第89話 母の記憶

 母さんと同じ方言でしゃべる。

 コーヒーを苦いか聞いたとき、母さんと同じ答えを言った。


 この子が母さんの記憶を持っているならば、疑問だったそれらに説明がつく。


「じゃあ、喫茶店で俺にチョコレートパフェを頼んだのは……」

「末松冬華の記憶じゃ。お前が子供のころ、買い物帰りによくあの喫茶店へ寄ってわしがコーヒー、小太郎がチョコレートパフェを食べていたそうじゃな。苦いコーヒーを飲むわしを、お前は不思議そうに見ておった」

「そ、それじゃあ、俺が幼稚園のときに母さんと買い物へ行って迷子になったこととか……」

「スーパーの階段で座って泣いておったな。わしを見つけて大声で泣いて駆け寄って来たんじゃったか」

「俺が子供のころに好きだった絵本は?」

「お前は絵本など読まん子供じゃった。暇があれば寝ておったし、絵本を買い与えてもまったく読まんかったじゃろう」

「あ、ああ……」


 母さんだ。

 その記憶は間違いなく母さんのものだった。


「初めて君に会ったとき、もしかして俺のことに気付いて……」

「不思議なものじゃ。成長して顔は変わっておるのに、一目見て小太郎だとわかった。親とはそういうものなのかのう」

「そうだったのか」


 やはりあのとき俺は名乗っていなかった。

 この子は……母さんは俺のことが小太郎だって、見るだけで気付いてくれたから。


「か、母さん……」

「勘違いするな」


 俺の呼びかけを雪華は冷たい声で一蹴する。


「記憶を持っているだけじゃ。わしはお前の母ではない」

「あ……そ、そうだな。ごめん」


 こんな小さな子を母さんだなんて。


 どうかしていると、俺は頭を振った。


「うむ。わしは末松冬華の記憶を持った人造人間でただの生物兵器じゃ。お前の母ではない。変な情は持たんことじゃ」

「うん……。けど、どうして君に母さんの記憶が必要だったんだ? 兵器としてだけなら母さんの記憶はいらないんじゃないか?」

「兵器とはいえ、生まれたてはただの赤ん坊じゃ。兵器として使うのに必要な知識を持った存在の記憶として、自分の記憶が適任と考えててのことじゃ」

「だから雪華に母さんの記憶が……」


ここまでの話を聞く限り、この世界の母さんは冷徹な研究者という印象だ。しかし雪華からはそんな冷たさをあまり感じないので、不思議に思った。


「話は戻るがの、わしはスキルで異形種を取り込んでその力を自分のものにできる。10の魔物を取り込めば10の力を。100の力を取り込めば100の力をの。取り込めば取り込むほど、わしは力を増していく。わしを最強の魔物ハンターにするのが上一郎の目的なんじゃ」

「君を最強の魔物ハンターにして父さんはどうする気なんだ?」

「わしを最強の魔物ハンターにして、深層でレア素材を大量に集めさせる。そうすれば素材の仕入れにかかる金もかからず、大量に儲けられるというわけじゃ」

「な、なるほど」


 さすがは経営者といったところか。儲ける方法を考えるのがうまいものだ。俺の知ってる父さんも、もしかしたら経営者の才能があったんだろうか。


「わしは最初に作られた実験体のようなものじゃ。うまくいけばわしのような生物兵器が多く作られることじゃろう」

「けど、それが末松のしてる世間に知られてはいけないことなの?」


 倫理的には世間からうるさく言われそうではあるが、個人的には別に悪いこととは思わない。


「最近、異形種が多いとは思わんか?」

「えっ? うん。それはまあ」

「異形種の増加には上一郎と忠次が関わっているかもしれん」

「な……え、それってどういうことだ?」


 異形種の増加に父さんと兄さんが関わっている。

 それを聞いた俺は信じられないという思いであった。


「上一郎はわしに異形種を取り込ませたい。そこへ異形種の増加じゃ。あまりに都合が良すぎて変に思っての。少し調べたんじゃ」

「そ、それで……」

「なにもわからんかった」

「あ……そう」


 それを聞いてホッとするが、


「なにを安心しておる。わからなかっただけで、なにも疑いは晴れておらん」

「けど、なにも出てこなかったなら杞憂なんじゃないかな?」

「……少なくとも、わしが今まで調べた限りではなにも出てこなかった。しかし上一郎と忠次はなにかを隠しておるような気がする。これはわしの頭にある末松冬華の記憶がもたらす勘じゃ」

「う、うーん……」


 勘ではなんの根拠にもならない。

 しかし母さんの記憶がもたらすと言われては、可能性を疑ってしまう。


「もしもわしの勘が正しければ、これは上一郎と忠次の重大な秘密じゃ。なにかの間違いで知ってしまえばどんな目に遭うかわからん」

「それで俺に末松家に近づくなって言ったのか。けど仮に君の勘が正しかったとしても、まさか息子の俺をひどい目に遭わせたりなんかしないと思うけど」

「姿を消しているあいだに忘れてしまったか? 末松家は家を守るためならばどんな非道なことでも平気でする一族じゃ。末松家にとって邪魔だと思えば、血縁者でも平気で消す。そう教わったじゃろう?」

「そ……そうだったかな?」


 そんな記憶はもちろん無い。


「ともかく、末松家にはもう近づかんことじゃ。わかったの?」

「う、うん……。けどどうして君は俺にそんな忠告をしてくれるんだ?」

「うむ……」


 俺の問いに雪華は鼻の頭を掴む。


「……気まぐれじゃ」

「気まぐれ……」

「話は終わりじゃ、では戻るかの」

「うん」


 先を歩く雪華に俺はついて行く。


 不思議な感覚だ。

 こうして雪華と一緒に歩くと、母さんのことを思い出す。

 それはこの子が母さんの記憶を持っているからだろうか? しかしそれだけではないような、そんな気もする。


 ただの生物兵器。

 雪華はそう言ったが、俺は彼女をそのようには思えなかった。

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