第2話 あの傘
「どこ!?」
コモは飛び上がってすぐに優花のうしろに隠れた。
じり……と敵と対峙する。手は冷えて震えた。心臓の鼓動が速い。やばい。寿命が縮む。この子を残して逝くわけにはいかない。
やるか、やられるか。
デッド・オア・アライブ。
「ああ、あのカサ」
あの傘……?
傘なんか部屋にない。いや、そうじゃな
く
て
……?
「どうもはじめましてカサ。ワタクシ、ムカデようせ「ぎいやあああああああああっ!!」
そのあまりの叫びにムカデは失神しかけた。ムカデだから持ち堪えられたけど、蚊だったら息絶えていただろう。
ム、ムム、ムカ、ムカ、ムカデ!?
こんな都会に!? マンションに!? なんでムカデがいるの!?
森の中の古民家じゃあるまい!
それも20センチくらいある巨大ムカデ。有り得ない! 有り得ない!
待って。
落ち着こう。
ない。さすがにそれはない。35年も生きてきたけどそんな巨大ムカデの話なんて聞いたことない!
「ママ大丈夫!? ママ!?」
気が動転する中で、優花は娘の声を聴きながらはたと思った。
ムカデって毒があるのでは。
娘を守らなくては。強い思いが優花を冷静にした。
「コモちゃん! 外行こう! 危ない、その虫、毒がある!」
たとえ大の虫嫌いであっても母として娘を置いて気絶するようなことは絶対に有り得ない。母にとって子は自分自身よりも遥かに大切な存在。迷うことなど少しもない。そう、まずは身の安全の確保!
「あ、あの」「ひえあ、寄るな! 喋るな! キモい! キライ! 出てって!」
言うと余計に気持ち悪く見えた。ああダメ、見られない。なに、なんなの。どうしてうちなの。ほかにたくさん民家あるじゃん。っていうか森に帰れよ。人間界に来ないでよ。黒や赤や茶色がじゃわじゃわしているこんな生き物、私は絶対、絶対に認めない!
「殺虫剤、そうだ殺虫剤!」
「わ、わ、わ! おやめくださいカサ! 殺さないでカサ!」
「ひいい動かないで気持ち悪いっ!」
「お、落ち着いて! 落ち着いてくださいカサ!」
「落ち着いてられるわけないでしょ!? だいたいなんでうちなの? 毎日ちゃんと掃除してるのに! ゴミだって早起きして出してるのに! なんなの? ていうかなんで存在するの!? なんのため? 誰得!?」
まくし立てるとムカデがいくらか悲しそうにした。
「と、とにかく落ち着いて。落ち着いて話を聞いてくれカサ」
「だから落ち着いてられるわけな──」
ん。ちょい待て。
「……待って。なんでムカデが喋れるの?」
例えば犬や猫だったとしたら、きっとなによりもまず最初に出た疑問だっただろう。
「えー、こほん。改めましてはじめましてカサ。ワタクシ、ムカデ妖精の──」「へ、ようせい?」
「ええ。その、『フェアリー』の『ようせい』ですカサ。妖精」
わかりますカサ? という質問に優花は反応しない。妖精、妖精、とぶつぶつ復唱しながら思案するようにその視線を漂わせる。
「あの……よろしいカサ?」
「よくない」
「えっ」
「妖精がムカデなわけない」
しっかりと確信を持った目だった。そう、妖精のイメージといえば蝶にこそ近い雰囲気はあれど、あれは特別に美しいものであり、蝶ですらない。それが蝶と同じ『虫』だからってまさかムカデの形をした妖精だなんてギャグが過ぎる。
しかしこのムカデとしてはここで話を止められては困るらしい。
「えっと、その、とりあえずそこは今は流してはいただけませんカサ?」
「ていうかさ」
「ていうカサ?」
見つめ合う、つもりだったが優花はその巨大ムカデを直視できないので即座に目を逸らせた。
「もぉう! 『カサカサ』言わないでよっ!」
ああもう、と頭を抱えられてもムカデも困る。
「う、すみませんカサ。これは性分というカサ、やめられないのですカサ」
「……はー」
「と、とにかく聞いてほしいカサ。まずワタクシ、ムカデ妖精の『アシ・メチャール・ヤナムシ』と申しますカサ。気軽に、『アシ』とでも呼んでいただければ」
先に言ってしまえば今後このムカデは「ムカデ」、良くて「ムカデさん」としか呼ばれないのだが名前は一応あるということを覚えておいていただけるとムカデは喜びます。
「じつは折り入って頼みがあって、この家に来たわけですカサ……って!」
話半分の優花の目線は殺虫剤のスプレー缶側面の説明文に真剣に向けられていた。
私が守らなくては。私が、コモちゃんを。
「待って待って待つんだカサ! ダメ! ストップ! 動物愛護!」
「ええい、害虫駆除ーっ!」
あああああああ!
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