【コミカライズ】身代わり乙女の幸福な嫁入り~めいこと結びのあかし~
風月那夜
身代り乙女の幸福な嫁入り~めいこと結びのあかし~
序章
桜はすでに落ち、穏やかに吹く風が新緑の爽やかな香りを運んでいる。
雲ひとつない空にはどこまでも青が広がっている。だが光明寺の裏手は本堂の影になり昼間であっても日は差さない。風が吹くと肌寒くもある。苔むし、大岩がひとつある寂しい場所だった。
しかしその場所を好む幼女がひとり、キャラメルを手に頬をほころばせて歩いてくる。足元が覚束ないのは五歳という年齢ゆえではない。
大好物のキャラメルをここでゆっくり味わいながら食べることに至福を覚えて以来、幼女はここに来るといつも決まって大岩によじ登るのだ。
しかし幼女の足は大岩の手前でピタリと止まった。
「だあれ?」
幼女の目にぼんやりと映る黒い塊。幼女の目は全てを写さない。視力が弱いのだ。しかしそれを補うように肌で感じ取る。老若であることも男女であることも分からない幼女の誰何に黒い塊は緩慢に動く。
「君は……ここの子?」
少年にも青年にも聞こえる声音。声変わりが始まる年の頃。幼女は首を傾げ、それから首を縦におろし、こくんと大きく頷く。それを見て少年は静観するように、そうか、と呟いた。光明寺には孤児を預かる育児院がある。身なりはお世辞にも良いとは言えない。継ぎ接ぎばかりの着物は寸足らずで膝が見えている。履物もなく裸足なのだ。この幼女もその孤児のひとりだろう――と少年はそう思った。しかしそれきり興味を失った少年は苔むす地面を見て深く息を吐き出す。
その少年の様子を感じ取りながら幼女は少年に一歩、また一歩と近づいていく。視力の弱い幼女は少年の憂鬱な雰囲気を肌で感じ取ると、手を開いてみせた。
「たべゆ?」
幼女の手には一粒のキャラメルが。
構うなとばかりに少年は幼女を睨み下ろすが、見えていない幼女は警戒することもなく、にこりと微笑む。
「キャヤメユどうぞ。あまくておいしいの!」
「キャラメル?」
幼女は尚も手を少年に向けて差し出す。
「俺が食べたら君の分がなくなるよ」
小さな手の平には一粒しかない。半分に分けることも難しいだろう。
「おにいさんかなしいからトクベツよ」
「俺が悲しい? ……ああ、そうか。そうかもしれない。……君も俺の目が怖いだろう?」
少年は自分より遥かに小さく幼い女の子にその目つきの悪い視線を真っすぐに下ろす。泣いて逃げ出すかもしれないと思いながら。
しかし幼女は小首を傾げた。ぼんやり見えるその顔が纏う雰囲気は優しくて悲しい。怖いと思うところなど一つもないのだ。
「睨んでもいるつもりはないのだが、この目つきだろう? 人を怖がらせてしまうらしい」
少年は悲し気に言った。幼女も男の悲しみを感じ取り、手の平に乗せたままのキャラメルを再度差し出す。
「はやく! たべていいよ!」
「いいのか?」
にこりと笑う幼女の顔を見て少年の肩が下がる。
「ありがとう」
少年は胸のこそばゆさを隠すように礼を言う。しかしそれはぶっきらぼうにも聞こえる声。それに困惑しながらも、少年は指先でキャラメルをつまむ。本当に自分が食べて良いのかと逡巡するも、幼女に「たべた?」と急かされてしまい、口の中に入れる。すぐに舌の上にとろけるような甘さが広がって、その甘い優しさに思わず鼻の奥がツンと痛んだ。
「おいしいでしょ?」
「……ああ」
「かなしいときはにこっ、したらいいのよ。ほら、にこっ」
「にこ?」
花が咲いたような満面の笑みをたたえる五歳の女の子。無邪気な笑顔があまりにも眩しく、目をすがめる。それから同じように口元を歪めたが、目つきの鋭さが変わることはなく、少年の表情の厳しさに拍車がかかっただけであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます