第86話 無未ちゃんのパパママに会う

「と、父さん……」


 車から降りて来た父を前に俺は言葉を失う。

 兄と再会したときと同じように、なにを言えばいいかわからなくなっていた。


「お前は……」


 父は俺を怪訝そうに窺う。


 ……間近で見るとよくわかる。

 俺の記憶にある父さんとは違う。老けたというのもあるが、根本的な雰囲気というものがまるで別人だ。

 俺の知っている父さんは、こんなに冷たい雰囲気を出す人ではなかった。


「こ、小太郎だよ父さん」

「小太郎……ああ」


 名乗ると、父さんは興味を無くしたように視線を外して俺とすれ違う。


「と、父さんっ!」


 門を抜けて歩いて行く父の背に俺は叫んだ。


「……失せろ。お前になど用は無い」

「そんな……。どうして?」

「どうしてだと?」


 ギロリと睨んでくる父を前に俺は怯む。


「お前が家出なんかしてくれたおかげで、私は息子に逃げられた鬼畜親と一部の週刊誌から書き叩かれ、世間から非難を受けたのだっ! お前のせいでどれだけ恥をかいたか、思い出すのも不愉快だっ!」

「そ、それは……」


 俺には社長の父さんと暮らした記憶は無い。

 しかしいなくなって迷惑をかけたのは事実だ。それが自分のせいではないにしても、言い訳などできなかった。


「ふん。しかし今となってはお前などいなくなってくれてよかったと思っているよ。出来の悪いお前なんぞが末松の家にいたほうが恥だからな。息子は忠次だけでいい。今は専務のあいつがいずれ社長を継げば、末松家は安泰だ。お前などいらん」

