盗み見る。小綺麗な私服は、彼女の仕事の衣装を容易く連想させた。それができたのも、店の前であるからかもしれない。

 化粧は、わりかし濃い印象を受ける。それは仕事が終わって、化粧を変えていないからだろうが、だからといって迫力のあるものではなく、受け入れてくれるような、包み込んでくれるような安心感をセナに与えた。接客中の時もそのような感覚を享受出来るのだろう。考えなしのような砕けた物言いとは違って、仕事が出来るのかもしれない。計算づくなら、恐ろしいとさえ感じる。

「私は今、一時間六万五千円で買えますよ」

 その発言に、ふふふ、と笑ってしまう。突然の大笑いに、ミオは頭の上に疑問符を浮かべた。

「いや、これから買うパーツがちょうどその値段で」

 ミオの怪訝な顔が、だんだんと緩んでいく。次第にわかっていく様が読み取れるのがセナは面白かった。

「どうです?」

 営業をかけるように、ミオは地声から半音高くして、セナに是非を問うた。セナの恋愛対象は男だし、性的接触も男以外は関係を持ったことがない。同性をそこまで気にする方ではないが、それでも興味は唆られない。

「次の機会にでも」

 ミオは、ちぇ、と顔を顰めるがすぐに普段の笑顔に戻した。

「そもそもお店が許してるんですか?」

 アンドロイドと人間の恋愛問題は溝が深い。未だ議論は落ち着く場所が定まらない。

「まあ、許可はとらなくても」

 笑っていない瞳が、大丈夫ですよ、と告げていた。大丈夫じゃない。

「遠慮しておきます」

 そう言うと、残念、とミオは薄く笑った。


 *

 それから、ほどほどにミオとの話を切って、電気屋「メレー」へと赴いた。

 メレーは老主人が経営している店で、以前は家電とアンドロイド雑貨を主に扱っていた。しかし、家電は時流を受けて、廃業し暖簾替えをした。

 メレーの看板が黄金色に光っている。埃汚れが酷く、もう何年も手入れしていないのだろう。

 看板の光が入らない路地に、一人の男がいた。薄汚れているのも見ると、ホームレスなのだろう。ベレー帽を目深に被りこちらを見ようともしないのは、外界と一線を引いているような異質感がある。

 風俗街を越えると、次にあるのは歓楽街だ。メレーは、その接続する境界線に位置している。

 歓楽街は治安が悪く、風俗街と歓楽街ではホームレスは一気に増加しドラッグも陰で横行している。

 その立地がセナにとって都合のいいものである反面、アンドロイドが出入りするには難色を示される面もある。

「いらっしゃい」

 老主人の枯れた声も、セナには聞き慣れたものだった。最初は気難しい性格をしていたが、足繁く通ううちに、応対をしてくれるようになった。

「遅かったじゃないか」

「ちょっと、長話をしておりまして」

 両端が片付いていないカウンターから顔を覗かせる姿は、閉店間際だと言うのに元気があった。

 老主人は、カウンターの引き出しから頼んでおいたものを取り出す。緩衝材の包まれたそれは、はたから見ても腕の形をしていた。

 主人が値段を告げ、セナはそれと同額のお金を出す。

「ここで開けても?」

「構わないさ」

 主人も興味津々のようで、そのまま何かの作業へ移るわけでもなく、セナを観察した。

 緩衝材が留められているテープを外し、ぐるぐる巻きにされているものを反対巻きにして取り外す。

 黒色の強化合金製のその腕は、店内照明によって黒光りした。北欧にあるクロス社製の最新パーツ。

 一度、その右腕をカウンターに置き、今度はセナが今着けている右腕を外す。

頭に埋め込まれている制御パーツで、電子回路を制御し、肘の関節との接続をオフにする。セナの右目に映るモニターを操作すると、モニター上に何度も危険信号が発生したが、手際よく回避する。最悪、セナのマスターのもとに通知が出されかねない。マスターなら事を把握しているので、大事にはならないだろうが、何かあれば全て人間であるマスターの責任になる。アンドロイドは自分の命では責任をとりきれない。

 カチ、と関節部の接続が外れ、右腕は五キロほどの鉄塊を化す。

「今回も、こちらで引き受けていいのかな?」

「ええ、もちろん」

 セナの使っていた右腕は、メレーのもとで買い取ってもらう。整備不良がないか調整して、中古として再び売られる。

 自分のパーツではなくなった物体を、セナはさして興味を示さない。今あるものに興味津々で、いくらで売れるのかもたいして考えたこともない。

「私は儲かるからいいが、お前さんの買い替え頻度は凄まじいな。これも、もって半年とかだろう?」

「半年? そうですね、五ヶ月と十数日」

「普通は、何年も使ったものを買い替えだとか中古として売りにくるから大した値はつかんが、これはまだ最新機種の部類だぞ。人口皮膚を使用した優秀なパーツだ」

 性能としては申し分ない。アンドロイドがより人間になれることをコンセプトにした商品で、刃物で切れ目を入れれば擬似血液も出る。

 そのコンセプトは、セナには適さなかった。それだけだ。互換性も大して気にしなくていいセナだからこその気軽さだが、セナが求めるものが手に入らなかったからといってくよくよしている時間はない。次に進むだけだ。

