星祭り

夜明けの晩に

 七夕の夜の午前一時。

 メルキュール商会の前に一台の車が停まった。ミックの育ての親死神タナトスのアンジュの愛車だ。しかし、降りてきたのはアンジュではなく、ひとりの美しい青年だった。

 青年は玄関ドアを開けると、勝手知ったるようすで応接室を抜け作業場に続くドアを開けた。

 作業場ではミックが一人で機械時計の仕事をしている。


「やあ、ミシェル」 

「勝手に入ってくるな、ジョシー。ノックぐらいしろ」ミックは顔も上げずに作業を続ける。

「アンジュから、おまえたちの所にプシュケの箱を届けてくれと頼まれたんだ。それより……」


 トントン。軽くノックの音がして作業場奥の扉が開く。

「技師さん、七夕の短冊、もう書きました?」


 猫の天使長を抱いた水火みかがニコニコと入ってくる。水火は来訪者の青年に気が付くと目を見開いた。一瞬、ミックが二人いると思ったからだ。確かに二人はよく似ていたが、青年はミックよりも年嵩で、髪も長い。水火は慌てて頭を下げた。


「お客さまがいらっしゃるとは露知らず、失礼いたしました」

「客じゃないよ、水火みか。ジョシー、ジョシュアだ。兄貴」


 作業の手を止めず、ミックは不機嫌な声で言った。水火はそんなミックには慣れっこだ。


「まあ、技師さんのお兄さまですか」

「ぼくの兄なら、きみにも兄だ」


 ミックと水火はもとは一人のヘルメスだったが、今の仕事魂の導者をするために、二人に分かたれた。とはいっても、ミックと水火はまるで似ていない。黒橡くろつるばみ色の瞳が同じなだけで、まるっきり正反対だ。




(この辺りのことは長編『仏蘭西菊洋装店 〜Under the Oxeye Daisies〜』に詳しく書いてありますが、現在は公募のため非公開になっています )




 

「はじめまして、ジョシュアさま。水火みかと申します」水火は急いで挨拶をする。

「他人行儀ですよ、いとしいひと。ようやく会うことができた」


 ジョシュアは水火に歩み寄り、優しく髪を撫でた。水火は耳まで真っ赤になった。


「おい、馴れ馴れしく触るな!」ミックは電光石火でジョシュアと水火の間に割って入る。「はじめに断っておくけどな、ジョシー。水火みかはあんたの妹ではあるけれど、断じてあんたのいとしいひとじゃないからな! ぼくのだからな!」


「わたしは技師さんのものじゃありません!」

 間髪入れず、水火みかは否定した。彼女の腕の中で、天使長が「にゃあん」と同意する。


 それはそうだ。水火みかがだれかのものだとしたら、天使長のものだろう。水火はいわゆる猫の下僕だ。だけど、天使長は元々ミックの猫だから、ミックとしては下僕の水火も自分のものとしたいのだ。

 しかし、そうはいかない。天使長から見れば、ミックだってただの下僕なんだから。


「それみろ、ミシェル」

「ぼくをミシェルと呼ぶのはやめろ、ジョシー!」

「ミシェルは、ミシェルだ」

「おれは子どもじゃない。もう、あんたの生徒じゃないんだ」


 大人気おとなげもなく兄弟喧嘩が始まって、水火みかは慌てて二人の気を逸らそうとする。


「お兄さま、技師さん、この短冊見てください。天使長が書いたんですよ、すごいでしょう」

「にゃあん」


 水火みかが二人に差し出した短冊には、爪で引っ掻いた跡と足形が押してあった。


「応接室に笹があったのだが」

「七夕の笹飾りです、ジョシュアお兄さま。これから短冊も飾るんですよ」

「水火はなんて書いたのかな」

「『運命の糸が絡まずに正しくきれいに編めますように』と書きました」

「水火は運命の糸の編み手だものね。機織りと似た職種だ。織姫も喜んで水火の願いを叶えてくれるよ」

「だったら、うれしいです。お兄さまも、短冊、書いてくださいますか」

「もちろんだとも。喜んで」

「にゃ」

「あら、天使長も、もっと書くの?」

「にゃん」


 ジョシュアと水火と猫の天使長が微笑ほほえましく話をしている間、置いてけ堀を食らったミックは、ギギギィと嫌な音を立てて椅子を引いた。まるで駄々っ子だ。水火は慣れたもので、あやすように尋ねた。


