第7話 このイケメンは胡散くさい


『揺れーるゆれる、ピンクのしっぽ! 揺れーるゆれる、子ブタのおしり! ぶう!』


 慣れたレギンスに履き替えてリビングに行くと夢莉ゆめりがテレビでいつものこども向け番組を観ていた。


「あれ体操のお兄さん変わったんだっけ?」


 聞き慣れないかけ声に反応して涼子も画面を見ると、以前までのベテランのお兄さん、というかもはやおじさ……(とは言ってはいけない)の姿はなく、若いイケメンのお兄さんが見慣れない体操をいつもの着ぐるみのキャラクターたちと踊っていた。


「うんー、春から変わったのー。トシヤおにいさん」


「へえ、知らなかった」


 なかなかのイケメンだった。ムキムキ系だった先代のお兄さんとは違い、しなやかな細マッチョ。髪も茶色くヤンチャ系というか、へえ、かわいいな、と涼子は思った。


 そう。涼子は昔からイケメンが好きだった。付き合う男は皆顔で選んでいたし、まあそのせいでひどい目に遭ったこともなくはないがそれでも顔で選ぶクセは抜けなかった。


 結婚を決めた隆久ももちろん最初は顔だった。友人の紹介で知り合い、付き合ってみると案外価値観や好みも合う。次第にお互い惹かれ合いゴールインしたわけだが、あれからもう10年以上。イケメンだった隆久もアラフォーとなり腹回りに豊富な贅肉を蓄えて目尻のシワや白髪も増えた。ついでに最近頭頂部の薄毛も気になる(前髪は残るタイプ)。


 しかしそれは自分も同じ。多少抗うことはできても『老い』は人生において常に付きまとうものだ、と涼子は思う。


「忘れ物ないー?」

「ないよー!」


 夢莉を送り出して自分も支度を済ませパート先のドラッグストアへと向かう。徒歩で約20分の道のり、同僚は「なんで自転車で来ないの?」と首を捻るが涼子自身はいい運動だと考えている。『老い』に対抗するには適度な運動が不可欠なのだ。もちろん紫外線対策は最優先事項。


 信号待ちをする涼子の傍ら、沿道に咲き乱れるツツジの濃いピンクが色鮮やかで眩しい。こどもの頃はこっそり取って蜜を吸ったりもした好きな花だったが、大人になってからはなんとなく花の主張がうるさい気がしてあまり好きではなくなった。人の好みは年齢とともに変わるものらしい。


 その時「あの」と背後から声をかけられた気がして振り向いた。


「……はい?」

「ああ、すみません」


 見知らぬ若い男性がそこにいた。顔立ちは悪くはない。だけど少々気が弱そうで、その地味な服装は派手なツツジにすっかり負けてもはや見えづらいくらいだった。


「……なにか?」


 声をかけておいてなぜかドギマギとしている様子の男性にそう訊ねた。その時ふいに涼子の頭をなにかが掠めたのだが上手く掴むことができずにもやとなって消えた。


「あの、図書館はどっちですか?」


 ああなんだ、道案内か。涼子は合点して的確にその順路を伝える。男性は何度もお礼を言って頭を下げつつ立ち去った。


 誰かに似ていたような……?


 脳裏を掠めた『もや』が気になったがどうにも思い出せない。考えるうちにいつの間にか青になっていた信号が点滅しだして涼子は慌てて横断歩道を渡った。


 職場に着くと発注ミスが起こっただとかで仲間がてんやわんやしていた。現実に引き戻された涼子は目の前の仕事に追われるうちに道案内をしたことも、気になった『もや』のこともすっかり忘れていた。


 その後勤務を終えて、正午すぎに涼子がひとり帰路を歩いていると。


「あの」


 思わず耳を疑った。この声……。沿道のツツジが初夏のぬるい風に派手な花びらを揺らしている。そのピンク色に霞むようにして、またその人は立っていた。


「あの、すみません」

「あ……今朝の」


 なぜか今度は涼子のほうがドギマギしてしまった。それにしても二度も会うなんてどういうことだろう。まさか図書館の場所がわからなかったのかしら、いやさすがに4時間もさまよわないか。とその持ち物をちらりと見ると本らしきものがいくつか入った手提げ鞄があった。どうやら用はすでに済んでいるらしい。じゃあ、なに?


「まさかまた出会えると思わなくて。びっくりしてつい、声をかけてしまいました。あ、今朝はどうもありがとうございました」


 なるほど、つまりは偶然の再会ということらしい。そうか。私ももう少し若かったらこういうの『運命』だってはしゃいだだろうな。と涼子が謎に感傷的になったところだった。


「あの、もしよかったらお礼をさせてもらえませんか」


「へ?」


 まさか。そんなことがあるはずがない。少なくとも既婚で子持ちの主婦にそんなことがあってはならない。


「や、そんな、お礼なんてされるようなことしてませんから」


 涼子くらいの歳になるともうこんなことで簡単にトキメイたりはしない。それどころか「これはもしかしたら厄介なやつかもしれないな」と身構え始めていた。どういうことかというと、つまりは詐欺とか事件系のヤバいやつだ。そうでなければこんな主婦に声をかけるなんておかしい。決まり。これは絶対にだ。


「急いでますので」

「カウンセラーを目指していまして」


「……は?」


 振り切るつもりが予想外の言葉につい聞き返してしまった。イケメンは持っていた手提げ鞄から図書館で借りてきたらしい本を数冊取り出して涼子に見せる。


『よくわかる! カウンセリング術』

『目指せカウンセラー 秘訣とコツ』

『老若男女カウンセリング』


 秘訣とコツは同じ意味では……厳密には違うのかしら、などと思いながらも「はあ」と曖昧な返事をした。


「勉強中でして、その、もしよかったらカウンセリング、させてもらえませんか?」


「え、私、ですか?」


 そうに決まっていても聞かずにいられなかった。思いもしない状況に混乱しつつも「いやこれは絶対に詐欺だ」と涼子の脳内に警鐘が鳴り響く。それを察してかイケメンは慌てたように付け足した。


「もちろんお代は一切いただきません! 怪しい勧誘とかもしません。あくまでボクの勉強のため……って言っちゃうと『お礼』にはならないかもしれないですけど」


 慌てたためかその話し方や表情が少し砕けた感じになった。それがかえって涼子の乙女心をくすぐった。この人、もしかして本当にただ不器用な可愛げのある人なんじゃないだろうか。だったら少しくらい協力しようかな。強化していたはずの警戒がゆるゆると解かれる。


「まあ、少しだけなら」


 どうせ自分は悩みなんかない。カウンセリングもろくに練習にならずすぐに終わるだろう。そう思ったのだった。




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