「ふっ、まあ買い替えが早い方が安く買えるしな」

「どういうことですか?」

 話を聞きながら、セナは最新の右腕との同期を始める。着け心地感は、先代のものに比べるとずっしりとしており、パワーバランスに慣れるまで、慎重を期せねばならぬものだった。

「この右腕、」セナが外した右腕のことだ。主人はそれをじっくり見ながら、「五万で買い取ろう」

 予想外の値段に、セナも耳を疑う。どういうことだ?

「今、品薄で高騰していてね。ラッキーだよあんた」

 セナは、へえ、と納得するが、同時にミオの言葉を思い出す。

 それが今の私の値段か。

 体を売ったのだと気づいて妙な気持ち悪さと嬉しさがあった。体を売る。誰かが使う。使われる。しかし、誰かの役には立っている。その行為は紛れもなく人間のものと同質なようにセナは思えた。それが、嬉しかった。

「それで、新調したものはどうだい」

 拳の開閉を繰り返しながら、感触を確かめる。

「まずまずです。クセがあって、慣れが必要ですが」

 そう言うと、店主は満足そうに頷いた。

「毎度あり」


 *

 閉店と同時にメレーを出て、それからセナはマスターに連絡を入れた。御用を達するのが遅くなることを報告する。

 店の前には、まだホームレスが座り込んでいる。

 今回の右手の換装は、マスターの為でもあった。それは、セナがしたいと思ったことであり、強要されたものではない。

 先月、屋敷のアンドロイドが一人死に、人手が足りなくなった。そのために護る力が、力仕事をするパワーが欲しかった。

 思えば、セナは何かとマスターの為に体を変えてきた。それこそ、時と場合に応じていらなくなったパーツは売り飛ばしてきたが、その時その時の体は、確かにセナのものだった。

「何をじろじろ見ていやがる」

 店先で立ち尽くしていたセナに、ホームレスがつっかかってくる。ホームレスは地面を見たままで顔を上げているわけではない。のに、怒りを露わにしてくる。

 セナはそこではじめて、男を蔑みの目で見た。

「汚い人間が」

「なんだと」

 セナの挑発に乗り、男が顔を上げる。

 男のシワのある顔立ちの中で光る、若草色の瞳がセナの心を奪った。吸い寄せられる。不可抗力だった。

「じろじろ見やがって」

 不覚にも、その言葉通りになってしまい、セナは恥じた。しかし──。

 しかし。

 その目が欲しい。純粋に、単純に、そう思ってしまった。

 汚さと昏さのある中で、輝いている瞳。

 もし、自分がそれを手に入れたら、同じように光るだろうか?

 純粋な疑問は、好奇心となり欲望へとなる。

「それに、俺は人間じゃねえ」

 冷静でなかったセナは、言葉を間違える。認識を違える。

「アンドロイドだ」

「ホームレスなアンドロイドなんて──」

 いるものか、と続けようとしたところで、男の体のボロさに気づく。人間の老化とは違う、それは劣化といえた。

「俺のことを言っているのか? 俺みたいなやつなんてごまんといるぞ」

 ──それに気づかないのは、お前が今まで何も見ていなかっただけだ。

 次に言われた男の言葉、それがセナに響いた。

「若造、お前もいつかはこうなる」

「そんなわけない」

「なんでないと言い切れる?」

「囲まれている環境が違うからだ」

「ふっ、言うな」

 セナの傲慢な物言いに、男は失笑する。

「なぜ捨てられるかわかるか? 人間が死ぬからだ。人間はもろい。人間は死にやすい。管理者のいないアンドロイドなんて、社会は守ってくれない。所詮、社会は人間様のものだからだ」

 男の言葉に、セナはうっすらおマスターがいなくなった時のことを考える。セナにはまだ、鮮明には想像できなかった。マスターが死ぬのも、早くて六十年後。その時のことなんて、自分にはまだ──。

「それで、何が言いたい?」

 薄汚れの老いぼれからご高説を賜り、セナは胸を張り腕を組む。

「図星か?」

「そんなわけないだろ!」

 腕組みをしたジャケットから両腕が覗き、老いぼれは目を見張る。

「お前、改造中毒(カスタムジャンキー)か?」

「は?」

「お前みたいな、体のあちこちがちぐはぐなやつをそう言うんだよ。ま、本人に向けてわざわざ言うやつなんざいねえから、当人は気づいていないことが多いが」

「黙れ」

「お前、この目が欲しいだろう?」

 そう言って、男は中指と人差し指で目を見開いた。

 緑の瞳に黄の瞳孔。

「96型の瞳といえば、アンティークとしても有名なはずだが?」

 にやけ顔で男は言う。セナも、度々アンティーク化しているアンドロイドのパーツの存在を聞いたことがある。しかし、そもそも存在しているかどうか疑わしい話だったはずだ。

 俄然、囃し立てられると欲しくなる。あの男に対して頼み事をするのは、セナのプライドが許さない。

「それで何を交渉するつもりだ? そもそも私はまだ欲しいとも言っていない」

「そうだな、ここは風俗街だ。もし欲しいなら、この瞳とお前の体で交換としよう。これでどうだ?」

「はっ⁉︎」

「それぐらいの価値はあるということだ」

 男の話の着地点が見え、納得はしていないがセナは誘導されているならその手に乗ってやろうと思った。

 検索エンジンで、98型の価値について検索をする。オークション価格なども出てきたが、今のセナに払えるような額ではなかった。

「目を売れば……こんな事しなくてもいいじゃないか」

「それは俺のポリシーが許さないんだ」

 ポリシー。その単語を聞いて、セナは不思議と納得出来た。共感、のほうが近いかもしれない。セナが男を見る視線には蔑みに加えて哀れみも孕んだ。

「それで、どうだ、やるのか?」

 じっ、と目が合う。

「わかった」

 ここでいいか、とセナは訊く。なにを言ってんだ、と男に強火で詰められる。

 男とセナは、風俗街を逆走してホテルへと向かう。

「お前、そもそも性器ついてんのか?」

「ついてるよ!」

「中毒者は、余分だとか言って取り除きがちだからな」

「……」

 図星だった。去年、セナは合理的でないと思って無くしたことがある。

「私は完全体だよ」

 そう零したのを、男は目を見開いて表情を固くさせた。

「変な顔」

 セナがからかうと、男は悪態をついた。

「そういえば、あんた名前は?」

「レオンだ」

 男の口からそんな名前を聞けると思っていなかったセナは吹き出す。

「レオって呼べ」

 笑われるのをわかっているのか、男は─レオンは─、そう付け足した。

 店先に置いてある時間別の料金を横目に、知り合いに見られていないか周囲を確認する。夜も深まってきていることもあり、知り合いはおろか人手も少なかった。

 適当な部屋に入るまで、セナはレオとの身長差から介護をしているような気持ちになる。杖をついてはいないが、足取りは年並みに悪く、脚部パーツの劣化が目立った。

「汚れがひどい。落としてこいよ」

「そうする」

 素直にそう言われ少し面食らうが、単純に汚いのでそうしてもらう。

 アンドロイドは性病にかかる心配がないので普段なら気にしなくていいのだが、体が汚れるのは御免だった。レオなら心配する必要はないだろうが、最近のアンドロイドは陰部から駆動系に影響を及ぼすウイルスを仕込む。セナは経験が少ないのでよく分かっていないが、マスターが聞いたらなんて言うかはおよそ推測がついた。

