第43話 酒場

思えば魔物と戦うのは随分久々に感じる。

全力で野を駆けるのはいつぶりだろう。

街の中では感じられなかった、草木と土の匂い。頬に受ける青臭い風と足に掠る枝葉。


気持ちのいいものだ。野人のような生活から抜け出して、街で人として過ごす。

その良さは十分に感じていたが、一度染みついた性分というのは中々抜けない。

これがただのピクニックだったのなら、猶更良かったのだろうに。


僕はこれから命を懸けて戦う。

しかし心には、以前までの緊張とくすぐったい高揚感は無かった。

不思議と落ち着き、むしろ心地よさまで感じていた。

これも修行の効果なのだろうか。今は目の前のことがすっきりと、鮮明に見える。


森は人の怒号と魔物の鳴き声で溢れていた。

前方に魔物が三体。

形は見慣れた狼の魔物だ。しかし綺麗な灰色だったその毛皮には、汚い黒の斑点が浮かんでいる。


それらは僕を補足しているようだ。しかし補足しているだけ。

僕はトップスピードで素通りするかのように、それらの間を走り抜ける。


二点、驚いた。

一つは速さ。自分でも信じられないくらいの速度が出ている。狼なんて目じゃないほど、まるで風になったようだった。


二つは反応。無意識のうちに僕と魔物、二つの影が重なると、剣で首を跳ねていた。

繰り出したのは、何度も素振りをした「”初式”閃光スラッシュ」だった。


その場に残るのは共に赤い、血飛沫と剣技の魔力のみ。

以前の僕であれば、この成果にはしゃいでいたのだろう。

自分の技の冴えにうっとりしていたと思う。

しかし僕は、そのまま走った。


走りながら、目に映るもの全てを切り裂いた。


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日が傾き、辺りをオレンジに照らす。


息が上がっていた。

すっかり静かになった森の中、一人目を閉じる。


今まで何体斬っただろうか。

瞼の裏にはその姿が浮かぶ。出没する魔物の面子はいつもの森と変わらなかった。

ゴブリンにオーク、トカゲや狼。

しかしその全てに黒い滲みのような斑点が浮かんでいた。

スタンピードの特別仕様ということなのだろうか。


サイフォス先生から課されたノルマがノルマだったため、遺体の回収はしていない。

修行前だったなら考えられない行動だろう。

しかしこのスタンピードには戦場の後始末というか、戦泥棒のような目的で森に出る人も多いらしい。その方々に任せよう。


僕は警戒を怠らず、街に帰ることにした。


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関所では、サイフォス先生とウィスが出迎えてくれた。

変に冷めていた思考と心が溶ける。気持ちが安心して、笑みが零れた。


「いい顔になったね。剣士の顔だ。お疲れ様。」

出発と変わらない、軽い声を先生は掛ける。


「ありがとうございます。多分、ノルマは達成出来たのではないかと。」

「だろうね。君の修行量であれば当たり前だよ。」

先生と、何故かウィスも、ドヤ顔をしている。


「それにしても、よく頑張ったねえ。今日はお祝いかな。」


そう言うと先生は、僕を酒場まで連れて行った。

街にいくつかある酒場は、どこも大盛況だった。顔ぶれは殆ど、この戦いに参加している者だろう。中には包帯でグルグル巻きで、血が滲んでいる者さえいた。

僕が呆けた顔をしていると、先生は言う。


「皆嬉しいのさ。今日という一日を、戦いを生き抜いたことがさ。」


少し腑に落ちた。

そうか。皆頑張ったんだ。大切な人のため、自分のため、金のため、強さのため、街のため。


「今日はお酒の解禁と行こうか。君の剣士としての初陣を祝って。」


僕は街の人々の輪に入り、揉みくちゃにされながら飲んだ。

飲んで笑い、彼らの武勇伝に耳を傾けた。

何だかこの街の、一員になれた気がした。


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「だからぁ、修行がキツ過ぎるって話な訳ですよ!見て下さいよこの体。バキバキでしょ~!?これを半年掛からずに作らされるって、考えてみてくださいよぉ~。」


僕は数時間後、すっかり出来上がっていた。

上裸で先生に絡みつき、空いた手でウィスを撫でていた。


だって、お酒なんて久々だったんだもの。仕方ないじゃない?

周りの皆も気のいい奴らで、僕の苦労話に大声を上げて笑ってくれる。

僕の引き締まった筋肉に、酒場のウエイトレスも熱視線を送っていた。気がする。

多分。いや、馬鹿を見る目だったな。あれは。


楽しい宴もあっという間。先生は笑みを崩さずに僕に言う。


「これ以上は翌日に響くね。今日は終了。はい、酔い冷まし。」


そう言って差し出されたのは特製ドリンク。

黒緑に濁ったとろみのあるその液体は、僕を正気に戻すには十分なものだった。





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