「と、父さん……」

「失せろと言ったはずだ。二度と顔を見せるな。お前など息子でもなんでもない」


 そう言って屋敷へ向かって歩いて行く父。

 俺はショックでなにも言えず、ただその背を眺めていることしかできなかった。


 17年も姿を消していた俺が悪いのはわかっている。

 けれどこんな仕打ちはあんまりではないか。


 俺の知っている2人ならあんなことは言わない。

 やはりこの世界の父さんと兄さんは、俺の知っている2人とは違っていた。


「父さん、兄さん……」


 そう吐くように呟き、肩を落とした俺は、ふと、隣家へ目を向ける。


「無未ちゃんの実家に顔を出しておくか」


 門から遠く離れた場所には、子供のころに見慣れた無未ちゃんの実家があった。


 無未ちゃんのほうから話はしてくれているかもしれないが、俺からも戻って来たことを話しておいたほうがいいだろう。


 そう思った俺は隣家へ向かって歩く。


 インターホンを押して話すと、すぐに無未ちゃんのお母さんが出迎えてくれた。


「まあ、本当に小太郎君なの?」


 玄関で俺を見たおばさんは口元に手を当てて驚いた表情をしていた。


「あ、は、はい。無未ちゃ……さんにお聞きしているかもしれませんが……」

「ええ、ええ。あの子ったら、小太郎君が帰って来たって大喜びで。あ、こんなところにいないでほら上がってちょうだい」

「あ、どうもすいません」


 促された俺は家の中へとお邪魔する。

 それから居間へ通されると。


「お、おお、小太郎君かっ?」


 テーブルの前には俺を見上げて目を見開く中年の男性が座っていた。


 無未ちゃんのお父さんだ。

 当然だが子供のころに会ったときよりだいぶ老け、今では老齢手前のおじさんであった。


「あ、はい。おひさしぶりです、おじさん」

「いや本当に。ま、まあ座って」

「ありがとうございます」


 勧められた俺はおじさんの向かいへと座った。


「何年振りだろう? 君がいなくなってから15年以上は経ったかな?」

「そう……ですね。家を出て17年ほどになりますか」

「うん。無未に聞いたよ。なんでも、お父さんと喧嘩をして家出したとか」

「えっ? あ、ええ、まあ」


 無未ちゃんがそれっぽい理由を作ってくれたようだ。

 異世界に召喚されたなんて話しても信じてはもらえないだろうし、父親と喧嘩して家出は無難な理由とは思った。


「小太郎君はお父さんとお兄さんにかなり厳しく教育を受けていたそうだからね。家出したくなるのも仕方なかったのかもしれない」

「は、はあ……」


 そう言われても俺にその経験は無い。

 勉強はできなかったが、父や兄にそれを厳しく咎められたこともない。テストで悪い点を取れば少しは叱られたが、家出したくなるほど厳しく叱られたことなどは無かった。


「だけど家出をしたなら私たちを頼ってくれても……いや、今さらそれを言ってもしょうがないな、とにかく無事に戻って来てよかったよ」

「本当に。心配したんだからね私たち」

「心配をかけてしまってすいませんでした」


 実の父と兄よりも、隣に住んでいるおじさんおばさんのほうが俺を心配してくれていたとは、なんとも複雑な気持ちである。


「しかし16歳で家出をして、今では立派に会社勤めをしているそうじゃないか。たいしたものだよ」

「いや、褒められるようなことでは」

「謙遜しなくていい。立派だよ、誇ってもいい」


 おじさんから褒めちぎられた俺は、なにも言えなくなって頭を掻いた。


「ああ、それで……小太郎君」


 やや声が重くなっただろうか。

 おじさんの表情もやや硬くなった気がした。


「その……うん」

「はい?」


 なにかすごく言いづらそうな雰囲気に、俺も緊張をする。


「お父さん、ちゃんと聞いとかないと」

「わかっている。こ、小太郎君」

「は、はい?」

「その、な……うん。な、無未とはいつ結婚をするんだね?」

「えっ?」


 聞かれた俺は答えに困って口篭る。


「いや、無未と小太郎君が再会してそれほど経っていないだろうに、まさか結婚するまで関係が進んでいるなんて驚いたよ」

「ちょ、ちょっとそれってどういう……」

「どういうって、無未から聞いたんだよ。小太郎君と結婚をするって」

「ええっ!?」


 寝耳に水とはこのことだ。

 そんな話を無未ちゃんから聞いたことは無い。


「そ、そんなに驚いてどうしたんだい?」

「あ、いやその、無未さんとは仲良くさせていただいておりますけど、その、結婚するとかそういう話にはなっていないというか……」

「そ、そうなのかい? おかしいな。無未はそう言っていたんだが……」


 恐らく無未ちゃんは本気でそのつもりなのだろう。


「ははは……まあ先のことはわからないのでなんとも言えませんけどね。とりあえず今のところ結婚の予定は無いです」

「そうか。まったくあの子は……いやまあ、小太郎君なら大歓迎だ。本当にそういう話になったら賛成をするから安心してくれ」

「そうそう。うちは子供があの子だけでしょ? だから小太郎君みたいな息子ができてくれたら嬉しいわ」

「はは、ありがとうございます」


 無未ちゃんパパママからのやたら高い評価に恐縮しつつ、俺は礼を言った。


「あ、そういえば無未から聞いたんだけどね、末松さんの家に小さな女の子が住んでるみたいって話」


 おばさんの言葉に俺は雪華を思い出す。


「ええはい。雪華って子で、たぶん兄さんの子供だと思うんですけど」

「確かに女の子が屋敷を出入りしてるのはみたことあるけど……でも忠次さんが結婚したなんて話は聞いたことないねぇ」

「えっ? そ、そうなんですか?」

「うん。まあうちも末松さんとそれほど交流があるわけじゃないから、確かなことは言えないけどね」

「そうですか……」


 はっきりしたことはわからない。

 なんとももやもやした気分だ。


「まさか上一郎さんか忠次さんの隠し子……」

「母さんっ!」

「あ、ご、ごめんなさいね」

「いえ……」


 正直、それは俺も少し考えた。

 俺の知っている父さんと兄さんなら隠し子を持つなんて絶対にしないと思う。しかしこの世界の2人ならもしかしてと考えた。


 隠し子だとしたら兄さんのと考えるのが妥当か。

 あまり考えたくはなかったが……。

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