「浴びたぞ」

 バスローブを羽織りながら、小綺麗になったレオが出てくる。セナは、レオの顔を見て唾を飲んだ。瞳のためだ、と言い聞かせながら。

 お互いがベッドで寝そべり、そしてセナがレオの上に跨った。

 レオのよれよれの性器が、セナの股にあたる。興奮はしない。雰囲気がない。

 お互いの服を脱がせながら、レオは快楽の為に、セナは瞳の為に、舐め合った。

「っぱ、お前」

 レオが慄く。

「どうして両方ついてんだよ!」

「バグだよ」

 セナは淡々と答える。過去に一度無くした時、次につけたパーツが男の方だった。しかし、セナの機体は女で作られるので、気分が悪く結果そっちの方も戻す羽目になった。

「さすが中毒者(ジャンキー)……。理由も大概なもんだ」

 レオが仰向けで突きながら言う。

「別にいいだろ! 私たちのモノはただのおかざりなんだから」

 人工技術によって限りなく近いものは作れているが、所詮偽物なのだ。機体の快楽も疑似的に生み出した電気信号で満足するようなものだ。

 適度に楽しみ、残り時間が少なくなったところで一息ついた。

「満足したか?」

 冷蔵庫のペットボトルの水を飲みながらセナは言う。

「ふっ、よく言うぜ」セナがもう一本渡した水に口をつけて「ガキのくせにはマシなもんだった」

 と、褒めたのか貶したのかわからないようなことをいった。

「じゃあ約束のものを貰おうか」

 セナは自分の飲みかけのペットボトルをベッドに放り、レオと適度な間隔を空けて座った。

「一息もつかせてくれんのか」

「はやく」

 レオは、右目の目尻のあたりを二度タップした。要領はセナが腕を交換したのと同じはずだが、何せ三十年以上前の機体なので、レオは手こずっている。

 直に眼窩が開き、瞳がぽろっと落ちた。アンドロイドの眼球は、人間のものと違い、水晶のようにきらきらと光った。ホテルの優しい照明に、緑のクリスタルが乱反射した。

「ほれ、お前のもはよ、寄越せ」

 セナは、レオの言っている意味がわからなかった。行為をしたのだから、貰い受けるのは道理に適う。しかし、セナの目をあげる意味などない。

「目をあげたら俺の右目はどうするんだよ、使えないじゃないか」

「どうせすぐ死ぬアンドロイドでしょ。要らないよ」

「一発やったぐらいであげられるほど安いモノじゃないわ」

 お互い一歩も譲らない状況が続いた。そもそも認識違いだったせいで、許せない感情が強く残った。

「じゃあ、二発は?」

「体力がもうないわ。それにこっちはもう十分、満足した」

 それに数の問題ではない、とも言った。

「じゃあなんで」

 セナは、今までのやりとりからレオが大事にしているであろう等価交換を考えた。一回でも二回でもない。それに加えなければならない自分の体(パーツ)の価値。

 セナは再び、検索結果を思い出す。レオの瞳を貰って、更に自分の瞳を新調するための算用をする。

「わかった。ちょっと待って」

 セナも同様、右目尻を人差し指で押さえ、解放パーツの設定に進んだ。尋常ではないアラームが発生し、流石のセナも困った。いくつかのアラームは、マスターに通知が行くのを防げないもので、参った。セナが右目を失うのを、確定でマスターに知られる。

「まあ、替えの右目はあるんだし」

 目玉を外してレオに渡したところで、セナも緑眼を手に取った。逆の手順ではめ込み、同期されるのを待つが、いつまで経ってもされない。

「どういうことだ? 反応しないんだが」

「ああ、そりゃあれだ、対応してねえんだよ。恐らくな。何せ三十年以上前のもんだぜ?」

 レオの発言を受けて、セナは全てを悟る。憤りが募り、

「騙しやがったな!」

「おいおい、そりゃないぜ」

「ふざっけんな! 見合わないぞ!」

「すこし考えたらわかることだろ。それともあれか? 自分の性能にたかをくくって、慢心したってか? それで過ごしてみればわかるさ、世の中のしがらみってやつによ」

「お嬢様に……」

「ん?」

「お嬢様が心配するじゃないか」

 ぼそっと溢した言葉は、切なげに、自責を強く含んで消えていった。唇を歯噛みするセナに、レオは知らん素振りを続けた。

「帰るぞ」

 時間もぎりぎりで、ホテルを出ざるを得なかった。

 放心状態でセナは外に出ると、いつの間にかレオはいなくなっていた。

 夜の空気がセナの肌に沁みる。

 ──急いで、シュークリームを買って帰らなきゃ。

 忘れかけていたシュークリームのことを思い出し、マスターの為を思い、気持ちを切り替えて風俗街の街を彷徨った。

「え?」

 歓楽街と合流する道で、メイの声を聞く。セナは視認していなかったが、記憶していた声紋と一緒だったので、メイが近くにいることを知った。

 振り返って、愚痴を言おうとしたその時、セナが見たのは、

「なんで?」

 メイのそばにいたのは、自分と瓜二つの顔をしたアンドロイドだった。それも、過去に改造したパーツ構成で。

「どういうこと?」

 メイに質問の追撃をし、距離を詰める。セナの偽物は薄ら笑いに表情を替えた。

「この前、頭のパーツを替えただろ」

 メイの隣にいるセナは、声が違った。声の設定値が違うのか、男のような低い声で、その男は言った。

「頭って、それが何……?」

「その時、記憶データが複製されたんだ」

「それって、私は……私が……?」

「それは、安心しろ。お前は本物だ。しかし──」

 ──偽物(ダブり)がいる存在に、価値ってあるのか?


 メイは心配そうな表情を貼り付けていたが、その本心はセナにはわからない。

 記憶複製の時、ある処理によって阻害プログラムが起動していた。セナはたった今、現実の認識と共にそれを知覚した。

 セナはその場に立ち尽くした。

「行こう、メイ」

 メイの腕を引いて、セナの偽物はセナから姿を消す。



 それからコンビニでシュークリームを三個買った。

 

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