3.浄土か地獄か

3.浄土か地獄か①

 芽衣胡は寒さに身が震え、目を開けた。浄土は寒い場所なのかもしれない。それとも地獄に堕ちたのだろうか。

 すん、と匂いを嗅ぎながら横たえられていた身体を起こす。そして違和感に首を傾げた。

 なぜなら嗅ぎ慣れた匂いだったからである。それからどうしてだか子どもの寝息も近くで聞こえる。

「芽衣胡ちゃん? ……起きたの? 起きるには少し早くない?」

 芽衣胡の右側からなぜだかフミの声。寝起きのため声はかすれ、欠伸まじりにゆっくりと喋っている。

 フミも殺されてしまったのだろうか。ということは孤児たちもみんな殺されてしまったのだろう。芽衣胡は切られた右首を手で押さえる。痛みを感じない。指の腹で撫でるが傷ひとつなく、つるりとしている。

「フミ……」

 フミもどこか切られたのだろうかと考える。

「ん? もう起きる?」

 口が半分も開いていないフミは目蓋をこすりながら欠伸をこぼす。緊張感もなければ芽衣胡のように疑問を抱いている様子もない。フミの身には何も起こらなかったのだろうか。

「ここはどこだろう」

「芽衣胡ちゃん? 寝惚けてる? ここはどこって、光明寺の育児院でしょ。夢の中ではどこに行って来たの?」

「え?」

 芽衣胡は、死んでない? と呟く。フミは立ち上がると襖を小さく開けた。

「うわあ、雪降ってるよ」

「雪? 五月なのに?」

「五月? 今は二月よ。どうしちゃったの芽衣胡ちゃん」

「二月? ……え、そういえばキヨは?」

「キヨって誰?」

 いつもフミと芽衣胡の間に寝かせているキヨがいない。

「え?」

 芽衣胡とフミが首を傾げる。フミは襖を閉めると様子のおかしい芽衣胡の横に戻ってきた。

「芽衣胡ちゃん大丈夫? お熱でもあるんじゃない?」

 フミの温かい手が芽衣胡の冷えた額に当てられる。

「熱はないみたい。それじゃあ変なものでも食べた? やっぱりその辺の雑草を何でもすぐに食べちゃうのは止めた方がいいよ? この前も毒性のある草を触ってかぶれたばかりじゃない?」

 それは四〜五ヶ月前の話しだろうと芽衣胡は混乱する。

「今……二月なの?」

 フミが「そうだよ」と言うのを聞いて芽衣胡は考える。

 芽衣胡の記憶が確かならば、杖の老人に会ったのが記憶の最後である。あれが五月のこと。そこで芽衣胡は殺されたはずだった。

 もしかすると死んでいなくて生き延びていたということかもしれないと考える。しかし五月に殺されて目が覚めたのが二月なのであれば、長期間寝たきりだったということ。そうだとすれば、フミは「目が覚めて良かった」と大泣きして喜んでくれるのではないだろうか。

 しかしフミは何事もなかったかのように平然としている。

 それにフミが面倒を見ているキヨがいない。キヨはどうなったのか――そう考えながら周囲の気配を探る。いつも感じていたキヨの小さな寝息は聞こえない。どこにいるのかと更に耳を凝らした芽衣胡は、その耳にキヨの微かな泣き声を聞いた。

「キヨだ。外で泣いてる……」

「だからキヨって誰なの?」

「こっち」

 芽衣胡は外に飛び出すと泣き声を辿っていく。芽衣胡の記憶にあるキヨが捨てられていた場所は光明寺の門前。今聞こえる泣き声もやはり門前からだった。

「芽衣胡ちゃん、赤ちゃんが!?」

 芽衣胡を追っていたフミが走り抜き、赤子を胸に抱き温める。

「大丈夫だよ、大丈夫だよ。早く部屋に帰ろう。火鉢に火を入れて温かくしなくちゃ」

 フミの後ろを歩く芽衣胡の足取りが緩慢になっていく。

「芽衣胡ちゃん?」

 フミが振り返る。

「今は何年?」

「七年よ。それがどうしたの? 早く部屋に戻ろうよ」

「ええ」

 芽衣胡は混乱する頭で必死に記憶を整理する。

 たしか、キヨを見つけたのが七年の冬の寒い日だった。雪が降る音とキヨの泣き声が混じっていたのを覚えている。

それから、杖の老人に会ったのは、その年の五月に入ってすぐの日ではなかったか。フミが『今日から五月だね~』と言っていた記憶がある。その時に首を切られたはずだが、切られただろう傷もないようだ。

 そして問題なのは、今が七年の二月だということ。どうしてなのか分からないが、キヨはまた門前に捨てられていた。

 なぜか月日が戻っている。長い夢でも見ていたのであれば、首を切られたのに死んでいないことには納得できるのだが、どうしても夢を見ていたとは思えない。

「……どういうこと?」

 芽衣胡の呟きは無情にも雪風に吹かれていった。

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