「技師さんは、短冊になんて書きました?」

「書かない!」


 にべもないミックの返事に、ジョシュアが怒ってたしなめる。


「ミシェル! 水火になんて口の利き方をするんだ」


「あっ、お兄さま」水火は焦って取り繕う。「笹飾りは、技師さんといっしょに作ったんですよ。吹き流しと神衣かみこは、わたし。技師さんは網飾りと提灯を作りました。それと、天使長は折り紙のくずかごに入れる紙屑をビリビリ破ってくれました」

「にゃあん」

「お兄さまも、なにか作ってくださいな」


 水火は短冊に折り紙も添えてジョシュアに渡した。


「わたし、お茶、入れてきますね」

 今夜はミックがお茶当番だ。だけど、臍を曲げてる彼に頼めばややこしくなるのは明らかだ。水火はそそくさとお茶の用意をしに小部屋に行った。

 

 楽し気に折り紙を折ったり短冊を書いたりしている兄を横目で見ながら、ミックは棘のある口調で言う。

「ジョシー、あんた、そんな幼稚園のガキみたいなことをしに来たんじゃないだろ。アンジュの使いで来たんだろ」


「技師さん! わたしがお兄さまに頼んだんです」

 水火がお茶とお茶菓子を運んでくる。お茶菓子は索餅さくべい。無病息災を願う七夕の揚げ菓子だ。


「アンジュさまからのお預かりものプシュケを届けにきてくださったお兄さまに、短冊と折り紙を頼んだりして申し訳ありませんでした」

「謝ることはないよ、水火。わたしは楽しい。楽しすぎて忘れるといけないから、先に渡しておくよ」


 ジョシュアは水火に、小さな蝶の入った銀細工の小箱を手渡した。アンジュの紋章が刻まれている。水火が小箱を開けると、小さな蝶たちが幾頭も現れ、彼女の周りで舞い始めた。


「アンジュさまは、この幼子たちのために、わざわざお出掛けになったのですね」 

「放ってはおけないらしくてね。部下に任せず、戦火の中に自ら出かけて行ったんだ」


 アンジュは高位の死神タナトス。領地は広大で屋敷をいくつも持っている。ミックが育ったミモザの館もその一つだ。

 水火は指先で蝶たちをあやしながら、ジュシュアの手元の折り紙を見た。


「お兄さまは、巾着とお財布を作ってくださったんですか」

「ヘルメスは、商売の神でもあるからね」

「泥棒や詐欺師の神でもあるぞ。それにファルス——」

「やめろ、ミシェル。おまえの専売特許を並べるのは。水火の前だ」

「なんで、おれの専売特許なんだよ!」

「おまえが言い出したんだ。水火、きみが蝶たちの分の短冊を書いてやったらどうだい」

「ああ、そうですね。あなたたち、なんて書いてほしい?」


 水火はジョシュアの隣にちょこんと座った。膝の上には天使長。小さな蝶たちは水火の書く短冊を覗き込んでいる。

 ミックはますます面白くない。


 短冊が出来上がり、蝶たちを連れて水火とジョシュアが応接室に行くと、ミックも後から付いて来た。


「技師さんも、短冊、書いてくれたんですか」

 水火が嬉しそうに振り向くと、またしても「書かない」との返答。


「その口の利き方はやめろ、ミシェル。書かないんなら、なんで付いてきた」

「ミシェルと呼ぶな、ジョシー。プシュケたちのようすを見にきただけだ。早急にこの子たちの機械時計を作らなきゃならない」


 ミックの顔には水火と兄を二人っきりにしておきたくないと、でかでかと書いてある。


「ぐるる」

 そこへ天使長が作業場から、何かくわえて持ってきた。


「あら、天使長、それって技師さんに渡した短冊でしょ—— やだ、ミックったら、ちゃんと書いてくれたんじゃないですか。なんて書いたんですか」


 ミックは水火より早く天使長から短冊を取り上げた。破れた端が口に残って、天使長はペッと吐き出す。それも拾ってシュレッダーより細かく破くと、笹飾りのくずかごの中に残らず全部突っ込んだ。


 いったいミックは七夕の短冊に何を書いたんだ?


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